第7話 天気にな~れ!(5)

 予想外のできごとに、千代がぽかんと口を半開きにしていると、

「あのさぁ、そういう誤解を招く悲鳴はやめて貰えないかしら」

 呆れかえった牡丹の声が聞こえてくる。

 我に返った千代は少年を振り切り、扉に駆け寄った。躊躇なく扉を引き開ける。

 そこには……

 牡丹が不満そうに仁王立ちし、部屋の端っこではめそめそと泣く半裸の蘇芳が、破かれた着流しを抱きしめていた。

「僕の一張羅がぁ」

「仕事すりゃすぐ貰えるわよ」

「うう……」

 千代は意を決して蘇芳の元に駆け寄ると、主を庇うように両手を広げ膝を付き、牡丹に対峙した。

「あ、あの、牡丹さま、これは……」

「ああ、初めてなら驚いたことでしょう。これがペナルティの一つよ。依頼に失敗すると、身につけているアイテム一つ没収なの。破り脱がしたのはあたしの趣味よ」

「悪趣味ぃ」

 蘇芳がめそめそ声を零す。

 牡丹がキッを蘇芳を睨めつける。

 蘇芳はひっと声を飲んで身体を縮こまらせた。

「依頼に成功したら、それに応じたアイテムが配給されるわ。服がくるような仕事をすれば良いだけでしょ」

「で、ですが」と、千代は牡丹に食ってかかった。

「蘇芳さまはお願いごとをした少年を笑顔にしました! これは余りに酷い仕打ちじゃ……」

「笑顔にしようがしまいが関係ないの」

 牡丹の目が細くなる。

 千代はゴクリと喉を鳴らした。背に冷たい汗が流れる。

「神は善悪を超えてあるもの。神とはそう言う中立でなければならない。要するに、願いの僕なわけ」

「そんな……」

「もちろん、選ぶ権利はあるわ。でも、それが正しいかどうかは関係ないの。評価対象となるのは、叶えたか叶えられなかったかだけ」

 有無を言わさぬ応えに、千代は絶句した。

 牡丹は少しだけ寂しげに微笑むと、踵を返した。

「それじゃ、お邪魔さま」

 と、牡丹は立ち止まった。首だけ巡らせて蘇芳を見ると、ニヤリと口の端を持ち上げる。

「次はその褌だからね、蘇芳」

「足袋じゃなくて!?」

 びたり、と壁に張り付いた蘇芳に声を出して楽しげに笑い、牡丹は今度こそ歩き始めた。

「ほほほ。あたしの趣味よ」

「鬼ぃ!」

 従者の少年たちが絨毯をしまい丁寧に扉を閉める。

 嵐のような訪問者は、来た時と同じように絶妙な音楽をかき鳴らしながら、去っていった。

 残された二人は暫く呆然としていた。

 やがて大分沈黙が流れた後、千代は蘇芳の顔を覗き込んだ。

「す、蘇芳さま、大丈夫ですか?」

 蘇芳の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。

「うう、ぐす、ぐすっ……だ、だから、無理だって言ったのに」

「蘇芳さま……」

 千代は眉をハの字にした。

 だから、初めからレベル〇の願いをこなせば良かったのに――千代には、更に鞭打つようなことは言えなかった。

 何せ失敗してしまったのだ。次の願掛けでは絶対に失敗できない。断崖絶壁である。

 千代は蘇芳の背を撫で続けた。

 かける言葉が見つからない。

 と、子供のように泣きじゃくっていた蘇芳が、ハッとして顔を上げた。

「あっ、だけど服が無ければ外に出なくて済む!」

「前向きな後ろ向きですね」

 千代はがっくり項垂れた。

「……そもそも、更迭って具体的にどうなることなんですか?」

 何だか更迭に拘っている自分が虚しくなってきた。

 人には――神にだって向き不向きがあるだろう。更迭が天界に帰って暮らすことなら、蘇芳にはそっちの方が良いのかもしれない。

「消えるってことだよ」

 壁に寄りかかり、枝毛を探しながら蘇芳は言った。

「消える……?」

 千代はきょとんとした。

 言ってる内容と、それを口にする態度に余りにもギャップがあり過ぎて。

「役に立たない神様は誰からも忘れ去られて消える。おしまい。人間で言うなら、『死』みたいなもんかな。地獄も天国もないけど」

「そ、それって……」

「まぁ、気にしなくて良いよ。どうせ僕は無能、役立たず、何もできない。さっさと消えた方がみんなのためだ。新しい神様をみんな望んでる」

「そんなの全然ためになんてなってません!!」

 知れず、千代は声を荒げていた。

 蘇芳が驚いて目を瞬かせる。

「どうしてそんな悲しいことを言うんですか!? 役に立たないって、たまたま失敗しただけじゃないですか!」

 噛みつくように言うと、負けじと蘇芳の息も乱れた。

「たまたま? いつもだよ。いっっつも失敗。君が僕に何を期待してるのか知らないけど、僕はな~んもできないの。力もないし。何よりやりたくないし!」

「そんなことない!!」

 千代は全力で否定した。

「私の知ってる蘇芳さまは、一生懸命、私の願いを叶えてくれました!!」

「覚えてないけど、昔のことでしょ。今とは違う」

「違ったりしません! だって、あなたは、あの子のために水族館を予約してたじゃないですか!!」

 蘇芳は息を飲んだ。

 千代は続けた。

「確かに願いは叶えられなかったけど、あなたはあの子のことを精一杯考えた。私はそんな優しい神様の住む場所で暮らしたい!! 消えるなんて、言わないでください!」

 言葉の途中で、千代の目からぽろりと涙が零れ落ちる。千代は慌てて目元を袖で拭った。けれど、溢れ出した涙は次から次へと流れ出てくる。

「消えるなんて、悲しいこと……」

 悲しい。

 自分の憧れている人が、消えてしまうなんて悲しい。

 消えても別段平気だと自分で思っているのが悲しい。

 そんな風に言わせてしまった自分が悲しい。

 こんな風になるくらいならレベル〇の願掛けを叶えるよう、何が何でも説得するべきだったのに。そうしなかった自分が許せない。

「な、泣かないでよ。君が泣く必要なんてないだろう」

 うろたえ出した蘇芳は、千代に触れられず、両手を彷徨わせた。

「どうしろって言うのさ。そんな、僕も……僕だって凄い神様ならって思うのに」

 蘇芳の目からも再び涙が零れ落ちる。

「だって、僕はダメなんだもの。ダメな神様なんだもの。誰も救えないんだもの!」

「そんなことないって言ってるじゃないですか!」

 それから……二人でワンワン子供のように声を上げて泣いた。これ以上は涙が出ないと言うほど泣いてから、二人は同時に鼻をすすった。

 千代は蘇芳の真っ赤に腫れた目を見た。蘇芳も見つめ返した。

 蘇芳は何度も何度も鼻をすすった。鼻水が垂れるのを、千代がハンカチで拭ってやった。

「ごめん、千代ちゃん」

 そう言って項垂れた蘇芳の手を、千代は躊躇いがちに握った。それから強く力を込める。

「もう少しだけ、私と一緒に頑張ってみませんか」

 びくり、と蘇芳の肩が震えた。

「私、一生懸命頑張りますから。だから、ちょっとで良いんです。一緒に……」

 蘇芳がゆっくりと顔をあげる。

 千代はじっと蘇芳の目を覗き込んだ。

 目にいっぱいの涙を溜めた蘇芳は、暫くぽろぽろと泣いていたが、やがて小さく頷いた。

「…………本当にちょっとなら」

「ありがとうございます」

 千代は笑った。

 蘇芳がつられたようにはにかむ。

 再び鼻水を拭ってやりながら、千代はさっそく内々陣から願掛けリストの絵馬を持ってきた。

 もう後はない。

 慎重に選ばなければ。

 暫く目を皿のようにしてほど良い願掛けを探す。やがて、千代は一つを手にした。

「それじゃ、体調がよくなったらこの願いごと叶えに行きましょう」

 きっとこれなら、叶えられる。

 千代は自信を持って、絵馬を差し出した。

 恐る恐る蘇芳が受け取り、読み上げる。

「『三週間過ぎた牛乳を飲んでもお腹を壊しませんように』?」

 蘇芳は即座に絵馬を叩き割った。




第一章(完)

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