第6話 天気にな~れ!(4)

 ガラガラと本坪鈴が鳴る音に続いて、二度、手を叩く外界の音が、まるでスピーカー越しのように内々陣に大きく響いた。

『神様。今日は雨だったけど、水族館に行ったよ。凄く楽しかった。どうもありがとう』

 少年の高い声が聞こえてくる。

 そこで、ぱちりと蘇芳が目を覚ました。

「蘇芳さま、大丈夫ですか? どこか体調が……」

 神様に不調があるとは考えられなかったが、倒れるとは普通ではない。千代が助け起こすと、蘇芳は肩をすくめて言った。

「神通力を使うと、暫く動けないんだ」

「そうだったんですね」

 なるほど、と千代は手を打った。

 移動するのも、しおりを作るのも、全て自力でやっていたのは安易に神通力は使えないものだからと言うことか。

 千代はとりあえず、茶を煎れると蘇芳に差しだした。自分も茶飲みを傾けてほっと息をついてから、蘇芳に輝く瞳を向けた。

「でも、蘇芳さま、凄かったです!」

 この目で初めて見た具体的な神通力を思い出し、千代は鼻息荒く茶飲みを握り閉めた。

 人の心を操る力――決して人には許されない力。蘇芳はただの無気力な青年ではなく、ちゃんとした神様だった。千代は嬉しくてたまらない。

「まさか、人の心を操れるだなんて」

「二時間だけね」

「えっ」

 茶をすすりつまらなそうに言った蘇芳に、千代は声を詰まらせた。

「そ、それって、二時間経ったらもとに戻るってことですか?」

 それならば、校長や教頭は水族館に行くことを取り消そうとしたと言うことだろうか……

 蘇芳は素直に頷いた。

「そうだよ。それでも、保護者に電話しちゃったら行かざるを得ないでしょう。コロコロ変えられるものでもないし」

「な、なるほど」

 お礼参りに来た少年のことを思い出す。

 彼らはちゃんと水族館には行けたのだ。

「遠足なんて、同級生と学校じゃない場所でお弁当食べられれば良いんだよ」

「まぁ、確かに……そうかも?」

 楽しげに弾んだ少年の声が答えだろう。

 千代は手を前で合わせるとにっこりと笑んだ。

「さすがです、神様。一応、少年は喜んでいたし、とりあえず白星ですね」

「いや、失敗だよ。あくまでお願いは晴れにしてください、だからね。まぁ、でも、龍神が花粉症じゃ仕方ないよなぁ」

「え……」

「だから、失敗」

「ええええええええっ!?」

 千代は顔を真っ青にして立ち上がった。

 衝撃で茶飲みが転がり、床にお茶溜まりができる。

「じゃ、じゃあ、すぐに他のお仕事をみつくろわないと……」

「暫く動けないって言ったでしょう。後、四日は無理だよ」

 のほほんとお茶を口に運びながら蘇芳は言った。千代は今度こそ色を無くした。

「四日!? って、更迭まであと五日しかないんですよ!?」

「無理なものは無理だし……」

「そんなぁ! のほほんとお茶なんて飲んでる場合じゃないですよお!」

 千代は蘇芳の肩をガクガク揺さぶった。

「熱っ! 零れてる、零れてるよ、千代ちゃん!」

「あああ、す、すいませ……でも、ど、どうしたら……っ」

「落ち着いて! まず、揺らすのやめて! 熱いから!!」

「す、すすすいません」

 千代は蘇芳の肩から手を放した。ハンカチで蘇芳の手を拭う。

 千代は一生に一度レベルの集中力で、目まぐるしく更迭を免れる方法を探した。

 たった一日で必ず願いを叶えなければならない……方法は、一つだ。

 何としてもレベル零の願いを――蘇芳が嫌だとごねようと――叶えること。

 千代は心を鬼にすると決めた。

 そのただならぬ様子に、蘇芳がギクリとする。

 と、その時だった。美麗な音楽が聞こえてきたのは。

「な、何……?」

 幾つもの和の音色が段々と近づいてくる。

 訝しげにする千代に対して、蘇芳の顔から音を立てて血の気が引いた。

「まずい」

 言って、彼はよろよろと踵を返すと、身体を引き摺るような匍匐前進で内々陣の奥、神床の部屋に猛然と飛び込んだ。

 バタリと扉の閉まった音の後、切羽詰まった声が叫ぶ。

「千代ちゃん、僕は留守だって言ってくれ」

「ちょ、蘇芳さま……?」

 何が何やら分からない。

 千代が目をぱちくりさせていると、音もなく内々陣の襖が左右にスライドした。

「ど、どちらさまでしょうか……」

 千代は、現れた人物の異色さに目を見張った。

 彼を一言で表すなら……ボディビルダーだった。

 まず目に飛び込んできたのは、見せつけるように盛り上がった筋肉美だ。

 その上には、天女が羽織るような薄衣をまとい、首元には驚くほどの大きな宝石の連ねられた首飾りをつけている。

 腰元には幅の広いベルトを巻き、裾のキュッとしまった白いズボンを穿いていたが、その上からも隆々とした脚が見て取れた。

 恐る恐る視線を持ち上げれば、筋骨隆々の身体の上には、薄化粧をした、少し垂れ下がり気味の目が愛らしい顔が乗っていた。髪は長く、頭頂で束ねている。

「あ、あの……」

 戸惑う千代に、彼はしなを作るとニッと赤い唇の端を持ち上げた。

「あなた、新しい蘇芳の巫女さんね。あたしは牡丹(ぼうたん)。以後お見知りおきを」

 言い終わると、彼の左右から同じく天女と見紛うような、ひらひらした衣服を着た少年二人が現れ、内々陣の真ん中を片付け始めた。

 一定の踏み場ができると、彼らは手にしていた巻き絨毯を転がした。

 赤い道が作られる。

 それまでもずっと音楽は終わらない。

 背後を見やれば、龍笛、鉦鼓、琵琶などの楽器を弾き鳴らす楽隊がふわふわと小さな雲の欠片に乗って曲を奏でている。

「牡丹さんは、一体、こちらにどうして……」

 問いを口にしようとすると、きらびやかな少年に制せられた。

 目が潰れるばかりに目映い少年は、唇に人さし指を当てた。千代は言葉を飲み込むと、黙って牡丹の様子を伺った。

 穏やかな足取りで牡丹は赤い絨毯を踏み、内々陣を突っ切った。

 奥の扉を絨毯を敷いた少年二人が、開く。

 そして。

「ぅおらぁッ! 蘇芳!! また、失敗しやがったなァッ」

 牡丹は神床の扉を――蹴破った。

 千代が余りの大音声に腰を抜かしていると、奥から悲痛な声が聞こえてくる。

「ひええええええ! お、おた助けっ……」

「すっ、蘇芳さま!」

 体勢を立て直し、駆け寄ろうとするとすかさず少年たちの妨害を受けた。

「は、離してください! 蘇芳さま! 蘇芳さまが……!」

 蘇芳の安否を気遣い、神床へと見た千代の目前で、無情にも少年が内々陣の扉を閉めてしまう。

 そして。

 びりぃぃぃぃッ

 聞こえてきたのは、衣類を引き裂く音と、

「びゃああああん!」

 蘇芳の断末魔と思われるような悲鳴だった。

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