第4話 天気にな~れ!(2)

 社から出ると、蘇芳は竹林の途中で手を振って円を描いた。

 すると彼の手の先から柔らかな輝きを発する光の輪が生まれた。

 その奥には、見慣れた氏神神社が見えた。

 二人はその光の門を潜る。

 千代は、頬に当たった水滴に目を瞬いた。

 ――雨だ。

 暗い空からしとしとと雨が降っている。

 傘を忘れたと慌てていると、二人の到着を待っていたかのように社務所から巫女さんが走ってきて傘を貸してくれた。

 千代は礼を言ってそれを受け取ると、蘇芳に傘をさしながら神社を後にし、大通りへ出た。

 と、蘇芳が適当に走っていたタクシーを止めた。千代は目を見開いた。

「え、タクシーで行くんですか!?」

「電車じゃ行きづらいところにあるから」

「そういう問題じゃなくて……」

 蘇芳に促され千代も車に乗り込む。

「九頭龍神社にお願いします」

 そう言うとすぐ蘇芳は眠ってしまった。車が走り出す。

「神通力とは」

 千代は一人ぼやいた。

 神様なのだから、不可思議な力で目的地まで着くと思ったのに……蘇芳の住まう社は、氏神神社としか繋がっていないらしい。

 千代の思っているよりもずっと、神通力は限られたもののようだ。

 不安げに蘇芳を見ている自分に気づき、千代は、自身の頬を両手できつく叩いた。この人ーーーいな、神様についていくと決めたのだ。絶対に更迭なんてさせない。

 タクシーは雑踏ビルの立ち並ぶ町中を抜け、窓の外は段々と田んぼや畑が目立つようになっていった。

 九頭竜神社に到着したのは、千代のお尻がたっぷりと痛くなる頃だった。

 蘇芳はタクシーを待たせると、千代を連れて車を降りた。

 九頭龍神社は、山の一画を削りとって建てられたような神社だった。高い杉の木群に囲まれ、神社を囲む急な斜面には木の根が露わになっている。

 鳥居を潜って進むと、中央のご神木の杉に行き当たる。その奥に社務所、更にその奥の階段を上った先に社殿があった。

 こぢんまりとした、清潔感溢れる神社だ。

 蘇芳が鳥居を潜ると神主さんやら巫女さんやらが出迎えに出てきた。蘇芳は彼らに適当に挨拶をしてから、社殿の更に奥へと向かった。深々と頭を下げて、千代は蘇芳を追った。

 ざあざあと荒々しい水音が耳を打つ。

 階段を昇り、社殿の奥へ向かうと十メートルほどの高さから流れ落ちる滝があった。

 水面にぶつかって飛び散る水滴が曇天にも構わずキラキラと輝く。滝は清涼でいて激しかった。

 蘇芳は滝壺を前に立った。千代もその隣に並ぶ。

「赤龍どの!」

 蘇芳が声を上げると、滝壺からにゅっと龍が現れた。

 スラリと長い肢体に、鋭いかぎ爪を持った四本の足。頭部には幾重にも分かれた立派な角が生え、白く輝く長い口髭が宙をたゆたう。

 湿った瞳が蘇芳を見た。千代は龍に見とれた。美しかった。晴天の下、見たのなら、一つ一つの鱗が七色に輝いて、太陽のように目映く見えただろう。

「蘇芳か。お前が外を出歩いているなど珍しいな。雨でも降るんじゃないか」

 龍は地を揺るがす低い声で言った。やがて、彼は光に包まれると人型に近い姿を取った。

 千代はぎょっとした。恰幅の良い人の身体に、龍の頭部が乗っている。

「雨を降らせているのは、あなたでしょう赤龍どの」

 蘇芳が言うと、ぎょろりとした鋭い爬虫類の目が蘇芳を見た。

 その目は、泣いているように真っ赤だ。

 彼は手にした手巾で何度も目を拭い、チーンと鼻をかんだ。

 蘇芳は訝しげにその様子を見ると、口を開いた。

「何故泣いているんです。そのせいでこの辺り一帯、三週間も雨が降りっぱなしですよ」

「かっ……」

 ぐわっと赤龍は目を見開き、唇を開いた。ぽろりと涙が目から落ちる。

「か? 何です?」

 慌てて手巾で目元を拭う龍に、蘇芳が問いを重ねる。

 よくよく見れば、頬の鱗には涙跡がはっきりとついており、鼻も赤くなってしまっていた。

 赤龍は気まずそうに口を歪めた。

「花粉症だ」

 千代は瞼を瞬いた。確かに今は五月、ブタクサのピークだ。花粉症を患う人ーーこの場合龍だがーーにとっては辛い時期だろう。

「龍神が花粉症なんて聞いたこともないんですけど」

 蘇芳が無碍もなく指摘する。確かに赤龍は花粉症と言うよりも泣いているように見えるのだが……

「花粉症だっつってんだろうが。疑うのか」

「いいえ、信じます」

 拳を作った赤龍に、蘇芳は即両手を振った。

「そんで」

 と、赤龍は一つ咳払いをしてから、蘇芳に涙で腫れた目を向けた。

「引きこもりのお前が何だってこんなところまで来たんだ」

 すでに及び腰だった蘇芳の表情が一転した。彼はパチリと指を鳴らした。

「それ。それなんですよ。明後日だけで良いんです。雨を止めてくれませんか。薬とか必要なら持ってきますから――」

「そりゃ無理だ、無理」

「そこを何とか」

「できねぇっつってるだろうがよ!」

 鼻水と涙を飛ばしての大音声に、蘇芳は飛び上がった。千代も思わず耳を閉じる。

 随分と頑強な拒絶だ。

 こめかみに青筋を浮かべにじり寄ってきた赤龍に、蘇芳は縮み上がりながらも何とか声を絞り出した。

「い、今すぐにではなくてですね、明後日だけ……」

「これか」

「は?」

「こ・れ・が・欲・し・い・か」

 きょとんとする蘇芳に、赤龍はグッと握り閉めた拳を見せつけた。

 蘇芳はゆっくりと瞬きをした。

 つ、と汗が頬を流れる。

 唇を振るわせた蘇芳は、やがて両手をあげた。

「いえ、滅相もないです。帰ります。行こう、千代ちゃん」

 口の端を持ち上げて首を振る。

 それから、そのままの笑顔で二歩、三歩と退いてからくるりと踵を返すと、もの凄い速さで走りだした。

「し、失礼します!」

 千代は慌ててその背を追った。 

「あ、あの、蘇芳さま……!」

 タクシーに乗り込むと、肩で息をする蘇芳は暫く無言だった。雪駄を脱ぎ、膝を抱える。困惑する千代と運転手には構わず、顎を膝に乗せ、ゆっくりと身体を揺すった。

 暫くそうしてから、彼は口を開いた。

「近くの図書館へ」

「一体、何を……」

 呆然とする千代を引き連れて、蘇芳は図書館へとやってきた。

 平日の昼間とあって館内は空いていた。蘇芳はパソコンで何やら調べものをすると膨大な量の資料を印刷し、更に、旅行雑誌を山のように手にして、館内真ん中の円卓テーブルに陣取った。

「千代ちゃん。動物園と水族館の違いって何だと思う?」

 唐突に、もの凄い速さで本のページを捲り、コピーした紙片を斜め読みしていた蘇芳が顔をあげた。ぼんやりしていた千代は、口ごもりつつ、答える。

「水中の生き物か、陸上の生き物かの違い……?」

「だよね!」

 パチリと指を鳴らすと、蘇芳は館外の公衆電話に駆け込んだ。千代が追いかける。外で耳を澄ましていると、こんな声が聞こえてきた……

「すいません、神様ですけれど。はい、はい、明後日の四月二八日、○○学校で遠足を入れたいのですが可能でしょうか……あ、大丈夫ですか、じゃぁ、団体予約をお願いしたいんですけれども」

「蘇芳さま! あの……」

「次はカットイラスト集だよ。できるだけ可愛いのを見つけてくるんだ!」

 指示通り本を用意すると、どこからか白紙を持ってきた蘇芳はペンを走らせはじめた。

 コピー機とテーブルを往復し、借りてきた鋏とノリを駆使してカットイラストを張り付け……千代は言われた通りに手伝う他無い。

 蘇芳は最後にざーっと大量の紙片をコピーして戻ってきた。

 あっと言う間に、陽は暮れていた。

「ホチキス止めて」

 図書館の一角を占領して、蘇芳は作った紙片を並べると言った。

「何ですか、これ……しおり?」

 テーブルを見て回った千代は目を瞬いた。

 綺麗な文字や可愛いイラストが並ぶそれは、製本前のしおりだった。

「何部あるんです、これ」

「二百」

「図書館しまっちゃいますよ!!」

 結局、図書館のホチキス全てを使い、本を読んでいた館内の人や、あまつさえ司書の人にまで手伝ってもらいながら、蘇芳特製のしおりは完成した。

「行くよ、千代ちゃん!」

 笑顔で、手伝ってくれた人々に礼を言って、蘇芳は再びタクシーに乗り込んだ。げっそりと彼の後に続いた千代はぼやいた。

「……神通力って何でしたっけ」

 千代は背もたれに身体を預けると大仰にため息を吐いた。

 最後に、タクシーは願掛けを行った少年の通う小学校へ向かった。

 目的地に到着すると、蘇芳はちゃんと懐から財布を取り出し、料金を払って運転手に礼をした。「神様とは」と千代は何度目かの疑惑に頭を抱えたのだった。

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