第1章
第3話 天気にな~れ!(1)
蘇芳が起き出すまでの間、千代は彼が住まうこの社の探索を行ったり、本を片付けたりして時間を潰した。成果はまぁまぁと言うところだ。
長方形の社は、五つの部屋から成り立っていた。バスルーム、トイレ、中央の内々陣、その奥には、四神の微細な彫り細工の施された扉があった。蘇芳の部屋である神床だろう。内々陣の右隣には、使命が尽きるまで神と寝食(神職)を共にする巫女が使う部屋があった。何故そこが巫女の部屋だと分かったかと言うと、前巫女が剥がし忘れたと思われる、ちょっと前のアイドルのポスターが天井に貼られていたからだった。
十七畳ほどの巫女の部屋は、入って右側にデスク、左側にベッドがあり、奥にはバスルームに続く扉と、トイレがあった。デスク脇には大きい本棚と腰丈の棚が一つずつ。ベッドサイドの上には、洗顔料、化粧水、乳液、シャンプー、リンスなどが置かれ、壁のフックにはルームウェアだろう、もこもこタオル生地のワンピースがかけてあった。
巫女は基本、自ら向こうの世界からの物質を持ち込むのは禁止されている。もちろん携帯電話も禁止。
不届き者と言うのはどの業界にもいるもので、巫女の世界も例外ではない。危険物を持ち込む可能性はないとは言い切れないから、必要な物資は全て申告制で、配給される仕組みになっている。
「あ、これ可愛い。これもこれも……」
背の低い棚の上に置かれた硝子のオルゴール、ふわふわなクマのぬいぐるみ、真鍮の宝石箱……巫女の装束には似合わないけれど、部屋は十代の女の子が好む愛らしいもので溢れていた。
本棚にはずらりと小説、漫画が並んでいる。
パッと見る限り、向こうの世界と変わらない。少しだけホームシックに狩られた千代は、ぱちんと両頬を叩くと、本棚から分厚い冊子を抜き取った。
神職規定。
目的のページを目次で確認すると、千代はデスクに規定書を置いた。ドスンッと音がたった。
「まさか、来て早々、こんなページを見るなんて」
『神の剥奪の項』の見出しを見て、千代は嘆息した。
頭の中に概要は入ってはいるが、細部はあいまいだ。規定書の文字を追いながら、千代は授業内容を思い出した。
神社で願った『願い』は、天界に住まう、氏神よりも更に偉大な神々によってまず零から拾のレベルに振り分けられる。
レベルの数が小さければ小さいほど願う人の思いは弱く、かつ難易度も低い。また、思いの弱い願いを叶えるよりも、強い願いを叶えた方が、世に貢献したと天界は評価する。
けれど、願いごとを受けてから失敗するとペナルティがつき、長期間仕事を放棄しても同じことが起こる。ペナルティが重なると最悪、更迭される。
「蘇芳さまは期間的にも、達成率的にも、ピンチなんだわ」
千代はがっくり項垂れると、規定書を閉じた。棚に戻す。
それから、蘇芳が昼寝する内々陣へ向かった。
崩れた本をあらかた片付け終わった頃、蘇芳がぼんやりと身体を起こした。
早速、千代は彼の身支度を手伝った。
はだけた着物の前裾を直し、至るところぴょんぴょん跳ねた寝癖を櫛でなでつける。
やがて、手持ち無沙汰にパソコンで掲示板を見ていた蘇芳に、千代は思いきって声をかけた。
「蘇芳さま! 仕事をしましょう!!」
ゆっくりとした動作で、蘇芳は千代を見た。
それからこれもまたゆっくりとした動作で、唇をひん曲げて、顔全体で拒絶を表した。
「えぇ、嫌だよ。どうせ願いごと受けたって叶えられないし」
「そんなことありませんよ! 蘇芳さまは、私の願いを立派に叶えてくれたじゃないですか!」
必死になってそう告げると、蘇芳は首を傾げた。
「そうだっけ……?」
忘れられているのは悲しかったが、そこは敢えて追求しなかった。
今でこそ蘇芳は願いを叶えていないが、昔はそれなりに叶えていたはずで、それならば、千代の大切な思い出は数ある仕事の内の一つでしかないのだ。
「そうですよ。私、だから巫女になろうと思ったんです。あなたの手助けをしたいって」
手を握り、真摯に伝える。
千代がどれほど救われたか。
あの特訓がなければ、千代は今でも自信を持てず、俯いて歩いていただろう。
「……そ、そっか」
蘇芳はぽっと頬を染めると、唇を震わせた。
「とりあえず、願いを叶えて、期限を延長しましょう!」
千代は蘇芳から手を放すと、立ち上がって拳を強く握りしめた。
「レベル零の願いを叶えれば一週間更迭期日が延びます。これを重ねていけば良いんですよ!」
「えぇ。レベル零って、しょーもな……」
「そんなことありませんよ!」
あからさまに嫌そうな顔をする蘇芳に、千代はぶんぶん首を振った。
レベル零の願いでは天界からの評価は上がらない。
けれど、一週間、更迭までの期日が延びる。それにレベルの高い願いを叶えようとして失敗するわけにはいかなかった。如何せん、あと二回失敗しても更迭なのだ。後がない。
「えぇっと、来てるお願い事はーっと」
千代は、先ほど本の山とは別の絵馬の山から一つを手に取った。願掛けリストだ。可愛いウサギが印刷された絵馬の後ろには、願いごとの内容と、願掛けした日にちが記され、人には見えない願掛けレベルが右上に振られていた。
「ええっと……た、例えばこれとか! 『今日の夕御飯がハンバーグでありますように』」
「お母さんにお願いしなさいよ」
すかさず蘇芳が口を挟む。
千代は唇を引き結ぶと、絵馬を繰り素早く目を走らせた。どんどん床に絵馬の重なりが作られる。蘇芳はその内の一つを無造作に掴むと、声を出して読み上げた。
「瓶についたパッケージが綺麗にはがせますように。……気持ちは分かるけど神社で言うことじゃないでしょ」
「た、たまたまですよ。もっと他に……」
「ちょうちょ結びが縦結びになりませんように? こんなの練習すれば良いじゃん」
「おっ、お願い事はお願いごとです!!」
絵馬から目を上げて千代が言うと、蘇芳は唇を尖らせた。
「やだよぉ。こんなの叶えたって神様っぽくないじゃないの」
「仕事選んでる場合ですかっ!」
などと言いつつ、しょうもない願いごとばかりだと千代も思う。と、
「……あ、これ。これにしよう」
蘇芳が一つの願掛けを千代に示した。
「どちらです?」
示された絵馬を受け取り、目を眇めて内容を確認した千代は、レベルを目にしてぶんぶん首を振った。
「ちょちょちょ、ダメですよ蘇芳さま! これ、レベル捌(8)じゃないですかっ。どんな難しいお願いごとか……」
蘇芳が提示した願いごとは、レベル捌。確かに成功すれば評価もあがるし、更迭されるまでの期日も大分伸びる。
けれど、レベルが高いと言うことは、願う気持ちが強く……難易度も高いと言うこと。素朴な願いと言うより、自分ではどうしようもない願いである可能性が非常に高い。例えば死んだ人を生き返らせてください、とか。そういった理に逆らうことは、失敗云々の前に不可能であり、受けるだけでペナルティを科される案件だ。
「難しくなさそうだよ」
頑なに首を振る千代に、蘇芳はあっけらかんと言った。
それでやっと千代も願掛けの内容に目をやる。それから、瞼を瞬いた。
「『遠足の日が晴れますように』? い、意外と普通……ですね」
「ここ最近、カミナシ市は雨がずっと続いているからね。さすがにそろそろ晴れても良い頃だ。龍神殿にこの日は雨を降らせないように頼み込めば良い」
言って、蘇芳は立ち上がった。両手を天井につきあげ、うんと伸びをする。
「確かに、そうですが……」
「ふふふ! 早速頼み込みに行こう! 何だかやる気がでてきたぞ!」
戸惑う千代に、蘇芳は子供のようなキラキラした笑みを向けて両手を大きく広げた。
彼はさっさと内々陣を出て、階段を降りると雪駄を履いた。千代はその背を慌てて追いかけた。
「ま、待ってください、蘇芳さま」
千代も慌てて草履を履く。と、低く笑う蘇芳の声が耳を打った。
「レベル捌なら、更迭期日が半年は延びる……暫くはゆっくりのんびり何も気にしないでゴロゴロできるぞ……」
「心の声、ダダ漏れですけど」
「さぁ行っくぞ~」
蘇芳は千代の指摘を無視して、片手の拳を振り上げた。
「だ、大丈夫なのかな……」
千代は、軽い足取りで竹林をゆく蘇芳の背を眺めて、不安げに嘆息した。
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