第2話 思い出は輝いて(2)
それから十年が経って――
西暦二〇一六年。桂成元年、五月。千代は十七歳になった。
中学を卒業して巫女養成学校へ進学した千代は、熱心な努力のかいあってカミナシ市の巫女に選ばれた。
巫女とはすなわち神の仕事を手伝う神聖な仕事。
悩み苦しむ人を手助けをすることは、千代にとって魅力的だった。蘇芳が助けてくれたように、足踏みしてしまっている人の背を優しく押し出すことは素敵なことだ。何より自分に自信をくれた蘇芳を助け、恩返ししたい。この進路を選ぶことは千代にとって決定事項だった。
「蘇芳さま……」
みそぎを終え叙任式を経ると、ついに蘇芳に対面する時がきた。
千代は白い着物に赤い袴の巫女衣裳に着替えてその時を待っていた。
脳裏に幼い頃の思い出がきらきらと輝いて浮かんでは消えていく。蘇芳のけだるげな目元を思い出す。優しい声が耳に蘇る。
千代が案内された社の中は、四方に榊を縛り付けた柱があり、真ん中の空間には非科学的な光の球体が浮いていた。
その前の中央に、白の袴の神主が、その左右に黒の袴の神主が一人ずつ立ち、祝詞を唱えている。
やがて声が止むと、中央の神主が千代を振り返った。
「余り気を落とさないように」
そっと肩を叩いて、彼は言った。
「新しい神に交代するまでの辛抱だから」
「はい……?」
左の神主が、別室へ行き書類を持って戻ってきた。
「頑張ってね」
言外の意味を込めるように、力強く微笑んで書類を千代に手渡す。
千代はきょとんとしながら書類を受け取り、部屋の中央の光に足を向けた。
十年ぶりの蘇芳との再会だ。
千代はごくりと唾を飲み込んだ。さまざまな感情がわっと胸に押し寄せてくる。千代は深呼吸して高鳴る胸を抑えると、真剣な眼差しで前方を見据えた。遂に一歩踏み出す。
「うわっ」
光の球体に触れると不思議なこと起こった。
自分の周りの空間がぐにゃりと歪み、それと共に自分の身体が球体に引き込まれたのだ。
一瞬、意識が飛んだ。
そして目を開けると、前方には見渡す限りの竹林が広がっていた。
薄暗いそこは少し肌寒い。
高い竹を見上げると、ぽっかり青い空が見えた。小雨の続くカミナシ市ではない。空気もどことなく静謐で、今まで千代が生活していた世界と根本的に違う気がする。
晴天に、鳥の影が流れ、どこからともなく小鳥たちの囁きが聞こえてくる。
ふと前方を見やれば、一本の細い道が、奥へ奥へと続いている。背後を振り返ると、潜ってきた光はなく、道も千代が立つそこで途切れている。
千代は一つ深呼吸をつくと、歩み始めた。
一時間も代わり映えのない場所を道なりに歩くと、鳥居の背後に一つの社が見えてきた。
千代は深々と礼をして、鳥居を潜った。社の前まで辿り着くと、大きな声を張り上げる。
「本日、巫女に任命されました、八雲千代です!」
風がさわさわと梢を揺らす。
辺りは静まり返り、期待した応えはない。
「え、えーっと……?」
何かあったのだろうか。
もしかして……と考えて、千代は顔を真っ青にした。古くなったお供えものを食べてお腹を痛めたとか。
「蘇芳さま! 失礼します!!」
扉を横に引き開け、千代は目を見開いた。
薄暗い内々陣の床中に、本の高層ビルが建っている。その横には電源の入ったまんまのパソコン……勢い余って踏み込むと、ビルがどしゃりと倒壊した。
「す、蘇芳さま? どちらにいらっしゃいます、蘇芳さま!!」
後で片付けると心の中で誓って、千代は歩を進めた。
蘇芳は声もあげられないほど弱っているのかもしれない。焦りで胸が早鐘を打つ。
その時、千代は何かを踏んだ。
柔らかい感触。何やらふにっとしていて、ごりっとしていて――
「痛い」
それは声をあげた。
「え」
「踏んでる」
固まった千代は、恐る恐る声を辿り踏んだものをなぞり――
「ぎゃあああああ! 蘇芳さま!? 蘇芳さま!! どうされたんですか!?」
見覚えのある顔に行き当たり、千代は悲鳴を上げた。
本の山に埋もれるようにして、蘇芳が横になっていたのだ。
記憶の中と変わらない、少し長めのざんばらな黒髪に、鉄色の着流し。彼は自身の上に落ちた本をどけることもせず、千代を見て口を開いた。
「いや、昼寝してたら本が崩れてきて」
「きゃあああああ! すいません、それ、私のせいですっ」
「あ、そうなの。それで、えーっと、君は……?」
顔だけを千代に向けて、蘇芳は問うた。千代は背筋を正した。
「はい! 私、本日付けで蘇芳さまの巫女になりました、八雲千代です」
「あー……ああ、そっか、またいなくなっちゃったのか」
ちらりと目線を千代から外して、蘇芳がぼやく。千代は眉根を寄せた。
「また……?」
「いや、こっちの話。まぁ、適当にしててよ。僕、そろそろ交代だから」
「こ、交代? ど、どういうことですか」
彼は寝転がったまま、千代の手にする書類を取り上げると、あるページを捲り、そっと突き返した。そこに記されているものをみて、千代は瞼を瞬いた。
「こ、これは……」
『警告。一週間以内に願いを受諾すべし。法令違反の場合、更迭処分とす』
「僕、あと2回お願いごと叶えられなかったら更迭なんだよね」
「大変じゃないですか――――!!」
思わぬことに、ぐしゃりと書類と潰してしまった千代とは真逆に、蘇芳は手を胸の上で組むと目を閉じた。
「まぁ、君はゆっくりしていなさいよ。それじゃ」
「それじゃ、って……蘇芳さまはこれから何されるんですか」
しゃがみ込み、蘇芳の上に落ちた本をどかしながら千代は問う。
蘇芳は薄目を開けて千代を見ると、目を閉じた。
「二度寝三度寝、五度寝くらいまで。……ぐぅ」
「だ、だめですよっ」
わざとらしい寝息に、千代は蘇芳の肩を揺すった。
が、信じられないことに、蘇芳は本当に寝てしまったらしい。
呼吸に合わせて器用に鼻提灯が膨らんだりしぼんだりしている。千代は初めて鼻提灯の実物を見た。
「蘇芳さま! 何を悠長なことをおっしゃるんですか」
失礼を承知で、頬を叩いてみたが、うんともすんとも反応がない。
「蘇芳さま……っ!」
千代は蘇芳の腕を引っ張った。
操り人形のように蘇芳の上半身は起き上がったが、寝たままだ。
手を放すと、もの凄い音を立てて後ろに倒れた。
千代はアッと冷や汗をかいた。さすがにやりすぎだ。
が。
「すぅすぅ」
幸いなことに(?)、規則正しい寝息が聞こえてくる。千代は、とりあえず安堵の溜息を吐いたが……
「……どうしよう」
千代は蘇芳が起きるまで、待っている他なかった。
彼が起きたのは、たっぷり五時間も後のことで、陽は西に傾き、空が錆びた鉄色に染まる頃だった。
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