第2話

夜のうちに吹雪の峠は過ぎたようだが、まだ日中になっても完全にはやまない。

そんな天気をものともせず市場の人たちは買い物を楽しんでいる。

その様子を街を見下ろす要塞の一室から眺めている二匹の犬がいた。

一匹は華奢で、もう一匹は対照的に筋肉質だ。

真逆の二頭の隣にはぴんと立った三角の耳金色の目を持った寡黙そうな犬が立っている。

三匹の犬の視線は眼下の市場に注がれており吹雪を射抜いて一人一人の挙動を細かく観察しているようだ。

目線はそのままに、金目のヨーロピアンシェパードが口を開く。

「先週も数頭の魔法使いを捕獲したのは、貴官らも知っているな」

「はい。亜人に化けてああして市場に繰り出しているところをつけて捕まえたとか」

「ははは、自分達の立場を分かってるはずなんですけどね」

「うむ。週末の人ごみに紛れて奴らは里に下りてくるのだ。では、行こうか」

シェパードが身を翻し、部屋を出ていく。

そのあとをボルゾイとコーカサス犬がついていき、粉雪へと変わりつつある表へと共に繰り出していくのだった。

 同じ頃、カメーリヤとリコリスも家を出て下山し始めていた。

吹雪の名残で雪が倍に積もっており普通の狼の大きさであるカメーリヤは苦労している。

胸まである雪を強引に押しのけ、前方に飛び跳ねてはその勢い以上に雪に埋もれたりと進むに進めていない。

一方3m以上の体高のリコリスは悠々と進んでいく

足元でもたついているカメーリヤを見かねて銜えて助けてやると、すっかりカメーリヤは疲労困憊の様子だ。

家を出てからまだ30分もたっておらず、まだまだ中腹にすら遠い。

「せっかくの誕生日なのに……」

「しかたないね、運んでやるからしっかりしな。ごちそう買うんだろう」

「あぁ、はい……」

「飛ばすよ。目を閉じな」

言葉を放ちながら一歩を踏み出すと、嵐のような勢いで突き進んでいく。

舞い上がる雪煙に視界を奪われても、リコリスには大した問題ではない。何十年もこの山で暮らしているのだ。

山の地理は完璧に頭にあるし、嗅覚は年を取っても衰えてはいない。

銜えられたカメーリヤは雪だるまのようになっているがリコリスが足に力をこめて地を蹴り込むと

粉雪が周囲に煌きを与え、それと同時にカメーリヤの体の雪も散っていった。

その時の彼女たちの眼前には、晴れ渡った青い空と太陽があった。

着地と同時に再び大量の雪煙がその景色を瞬間的に覆ってしまったが、

次第にそれも風に流されていき、その風に市場のにぎわいを聞いた。

「麓が近い。そろそろ変身していこう」

「わかりました」

前足に力を入れて、勢いで後ろ足で立ち上がると青いコートをまとった三つ編みの白髪の少女になった。

耳と尻尾だけは変わらずにふわふわで大きなままだ。

リコリスが目を閉じて念じると一陣の風が勢い良く吹いて雪を軽くさらっていく。

風が止むとその雪煙の中にはローブを着込んで杖をついた老人が立っていた。

「せっかく変身できるんだからもっと若い姿になればいいじゃないですか」

「腰が痛くてね」

はたから見ると老人と孫のような風になり、人間の歩行の遅さに普段の意識がついていかなくとも、

二人で話していれば雪かきされて整備された道がそのくらいの速さで市場へ導いてくれた。

 そこかしこから、肉やパンの焼けるおいしそうな香りが自分の鼻をくすぐってくるので

ヴァルディッシュの興味はあちこちに向く。

「いやあ~、やっぱりいいなあ市場は!あとで俺たちもなんか買っていこうぜ。体が冷えちまう」

「その毛深さを以てしてもなお冷えるというなら己の鍛錬が足りんのだ」

「へへへ、ほそっこいお前さんに言われちゃかなわんな」

確かに細い。美麗な銀の虎毛の巻き毛の向こうにあばらが透けて見える。

胸部から腹部にかけての曲線美たるや見事なものでその肉体美は猟犬として最高の見栄えといっても過言ではない。

纏った必要最低限のその筋肉を鍛えるだけ鍛えて得たその体躯が、

ボルゾイ系の混血魔法使いである彼の俊足をさらに強力なものとしている。

その俊足を生かした一撃必殺を得意とする彼の名前はキンジャール。

その後ろで落ち着きなく市場の店を眺めている馬鹿でかい黒い毛玉のような彼はコーカサスシェパード系の

混血魔法使いのヴァルディッシュ。見た目に違わぬ怪力でキンジャールと二人で幾人もの魔法使いをねじ伏せてきた。

この二人、見た目も性格も真逆だが幼少のころからの腐れ縁でとうとう大人になっても

同じ職に就き、同じ立場にいる。今日は上官からの命令により、魔法使いが市場に来ていないか探りに来たのだ。

彼らが出歩いていることは、一般人から見れば市場の警備にしか映らないので、

時々顔見知りが差し入れをくれたり、声をかけてくれたりと、その様子は穏やかだ。

誰も彼らが魔法使いを目当てに動いているとは思わないだろう。

実際、上官のピスタリエ大佐にも気取られぬようにと言いつけられているので

いたって自然体のまま彼らは任務を遂行している。

いつも通り過ぎて緊張感がないヴァルディッシュにキンジャールが呆れた顔をしているが、これもまたいつものことである。

彼らに市場を任せた張本人であるピスタリエ大佐は市場の外のほうを主に一人で監視の目を光らせている。

身軽な彼は市場の柱に器用に上ってみたり、そこから暫く市場の様子を見入ったりしていたかと思いきや、

唐突に市場内の壁や櫓を一跳びしたりと中々の大道芸っぷりで彼の姿を見て歓声が度々湧き上がる。

ふと何かに気が付くと、今度は迷子の前に降りたって宥めたりと、本来の任務以上のことも難なくこなしていく。

魔法使いへの警戒と、市民を助けたり楽しませることも、彼にとっては同様の大切な仕事だった。

無事に迷子を母親の元に送り届けた彼の誇らしい顔が、それを物語る。

 

このように、週末の市場は人々であふれていて道の雪もほとんど残っておらず快適に歩ける。

来るたびに世話になっている肉屋に予約の品を受け取りに行くとおまけで鶏の唐揚げを1パックつけてくれた。

予約したラム肉はカメーリヤの大好物だ。次の目的は市場の奥の方にある町一番のケーキ屋。

このケーキ屋だけではないが市場には菓子を取り扱う店も多く、甘い香りが焼き物と同じくらいに市場には広まっている。

チョコレートは狼にとっては毒なので食べられないが、フルーツタルトなら話は別だ。

自然の甘さと砂糖の甘さを同時に食べられる機会はこういった特別な日にやってくる。

店につきケースに並べられた様々なケーキに少し迷いながら、

結局初めから決めておいたフルーツタルトをワンホール注文するカメーリヤをみながらも、

リコリスの耳はローブの中で不穏な気配の方へ向いており、意識もそちらに傾いていた。

幾ら人が多いとはいえ殺気立つ人間はそうないだろう。

まして彼らは一般人でありそんな意識を明確に抱いたことなどあるだろうか。

可能性から考えて、それは低いとわかっていても、ささやかな焦りがリコリスの心を染めていく。

さっきの歓声の最中に、聞いたことのあるような名前を聞いた気がするが

聞き間違いだと頭の中で強引にその考えをねじ伏せようとして表情も暗くなる。

一方、カメーリヤは受け取ったタルトケーキを大事そうに片手で抱えている。

もう片方は大量のラム肉の袋をぶら下げており幸せを両手にして満面の笑みを浮かべていた。

あまりに能天気そうな表情なので見かねたリコリスが忠告する。

「あんたはねえ。昨日も言ったが、魔法使いとばれたら大変なことになるかもしれないんだよ。

 買い物も済んだしさっさと帰ろう」

「はい。でも珍しいですね、リコリスがそんなに慌てるなんて。どうかしましたか?」

「ふん、あんたが浮かれている上に忘れっぽいから忠告しただけだよ。

 昨日だって今まで散々教えた魔法使いの危険について私に聞き返してきて……」

「さ、さあ!行きましょうか!」

リコリスの愚痴を強引に振りほどき、荷物の袋をケーキを抱えたほうの腕に預けてリコリスの手を握った。

人間ならではの行動を無意識に行うカメーリヤを見て「ほう」と心の中で呟きながら、

リコリスも手を握り返して歩き始めた。カメーリヤは見た目だけなら育ちのいい御嬢さんのように見える。

毛並みもよく、言葉遣いも丁寧なのはリコリスの厳しい躾の賜物だ。

しかし、どこか抜けていて掴みどころがない母譲りの性格だけは、厳しい躾でも矯正はできなかった。

しかしこれにはリコリスも満更な様子ではない。

一五年前に失踪した友人を思い出すらしく、あまりこの点にだけはくどく言わないようにしている。

 人ごみは正午を過ぎて少し解消されたので二人で手をつないでのんびりと買い物の余韻に浸る余裕ができていた。

が、その握られた手にいつの間にか力が込められていることに気付いたカメーリヤが心配そうにリコリスを覗き込んだ。

「どうしました?やっぱり腰が痛いです?」

「いいや、そうじゃない。……あんたはやっぱり感じないんだねえ。早くここを抜けよう。

 妙な殺気をずっと感じいてね。多分赤頭巾たちだ。これが、どういうことかわかるね」

「……!」

一瞬でカメーリヤの表情は事態を飲み込み真剣なものへと変化したが、悟られまいと作り笑顔を見せた。

リコリスもカメーリヤの機転に緊張をほぐされ、つられてにやりと笑ってしまった。

冷静に事態を把握しながらも、自分の誕生日であることも忘れたわけではない。

警戒心を笑顔で覆い、三つ編みをなびかせて少女と老人が再び市場の石畳をゆっくりと歩んでいく。

ひと段落し始めたにぎわいを包んでいた甘い香りが、冷たい空からの風に散っていく。

その散った風の一片に、大佐の鼻が疼き、同時に耳についた超小型通信機に命令が吸い込まれていく。

「魔法使いと思しき気配を感知、二人とも再び私の号令があるまで出口にて、追跡準備をしつつ待機せよ」

「了解」

その瞬間、彼らの意識が急激に本気のものへと変貌していく。

すでに彼らの顔には先ほどまでの余裕の一切が切り捨てられており、殺意と決意がにじんでいるだけだった。

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赤頭巾と魔法使い -猟犬と狼― そら @animagiku

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