赤頭巾と魔法使い -猟犬と狼―

そら

第1話 

おお―かみ【狼】

1.魔法使いの俗称。かつては魔法使いが狼に変身すると信じられていた。

実際は狼の姿をした生き物。人語を話す。2とは全く別の生き物であり絶滅した。

2.イヌ科最大の哺乳類のこと。

白色の癖毛とは対照的に前髪だけは念入りに手入れをされており、揃った髪が額にきれいにかぶっている。

その髪の色とは裏腹に、彼女の目の色は鮮やかだ。赤、白、金、緑といずれも濃い色の四色が両目を彩っている。

ささやかだが左右の目の配色に差があるので、オッドアイと言えなくもない。

そんな視線が古くて分厚い辞書の文字を追い、同時に頭から生えた狼の耳が小刻みに動く。

それが止まると同時に本は閉じられ「はあ」と少女はため息をついてぽつりとつぶやく。

「絶滅なんかしてないんですけどねえ……」

「そりゃあそうだけど、普通の人間はそんなことを知らないのは当然さ。

 普段私たちは人間に幻覚を見せてともに生活しているから気づかれないしね」

少女のすぐ後ろで伏せていた巨狼がそれにこたえる。

「気づかれたらよくないの?」

「隣に書いてあるだろう。よく読みな」

巨狼が鼻先で差した項目にはこうあった。 

 おおかみ―がり【狼狩(り)】

魔法使いを狩猟または迫害すること。主に銀を用いられた武器で行われる。

魔法使いは銀で傷つけられると魔法の源である血液が凍結しそのまま死ぬといわれている。

現在はすでに魔法使いは絶滅しており行われることはない。

短いながらも物騒な答えがあった。この世界では魔法使いとそうでない生き物に大別され、魔法使いは特別な生き物なのだ。

彼ら、あるいは彼女たちは人間ではなく、二つの心臓をもった狼だ。

一つの心臓は間違いなく哺乳類の狼のものだが、もう一つほかのどの生き物とも違う心臓で、故に魔法使いの心臓と呼ばれる。

この二つの心臓を介した血液は通常の生き物が持ち得ぬ超能力を宿すようになりそれが彼らの力の源になっている。

具体的にどんなことができるかといえば、幻覚を見せたり、怪力を発揮したり、傷を癒したり。

強い力を持つものの中には自然現象を操るものもいたりと多種多様のこういった能力を人々は魔法と呼んだ。

時には神と崇められたものもいたという。

しかし、その超常的な存在を畏怖したり、深い蒼色の美しい血液を求め私欲に走った人間は武器を手に彼らを襲い始めた。

彼らとて無抵抗であったわけではない。しかし最大の弱点である銀の前には成す術なく次々とたおれていった。

狩猟目的の際は銀の武器ではなく、罠を張ったりして動きを封じて薬殺するのが常套手段だ。

いくら魔法使いといえども万能ではない。修復が不可能になるほどのダメージを負えば当然死んでしまう。

毛皮もとれて一石二鳥ということでかつて大変流行し、狼、もとい魔法使いたちは随分と減ってしまった。

いまや絶滅したとさえ言われているのでよもや彼女たちが人に幻覚を見せながら人里に下りていると思うものはそういないだろう。

無論、狼の姿でいても魔法使いと気づかれない可能性もあるが万が一気づかれればまた昔のようなことが起きないとも限らない。

 人間からの裏切りの時代を生き抜いてきた魔法使いたちは今、人の社会の中でひっそりと暮らしている。

確かに数は随分と減ってしまったが、絶滅とはまだほど遠い。

野に生きる者、街に生きる者、生きる場は違えども魔法使いたちは今日までも生存している。

しかし、最近は最近で、また新たな危険があったりもするわけで、それは先の巨狼の鼻先にあったとおりだ。

狼狩りは一般人には既に廃れた習慣と思われている。

辞書にも載るのだから「常識」として認知されているといっていい。

だが、実際のところは未だに世界的な規模で行われ続けている。

現在は、その超常的な存在への畏怖だとか、その血が美しいとかが理由なのではない。もっと具体的な理由だ。

そして、昔よりも遥かに理不尽な理由。

今は世界中の国々が魔法使い狩り専用の軍隊を保持しており、その彼らが暗躍する理由は元をたどれば国家間の戦争だ。

かつてどこの国も戦争に明け暮れた時代があった。

その果てにどの国も同じように疲弊し、ついには勝者も敗者もない結果を招いた。

その戦争の経緯と結果を、国々はこぞって魔法使い達のせいだと国民に発表しだしたのだ。

この争いの発端は、魔法使いが人類を陥れるために仕組んだことなのだ、と。

「そんなわけがあるわけない」という意見を言う者は容赦なく粛清され、

戦争の真実は瞬く間に覆い隠され、偽の情報が本物であると広まっていき、現在に至る。

魔法使いという存在は今や悪とされ、その存在を国に報告すれば国から大金がもらえたりするような時代になってしまった。

その報告を受けた時に、無実の罪の魔法使いたちを裁くのは「赤頭巾」と呼ばれる軍隊である。

真っ赤な頭巾、もとい帽子を身に着けた猟犬たちで構成されており、

それぞれ足が速かったり、視力が鋭かったりと魔法使いに負けず劣らずの能力を身に着けている。

その理由は戦後の魔法使いの摘発による、生け捕られた魔法使いたちにある。

彼らの多くは生け捕られた後にあらゆる実験の被験体にされたり、

強制的な交配を強いられ、その特異な種族性を歪まされてしまった。

その内の一部の特別な血筋が、今の猟犬たちだ。

彼らもまた魔法使いと同じく人語を話す知性があり、違いは狼ではない猟犬種の見た目と、心臓の数と、血の色だけだ。

 何代にもわたって交配を重ねられてきたが、

「狼狩りに適した猟犬の特性と魔法使いの能力」を完全に有した種族の作出には至っておらず

未だに「狼狩り」につかまった魔法使いは、そういう実験に使われた果てに殺されて終わるのだ。


そういった危険から身を守りながら、この少女と巨狼は暮らしている。

決して便利とは言えないような山奥に建てた家に廃屋の幻覚を纏わせたこの家に

「カメーリヤ」と名付けられた仔狼が連れてこられたのは十五年前のこと。巨狼の友人が、吹雪の中訪ねてきた。

ごうごうと風の音が猛り狂った晩のことで巨狼にとっては忘れがたい出会いと別れの日だった。

風の音にまぎれて、戸を叩く音がする。

器用に鍵を外して声をかけると表から痩せた雌狼が雪まみれのまま入り込んできた。

口元には、これまた雪まみれの赤ん坊が震えている。痩せた体に四色の色が瞳に揺れる。

「ひさしぶりだね、フリザンティーマ。こんな夜更けに子供まで連れてどうしたんだい?」

「……」

フリザンティーマは無言のまま、しきりに子供をぐいぐいと友人に見せるだけでそれ以上のことは何もしない。

巨狼は友人の奇行に困り果てた様子で狼狽えていたが、その目が次第に涙で潤むのを見て思い出した。

自分がその道を捨てたことで、本来なら自分もこうなることを、随分と昔に忘れていたのだ。

思い出したことを切欠に巨狼が子供を受け取ると、

フリザンティーマは一度だけ振り返り子供を見つめ、たどたどしい言葉で一言だけ喋った。

「か……カメーリヤ」

そういうと彼女は吹雪の中に消えていってしまった。

後日、巨狼がカメーリヤを連れて彼女の巣穴へ向かったがあの後彼女が帰った形跡は、見当たらなかった。

代わりに、巣穴の奥に瓶に強引に押しまれた手紙とかわいらしい包装紙に包まれた小さな箱があった。

状態から察するに、手紙のほうはかなり慌てていたのだろう。

昨夜の状況を見れば彼女が慌てるのも巨狼には察しがついた。

自分でも想像していた以上に能力の喪失が早く、それで彼女は急いで手紙を書きあげたのだと思う。

でなければ、もう少し綺麗なまま手紙を残すだろうから。

持ち帰り、カメーリヤにミルクを与えながら手紙に目を通す。

どうやら一度に書いたのではなく時間を見つけつつ書いたようで、微妙に字の状態に差がある。

そして、手紙の終盤になるにつれ、それは顕著になっていった。


 リコリスへ

お久しぶりです。お元気ですか。

この手紙を読んでいるということは私は無事にあの子を貴女に預けることができたのだと解釈します。

本当は妊娠が分かってからすぐに貴女にも伝えたかったのですが赤頭巾たちが山をうろつきがちになっていて、

なかなか伝えることが難しい状態でした。子供の名前はカメーリヤです。誕生日は二月三日。

貴方も知ってのとおり、私たち魔法使いの夫婦は、性行、妊娠、出産を正常に経験したのち、

徐々に魔法使いとしての能力や記憶を失っていきます。

個人差はあるといいますが、この子が大きくなるまでに記おくを失うかもしれないので、

私はりこりすにこの手がみをかくことにしました。

いっしょにおいたはこは、つばきのおしやれなとけいです。かめーりやがおおきくなつたらわたしてください。

よんでくれてありがとりこりす。わたしはもうすこしでぜんぶわすれますがあなたがずとおぼえてくれているとうれしいです。

あとは、肉球や爪の跡が残っており、所々滲んでいる文字もあった。

彼女がカメーリヤを身籠ったことを切欠に知能が通常の獣へと近づいていく様子が書き残されていた。

あの晩きっと彼女は、途切れ途切れの記憶をたどりながら

魔法使いの自分としての最後の役目を果たそうとしたのだろうとリコリスは思う。

魔法使いとしての記憶には、自分で生んだ子のことも含まれる。

もし完全に失ってしまったら彼女は自分の子供と気づくこともできず、魔法使いとしての教育もできず子供と接することになる。

そんな不完全な環境で魔法使いの子を育成するのは不可能だ。

魔法使いたちは子孫を残すと力を失っていくが、子供の育成期間にそうなるかどうかは個人差がある。

フリザンティーマのように非常に早い段階でその機会が訪れる場合もあれば

ある程度子供が大きくなるまで特に問題にならない場合もあるので魔法使いが生まれて無事に育つ確率は五分五分だ。

リコリスのもとに預けられることになったカメーリヤも、彼女に助けられければ生きてはいなかったかもしれない。

そんな十五年前をぼんやり思い出していたリコリスの耳に、午後十一時の柱時計の時報が届き、その思考を一度収めることにした。

「カメ―リヤ、そろそろ寝なさい。変身も解いていいよ。今日も訓練お疲れ様」

「ありがとうリコリス」

カメーリヤは言葉と同時に変身を解くと全身が柔らかな癖毛に覆われた白い狼の姿になった。

目だけは変身前と変わらず四色の椿色のままだ。少女から獣の元の姿になったおかげで、目つきは鋭くなっている。

これが、カメーリヤの本来の姿だ。幻覚を見せる訓練は数年前にマスターし、今は実際に人間に変身する訓練を日々続けている。

人間といっても、この世界に純粋な人間はおらず、大多数は亜人やさらにそれ以外の人外だ。

カメーリヤは狼以外の姿をとるために、自分の特徴を持った亜人の少女を選んだ。

最近は、起床から就寝までを少女の姿で過ごしていることが多いが、

就寝前のリコリスの声で変身を解いた時の適度な疲労感に幸せを感じていたりする。

人間社会に溶け込むために必要な経験を今日も積んでうれしそうに「おやすみ」といって、自室へ向かっていった。

彼女がうきうきするのも無理はなく、明日は久しぶりに街へ出て自分の誕生日の買い物をするのだ。

日頃の成果を見せる機会と十六歳の誕生日を楽しみに、ベッドに潜り込んだ。

しかし彼女の期待とは裏腹に、天候はあの日の晩のように荒れ始めていた。

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