第16話 魔術研究部部長・夜来しずむ。おわかりいただけただろうか

 その日の受業の内容は、さっぱり頭に入ってこなかった。ずっとかすかのことを考えていたからだが、思考の筋道は混線して何をしたらいいのかもハッキリしない。あさりが今日も学校を休んでいるのも誤算だった。直接会っていろいろ話せれば、おれとはぜんぜん違う立場からの意見で良いアイデアが浮かんだかもしれないのに。


 放課後、気が付くとアニ研の部室にいた。青木部長から、新入生勧誘についてあさり先生の返事を聞かれた以外は、ずっとあさりから送られた抱き枕のラフ絵を見ていた。「ちょ、八木チャンそれナルコレプシってるの? バッドエンド確定だから、他の女全員抱いてから出直して来いみたいなwww」などと言われたが無視した。かすかが寂しがっているから、今日は早めに帰ろう。


「ロリ巨乳ktkr《キタコレ》!!」

 帰ろうかと思ったときに、クメの奇声が響いた。

「ヤッギー、あさり先生の新作だぞ!」

 そう言って、青木部長がモニタをこちらに向けてくれる。昨夜のラフに、簡単な色が塗られた第二校が表示されていた。髪型が未定だからだろう。顔のところは、薄くぼかしが入っている。


「童貞を殺す服で低身長巨乳ときたら、顔はロリ系タヌキ顔で決まりでしょwww」

「髪の毛が青ならなあ……」

「貧乳派の部長が巨乳抱き枕に食指を伸ばすとかヤバイwww」

「これは、小冊子のほうもぜ」

「裏面のポーズも、魔改造していろいろ取り付けやすそうで、これマジ神でしょwww」

かすかが、こんな連中に買われていくのを想像したら、おれの中の処女厨が暴れるのを抑えるのは無理だった。


「緑髪でロリ巨乳なんてヤッギーのド真ん中じゃん? 勝利のコメントを聞いてみようかな」

「好き勝手、言いやがって……」

 青木部長に話しかけられた瞬間、おれは立ち上がり部長の顔に拳を叩き込んだ。メガネを吹っ飛ばされた部長は、呆然としながらしりもちをつき、クメが「ヤベエwww 俺たちの神聖な部室ホーリーランドでタイマンはじまったwww」と騒いでいた。こっちを殴れば良かった……。


 クメへの苛立ちで冷静になったおれは、自分が何をしてしまったのかに気付いた。「……ごめん、部長」とつぶやいて、廊下に飛び出した。何を怒っているのだろう。昨日までのおれは、彼らと何も違わないのに。抱き枕をダッチワイフのような性玩具として消費し、そのためのノウハウをネットで調べて試行錯誤する。どう取り繕っても性欲以外の何物でもない行動をするだけの気持ち悪いオタクだ。


「くっ……そぉおおおおおオオ!!」

 走りながら我知らず雄叫びを上げたそのとき、廊下の曲がり角から突然、人影が現れた。足が止まらない。激突する。

「あっ……」

 互いの身体がぶつかり合い、足が絡み合ってもつれ、ふたりして勢いよく床に倒れ込んだ。


 リノリウムの床に強打した肩がずきり、と痛む。

「すっ、すみません! 大丈夫ですか!?」

 声をかけつつぶつかってしまった相手を見やると、背中から床に倒れたおれの胸の上に身体を重ねていた。咄嗟に庇うことができたのだろう。少なくとも、倒れたときの衝撃はおれが受け止めきったはずだ。こんな格好でいるのはいろいろよろしくない。目の前にあるその人の肩を掴んで、どいてもらおうとした。華奢で丸い肩だった。


「だ、大丈夫ですか?」

 もう一度問いかけたおれの胸に伏せっていた頭が持ち上がると、艶めく黒髪がとろり、と垂れた。眠たげに細められたまなこが、長い睫毛の下で濃紫色に光って、こちらを見つめる。


 初めて見る顔の女生徒であった。いや、普段から女子の顔などろくに直視できていないのだが、それでもこんな美人がいたら嫌でも目につくはずだ。至近距離で見つめ合っている気恥ずかしさや緊張から、実際以上に美しく感じられるだけだろうか。


「あの、そろそろどいてくれません?」

 黙っておれの上に乗っかったままなので、目を逸らしながらそう言うと、女生徒はこくりと頷いた。おれの胸に手をついてゆっくりと身体を起こし、立ち上がった。


「女性を抱くのに、慣れてらっしゃる?」


 廊下でぶつかってしまった相手から、女の人を抱き慣れている人だという突然の指摘をうけ、おれはひどく混乱した。抱きおんななら毎晩抱いているけど、そういう言われ方をするのは、たいていおちょくられる時だ。初めて会話する女子生徒からそんな言われ方をするなんて、いったいなぜなんだろう。


「ぶつかったとき、優しく抱きとめてくれましたから」

 小さく言って、女生徒は無表情のまま頬を染めた。なんと返していいか分からず、無言でおれも続いて立ち上がる。

「急にこんなことを聞くのも失礼かもしれませんが……。霊障、ありません?」

 霊障……かすかのことだろうか。突然、この子は何を言い出すんだろう。


「身体を重ねたとき、感じました」

 身体を重ねた……。刺激的な言葉をおれが繰り返すと、女生徒は赤面しながら「そういう意味じゃ、ないです」とつぶやいた。

 状況がよく飲み込めていないまま、おれは女生徒に促されて階段を登る。膝下丈のスカートから伸びる、白くて細い脚が綺麗だ。


「ここです」

 と、女性徒が言うので顔を上げると、ドアに「魔術研究部」と張り紙があった。中は黒い遮光カーテンがかかっていて、廊下からの光だけが差し込んでいる。電気をつけようと近くの壁にあったスイッチを入れると、天井の蛍光灯ではなく壁のあちこちに間隔を空けて設置されたアンティークじみたウォールランプが点灯し、弱々しく辺りを照らした。


 床の中央には何やら魔法陣のような紋様が白線で描かれ、部屋の奥にはオカルトっぽいグッズが置かれている。白骨模型、ミニチュアの釈迦如来像、古代のギリシャ人だかローマ人の胸像、七十年代の新宿の巨大地図、梵字が筆書きされた垂れ幕、『私家版セフィロトの樹』と銘打たれたうねうねした系統樹の手描きポスターなど、見るからに怪しい。


「君は……?」

「私は魔術研究部の部長、夜来やらいしずむです」

「あ、おれは八木颯太。三年D組の……」

「あの、私……八木さんと一緒のクラスです」

 クラス替えがあったばかりだし、あさりくらいしか同じクラスの女子で話す相手もいないからわからなかった。


「普段はなばりの術を使っているので、仕方ないです」

「……術、ですか?」

 彼女は頷くと、いまいち信じられないおれの前で姿を消した。

「見えますか?」

 と、目の前から声が聴こえるけど、見えない。驚くおれの様子がおかしかったのだろう。仄かに笑いを浮かべながら、再びおれの前に姿を表した。


「魔術が使えるのはわかりました。それで、霊障がどうこうっていうのは……」

「長くなりそうなので、座ってお話ししましょう」

 そう言われて勧められた椅子に座る。椅子は普通の教室にあるものと一緒だった。おれの不可解かつ猥雑で下卑た話にも、彼女は笑ったり否定したりすることなく、真剣に聞いてくれた。


 こんなオカルトじみていて荒唐無稽なおれの苦悩が、本当におわかりいただけたのだろうか。

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