第15話 現実はエロ同人のようにうまくいかない

「もう、かすかは死んじゃったけど、この抱き枕から出て行く方法は見つからないし……。それなら、そうたくんの理想の女の子になって、ずっと一緒にいてもらえたら、かすかは幸せかなって。でも、そうたくんの理想はアニメの女の子だから、それに合わせていろんなこと勉強しないといけないなって……。だから、どの子のどんなところが好きとか、この子にこんなことをしてほしいとか、言ってくれるとうれしいな」


 そんな甘い言葉を伝えられて、側頭部を鈍器で殴られたような錯覚に襲われた。昨日、あさりから聞かれて答えた、理想の結婚相手の性格。


(一途で、献身的で、清らかで、気弱でおとなしいタイプの奥ゆかしい子で、目立つのは好きじゃない恥ずかしがりや。あと、おれに対してだけちょっとエロい)


 まさにその言葉どおりの存在が目の前にいるのだ。いまのシチュエーションは、何度も妄想でイメージしていた「学校をサボって爛れた肉欲の時間を過ごす」パターンのヤツだ。にもかかわらず、喜びよりはるかに大きな困惑のなかで、指一本すら触れる度胸もなく固まっている。さらに「エロくて優しい巨乳の先生に、優しく手ほどきされるルート」に入っていった状況だろう。これが妄想の出来事なら、きっとこのままそういうルートに進む。


 だけど、現実はエロ同人ではない。だって、かすかがここまでおれの要望を聞こうとしている最大の理由は「もう死んじゃっていてほかに行き場がないから」だ。それに、あのかすかが性的なことをされてもいいなんていう前提で話しているわけがない。やっと運命的に再会できた初恋の相手に対して、欲望をそのままぶつけることなんて許されるはずがない。なんだこの重さは。これなら、キモオタ呼ばわりされながらお互いの妥協点を探るほうが、まだ気が楽だったかもしれない。


「どうしたの?」

 と距離を詰めて質問してくるかすかから、おれは逃げ出したくなった。視界の下の方を埋める胸の谷間を直視しないように、おれは顔を背ける。


 かすかはから、おれに対して過剰に気を使っている。この問題を解決するには、かすかがかすかとして生きられる身体を用意したうえで、おれにかすかを捨てる意思がないと伝えるのがいちばんいいのかもしれない。かすかが無理をせずにすむのなら、抱き枕本体とカバーの1セットくらい安いものだ。


 そして、そのための最適解は、あさりの新作抱き枕を元のかすかにより近づけること。ただし、それはかすかをエロ同人枕にして、あられもない姿の抱き枕が世の抱く枕erだきまくらーに抱かれるということを意味する。NTR《寝取られ》シチュエーションに興奮するような性的趣味があれば喜んだかもしれないが、おれの中の処女厨はシミュレーションをしようとした時点ですでに死にかけている。何より、かすか本人が嫌がるだろう。


「ねえ、そうたくんどうしたの? もしかして、かすか嫌われちゃうようなこと言っちゃった?」

 至近距離で不安そうにおれの顔を覗き込むかすかの表情が、おれの罪悪感を刺激する。気がつけば、おれの膝に手を置いているし、胸の谷間おれの意識を吸い込もうとしてくる。


「なんでもないよ」

 とごまかして、おれは朝食を食べ終えると、わざとらしく「うわ、もうこんな時間だ」などと言って、パッと距離を取って学校に行く身支度をはじめた。かすかは、「もっと早く起こせば良かったかな? でも、寝顔を見るのも楽しかったしなあ」なんて呑気に言いながら台所に行き、こっちを見ないように食器を洗いはじめた。


「それじゃあ、留守番頼むな」

 急いで身支度を済ませたおれは、そそくさと家を出ようとした。

「……そうたくん、さっきからなんだか冷たいよ」

 と、制服のブレザーの裾を引っ張られる。ここは「いってらっしゃい」ってサラッと見送る場面じゃないの? 昨日豪快に遅刻しちゃったから、今日は確実に間に合う時間に出たいなどと、適当な理由をつけてかすかを引き離そうとした。


「一人は寂しいから、早く帰ってきて?」

 そんな言葉が耳に入ってくると同時に、かすかに後ろから抱きつかれた。大きな胸の圧力を背中に感じて、頭が沸騰しそうになりながらも自己嫌悪にさいなまれる。「お前も高校生なんだから、寂しいわけないだろ」という言葉が口から出そうになったが、かすかの腕が細かく震えているのに気づいて何も言えなくなってしまった。


「ごめんな、なるべく早く帰るから。お昼とかおやつとか食べるだろ? あまったら必要なものがあったら買っておいて」

 と、かすかの腕を身体から離したおれは、財布のなかからお札を数枚渡した。少なく見積もっても五千円は飛んでいったな……。


「ひとりでお菓子食べてもおいしくないよ、そうたくんと一緒に買いに行って、一緒に食べたい……」

 おれは仕方なくかすかに振り向くと、朝の陽射しに輝く淡い緑髪を撫でてやった。


「わかった。お昼は一人にしちゃうけど、夕飯は一緒に買い物に行こう」

 かすかはおれの言葉を聞くと、涙をこらえながら笑って頷いた。小柄で胸が大きくて、たれ目で……かすかの表情だが、これはかすかの顔ではない。


「ねえ。この子……那又先生は、こういう時どういうことを言うのかな?」

 そもそも、教師と生徒という立場の違いや、サブヒロインという役回りもあって、ここまで主人公との別れを惜しむ場面は存在しないだろう。


「じゃあ、そうたくん、なんて言われたら、もっと楽しそうな顔をしてくれる?」

 好きなセリフを好きなキャラが言ってくれるなんて、そうそうあることではない。だが、これはかすかの怯えからくる行動だ。おれは、いたたまれなくなってしまい、顔を伏せた。


「おれ、こんなふうに手を握られたり、抱きつかれたりしたことなくて、それで緊張してるんだと思う。だから、かすかはそんなに考える必要ないよ。それに、無理してキャラクターになりきろうとしなくていいから」

 そう言ってから、家の鍵を手渡した。おれ以外の誰が来ても開けたらダメだと伝えた。すると、かすかはもう一度正面から抱きついてきた。今度は明るい表情で、回した腕もすぐに離れていく。


「行ってらっしゃい。気をつけてね」

 かすかは落ち着きを取り戻したような明るい声だったが、おれのほうが嗅覚と触覚と視覚と聴覚への刺激でどうにかなってしまいそうだった。

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