第13話 こんなラッキースケベは望んでないよ

 朝見草かすか……今の今まで忘れていた、おれの淡い初恋の相手。いや、そのころ恋と呼べるほど意識していたかどうかすら、もう定かではない。出会ったのは、小学校に入学してすぐのことだったと思う。当時は男女の壁もなく、同じクラスで家も近かったかすかとは自然と一緒にいる時間が増えていった。親同士も仲良くしていたのを覚えている。


 おれは、いまみたいにアニメとゲームに没頭するインドア派ではなく、腕白でやんちゃな子供だった。臆病で引っ込み思案なかすかのスカートをめくったり、虫を近づけて怖がらせたりしては、親にひっぱたかれた。その後でかすかの家まで謝りにいくといつも、目には涙を浮かべながらも笑って許してくれた。


 いつの間にかお遊びは男女のグループに分かれるようになり、クラスも別々になると話す機会も少なくなっていった。思春期に入った男子にとって、小学生時分の思い出など、実際に経った時間以上に遥かに遠く感じられてしまうものだ。徐々に白々しい記憶として薄れ、思い返すことも少なくなっていく。であるからして、「かすか」という名前を最初に聞いた時、連想すらできなくても仕方がないだろう。開口一番に「気持ち悪い」とか言われて傷ついたし……。


 そもそも、彼女とおれの関係は「初恋」と呼べるものだったのだろうか。おれも内心では意識はしていたし好感も持っていたが、それを言葉や行動で表すことはほとんどなかった。そして離れ離れになった彼女は、気がつけばおれのあずかり知らぬところで、既に他界してしまったというのだ。どうしようもないこととはいえ、行き場のない怒りや悲しみがふつふつと湧いて身にわだかまり、自己嫌悪に陥ってしまうのも仕方ないことだ。


 そう、自分を納得させようとしたが、できることなら生きているうちに再会したかったという気持ちを抑えることはできない。姿形が虚構の美少女に変わっていることも大きな問題だ。肉体を喪失した現実の想い人が、架空の恋人の身体を借りて現れるなど、悪い冗談である。


 小学校高学年から二次元に沈溺していく自分に対して、友人の中にはは「かすかがいなくなってから変だ」と言ってくる人もいた。それに反発して、アニメやゲームの物語としての素晴らしさや演出の見どころ、そしてヒロインの魅力などで理論武装したことで、自分の気持ちはどんどん頑なにこじれていった。

 その挙句、消費される複製品の中に唯一的な恋人を見出そうなどという愚行を繰り返しはじめる。思い返すと、かすかの影を液晶モニタのなかに探していただけだったのかもしれない。そんな結論に行き着きそうになり、おれは呻いた。


 それじゃあ、おれの青春は一体、何だったんだ?

 憔悴しきった頭を切り替えなければならない。


 おれは輪郭を取り戻しはじめた記憶から、かすかの容姿を少しずつ再構築していった。かすかの髪は長くさらさらで茶色味の強い黒髪だった。あの頃、編み込んだ髪を一本にまとめて片方の肩に落とす髪型をしていたはずだ。肌は人形みたいに真っ白で、青みがかった瞳も綺麗だった。

 お母さんが外国で育ったハーフなんだと言っていた覚えがある。整った美しさのなかに幼さも感じさせる顔立ちをしていた。唇が厚く、たれ目がちで、頬はいつも照れたように少し赤らんでいた。身長は低めだが発育はよく、同い年の女子と並んでいるときは、膨らみかけというには大きすぎる胸が目立っていた。


 ほかと違っていることは指摘したくなる、ましてや幼稚な恋愛感情の発露はからかいという形を取りたがる。背が低いこと、胸のこと、目が青いこと、本人も気にしているであろう見た目について、かすかはよくからかわれていた。もちろん自分もからかった。感受性の強いかすかは、そうして投げつけられた言葉によって細かな傷をつけられ目をうるませながらも、笑顔を崩さなかった。「気にしてないよ」という態度の表明にはあまりにも拙い、口の端をちょっと上げるだけの微笑が、うっすらと脳裏に浮かぶ。はにかみ屋で、気が弱くて、あまり人に強くものを言えず、いざとなると他の女子の陰に隠れてしまうような性格の子だった。


 さっきまですっかり忘れていたというのに、よくこれだけ思い出せるものである。それから、かすかはどんな高校生になっていたのだろうか。


 人の考えを邪魔するように、スマートフォンがメッセージの通知音を奏でた。ポンポンと音を立てるスマホを急いで取り出し、メッセージを開いた。


  asari : 日付変わっちゃったけど、夕方言ってた抱き枕絵のラフ送る

  asari : 髪型、ツインテとフィッシュボーンどっちがいいか意見求む

  asari : 今から貯金しておけよな


 荒い画像をタップして、高解像度の元データをダウンロードして、おれは言葉を失った。


 ベッドに倒れて正面を向いている半裸の美少女、それは一般的な抱き枕イラストの体裁で、見慣れたものだ。髪型はツインテールとフィッシュボーン、二パターン。雪のような白い肌、たれ目がちの瞳、あどけない顔立ちに浮かぶ微笑、照れや好意を頬に入った斜線が表している。中学生女子ほどの低めの身長、程良く肉付いたボディライン、豊満な乳房……。


 おれが今思い浮かべたばかりの、かすかの成長した姿が手のひらの中にあった。既読がついたのを確認したのか、あさりから追加のメッセージが届く。


  asari : ご要望どおり仕上げたつもりだけど、感想は?


完全にイメージどおりだった。さすが天才絵師


  asari : 感謝しろよー

  asari : それにしても、男ってホント巨乳好きばっかりだよな。死ねばいいのに


 死ねばいいとか、簡単に言ったらいけないよ。抱き枕になって枕元に立たれちゃうかもしれないから。


  asari : 死ねばいいのに

  asari : 清書と塗りは顔と体から進めていくから、髪型は明日の夕方くらいまでに決めて連絡ヨロシク


 メッセージのやりとりはそこで終わった。


 おれは抱き枕の向こうにかすかを求めていた。そして肉体を失ったかすかは、抱き枕にとり憑いてオレの元に現れた。数年の時を経てようやく甘酸っぱい記憶と向きあおうとした直後、想定していなかった形で肝心なところの見えない状態のかすかの裸身(イメージ)を突きつけられる。


 これも一種のラッキースケベなんだろうか。いや、もちろんラッキーだなんて思える精神状態ではない。なにしろ、かすかの成長した姿(イメージ)が、あられもない格好で抱き枕カバーとして、オタに流通しようとしているのだ。


 そんな状況やおれの気持ちをまったく知らず、死した昔日の想い人は、姿形は変わっていようともこうしておれの胸の中で安心しきった表情で眠りについている。腕の中には確かな体温を感じることすらできる。

 仮にこの抱き枕が流通してとして、「お前らが抱いてる枕の子なら、おれのベッドで寝てるぜ」なんて言えたならおれもかすかも傷つかないのだろうか。正直、おれにはそんな煽っていくスタイルが取れるようなメンタルの強さも人生経験もない。ただただ「どうして、こんなことになったんだ?」と、頭を抱えながら、気が付くと眠りに落ちていった。深夜アニメを記録するHDDレコーダーだけが夜中に起動と停止を何度か繰り返していた。

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