第3話 おれは抱き枕にお悔やみを申し上げた

じゃありません。かすかです。……え、かすか死んでますか?」

 宝石のように輝く緑色の目をまん丸に見開いて、彼女はぽかんと大口を開けた。いや、その反応のほうがビックリなんだけど。つまりは、どういうわけか事故死したばかりの女子高生が霊魂になって、綿百%の無機物であるはずの抱き枕に憑依したところ、アニメキャラと瓜二つの肉体を得て動き出したということらしい。そんなばかな。


「そっか。かすか、死んじゃったんですね」

「その……お悔やみ申し上げます」

 死を伝えられた時にどんな言葉を返せば良いのかは、ボーグバトルものアニメの主人公に教わった。だけど、愛用の抱き枕に憑依した女子に対して何をしたらいいのかはさっぱりわからなかった。湿っぽい空気のなかで、寝起きでのどが渇いていることを思い出したおれは、台所から麦茶とコップを持ってきて注いでやった。エクリプスの外見で朝見草かすかと名乗る問題の彼女はためらうことなくコップを手にし、口に運んだ。

 こく、こく、とわずかに喉が動き、音がする。


「ぷは……まあ、死んじゃったならそれでいいです。最近、なんだかあまり楽しくなかったので。高校生になっても同じ年頃の男の子って、みんなパッとしなかったからかな」

 短かった一生を無感動に振り返る彼女の唇は、麦茶に濡れてつやつやと光っている。カーテンの隙間から差し込む光のなかで、気怠げに息を吐いた。


「それでいいなんて簡単に言うもんじゃないだろ、親にもらった命を簡単に諦めやがって。おれのエクリプスはもっと気高い女の子で、同年代の男の子にも過酷な人生にも決して失望しないんだよ」

「電車にぶつかって死んじゃったんですよ? もう手遅れに決まってるじゃないですか。そのうえ、あなたみたいなキモオタが毎晩性欲のはけ口にしてる抱き枕にとり憑いちゃうなんて、本当にもう私どうなっちゃんですか? あと、アニメキャラの言動や性格をかすかに求めないで下さい、気持ち悪いです」

 だからさ、おれの好きなアニメキャラの顔で抱き枕を馬鹿にするなよ。


「返せよおれのエクリプスを! 姫百合十字一番隊の若き女隊長エクリプスちゃんを返せよ!」

「やだ、肩掴んでゆすらないで下さいよ殴りますよ……。返せって、そのアニメキャラは抱き枕のままでいたほうがよかったんですか? アニメキャラが実体化して、しかもかすかのようなキュートな女子高生が中に入ってるなんて、あなたの邪な願望が招いた事態なんじゃないですか?」

「そんなことねえし、年頃らしい浮薄ふはくな恋愛欲を持てあますあまり夜遅くまで男遊びしてアタシを満足させる男はどこかしらって粋がってるJKとか、どこのマンガのビッチキャラだよ。アニメだったらギリギリアウトだな。アウトどころか、見栄張って高いヒールの靴履いて事故で死んでりゃ試合終了だろ」


「ひどい! それに、お、男遊びじゃないです、もっと清く正しいお付き合いをしていた方のところへ……」

「こんな言葉は使いたくないが言わせてもらうぞ、けっっ、この中古女が!」

「なんですそれ? ともかくあなたみたいに平日の昼前まで眠ってるひきこもりさんとは比較にならない素敵な人だし、キモオタのあなたが想像してるようなやらしいことだってしてません!」


 もちろん、正直な気持ちとしてはお気に入りのアニメキャラが具現化して嬉しくないわけがない。だけど、エクリプスちゃんの声で他の男についてどうのこうの言われる悲しさが、そんな喜びを塗りつぶしていた。しばらく続く無言の時間、エクリプスの華奢な腕と手首から続く白い細指が、現実では奇抜な印象しか与えないはずの緑色の髪をさらりと梳く。映像の中と同じ、隊を率いる女騎士として厳しく振る舞いながらも、隠し切れない内面の優しさと繊細さが滲み出ているような緑髪が揺れている。ああ、揺れる緑の髪……。


「独り言がこわいです。髪の色は染めてもいないのに性格に合わせて変わったりしませんよ?」

「違うんだよ、現実原則で考えんなよ、キャラクターだぞ、分かってねえな。おれなりに長年データを集計分析した結果、緑髪キャラを緑髪キャラたらしめているその『緑髪性』というものが最近見え始めてきたところなんだよ、追究してんだよ」

「ちょっと、何言ってるのかわかんないです……」

 だからエクリプスちゃんの顔で渋面を作るな。


「おれの大切な緑髪キャラを汚すなよ、出ていけよ」

「そんな、どこにも行くあてなんてないのに……ひどい」

「あ、さすがにその状態のままほっぽり出したりしないよ、そのエクリプスちゃん俺のだから。……どんな形でもいいから、エクリプスちゃんの中から出て行ってくれないかな?」

 抱き枕にこだわりがあるんだったら、他のキャラに憑いてくれるのでもこの際構わない。


「そ、そんなことできるんですか?」

「わかんないけど、とりあえずやってみようぜ!」

 おれは、洗濯カゴの中から数日前に洗濯したのち陰干しを終えて畳んでおいた抱き枕カバーの束を取り出すと、赤いカチューシャを差した黒髪ロングの無口キャラのカバーを選んで、憑霊ひょうれいかすかに手渡した。


「この子はちゃんと服を着てるんですね……。制服っぽいし、ストッキングが破れてるのが気になりますけど、普通の絵の子もいるんじゃないですか」

「ああ、表面おもてめんはな」

「え、サイドが紐のビキニはまだしも、なんですか、このお尻をつきだした姿勢と表情は。こんなの、ほんとに不潔です。うぅ、ちょっと吐きそう……」

「エクリプスちゃんの顔と緑髪を吐瀉物で汚したら殴るぞ」

「うぅぅ、怖いです……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る