俺のエクリプスちゃんへの想いが通じたのだろう。別のキャラになるという案はスムーズに受け入れられた。

「ちょっとシャワーも浴びたいので、お風呂場使わせてもらっていいですか？　そのついでにいろいろ試してみます」

　場所を教えてやると、かすかは「覗いたら殴ります」なんてことを言いながら風呂場に続く洗面所の扉に消えた。何かのフラグが立った気もしたが、おれは百合キャラの風呂を覗くほど外道ではない。

「さっきはすごんでみたけど、エクリプスちゃんの顔してたら殴れねえよ。そもそも女子に手を上げたことのないおれにそんな度胸ねえよ……これからどうしたらいいんだよ」

　もう一度麦茶を飲んで一息ついた。

　しかし、危ないところだった。

　いくら中身がいけ好かないリア充JK（故人）であろうと、姿形はまるっきり、おれが毎晩寝床で抱いてごろごろごいちゃいちゃしているアニメキャラなのである。それが具現化した肉体を目の前にしたら、すぐにでもこの両腕に強く抱きたいと願うに決まっている。

　おれにとって彼女達は、現実で手の届かない異性の代替物、欲望をぶつけるだけの愛玩具では決してない。もちろん、いくら否定してもそのような一面と切り離せないことは百も承知だ。だけど、それでも！　物心ついてから十数年。アニメ・ゲーム・ラノベといった若年男性層向けコンテンツ群を常に最前線に立って消費し続け、おびただしい数の二次元キャラとの仮想恋愛を作品に求めて、また求められてきたおれのようなオタクにとって、彼女達はかけがえのないものなのだ。そうでありながら、その実、単なる消費物として扱うことすらも簡単にできてしまう、尊くも儚い存在だ。日々、膨大に生み出される作品の波、とくに番組改編期には大きな波が押し寄せて、仮構の恋人達はいともたやすく消えてゆく。

　おれみたいに土朝・ニチアサも含めて平均週四〇本ほどのテレビアニメを可能な限り全て視聴していると、あっさりと思春期の貴重な時間をすり潰して、数々の美少女との逢瀬は桃色にきらめくどころか倦怠の色に塗り潰されてしまう。努力も友情も勝利も花もゆめも、学生時代にするべきであろうことは、暇を見つけては消化している新旧のラノベやエロゲのなかで疑似体験しているだけだ。

　いちおう、高校では名ばかりのアニメ研究会に入っているが、なんの研究成果も出ないまま高校生活最後の一年がつい先日から始まってしまったばかりだ。おれの日常は、夢も、娯楽も、そして恋さえ、不可視の濁流に踊らされている。おれが抱き枕に求めたのは、その荒波に逆らうための手がかりだ。流行作品の変奏と反復、類似キャラ、代替者、模造品。一度でも、何かのキャラクターに魅了されると、それは無限に増殖しながら目の前に現れる。

　私を買ってと迫ってくる数多の恋人候補達の中から、選ばなかったヒロインへの後ろめたさを抱えながら一人の女性（抱き枕カバー）を出迎える。約一万円という支払うべき代償も決して小さくはないが、抱き枕カバーを購入するという行為そのものが儀式なのだ。それは、無窮を越えた先の弥終（いやはて）に見つけた、抽象界に生きる花嫁と交わす契り。

　性的要請によって薄汚い現世に不完全な肉体で産み落とされた堕天使へと手向ける墓標でもあり、幻想のファム・ファタールの胸に流れる血の音を聞くために与えられた救済の女神像なのである。

　だから、エクリプスちゃんが呼吸をして、動いて、話して、緑の髪が揺れた時、中身はけったいなJKだと分かっているのに、思わず襲いかかってしまいそうになるのは仕方のないことなんだ……。木叢ちゃんを身代わりに捧げるような行動も、きっとどこかで見ている女神に許してもらえるはずだ。むしろ、ここまでして衝動を必死に堪えている自分は褒められてしかるべきなのでは？　天国に行ったら、あの緑髪を撫でたりすることも許されるはずだ、それまでこの忍耐の日々を続ければ、きっと。

　おれは、窓の向こうに広がる青い空と白い雲をぼんやり眺めながら、その果てにある緑髪の楽園を夢想した。

「なっがいポエムが最悪の自己弁護で完結しましたけど大丈夫ですか？」

「うっわ、なんで聞いてるの!？」