Case27 規範的市民

 いつものように十三番街のローギル教会では、朝の祈りが行われていた。教会付きの銀炎師団員――という名の雑用係、グロリア・クルーズと、ハイアット司祭が座して手を合せていると、リンドストローム准尉がやって来た。祈りが終わるまで待っていようと准尉は思っていたが、扉が開いたのに気づいた司祭は即座に立ち上がると、小脇に抱えていた聖典を無造作に長椅子へと放り投げ、炎色反応で銀色に燃える聖火も吹き消し、歩み寄った。

「おはようございます。先月海釣りへ行ったところ空き缶ばかりしか釣れませんでね。環境破壊がこんなにも進んでるのかと、拙僧はいたたまれない気持ちになり、むかついたので海に釣竿を捨ててもう釣り人は引退ですよ。そんで、何用ですかな、准尉殿」

「実はですね、おたくの教会で少々神聖度の超過が見られたのよねぇ」

 そう言われるなり大げさに天を仰ぎ、首を振りながら司祭は、「それはなんとも痛ましい。我が教会でそんな冒涜が行われようとは。即刻反逆者を探して回帰させます。回帰だ回帰。なあ、ミス・クルーズ」

「そうですね」グロリアは無感情に答える。

「いえ、冒涜と言うより神聖さが過剰なので……」

「水清ければ魚住まず、過ぎたるは猶及ばざるがごとし。神聖度もコントロールできぬ未熟者などこの教会、いやこの街、この国、この領域には必要なし。回帰です」

 准尉には司祭を両手で制し、「いえ、まだそこまで深刻なレベルではなかったので、そちらで指導というか調整をなさっていただければ済む話よ。少々神聖度を減らせば」

「かしこまりました」

 と、言うなり司祭は卓上の〈戦士のローギル〉の像を鷲づかみにする。

「ええと司祭様、それに何をするつもりか知らないけれど、それは今度冒涜度が上がりすぎる恐れあるのよねぇ」

「そうですか? じゃあドブに捨てるくらいに留めておきましょうか」

「それでもちょっと……できればこちらの指示に従っていただきたいわねぇ」

「失礼しました。我が教会が不名誉な事態に陥ったとあって、多少取り乱していたようです。お話をお伺いしましょう。ミス・クルーズ、准尉殿に飲み物をお出ししたまえ。安い茶でいいんで、あのシンクの奥から出てきたやつ、まだいけるだろ」

「しかし缶が錆びてましたよ」

「いいから行きたまえ」

 グロリアは多少不満そうだったが、給湯室へ向かった。司祭は笑って、

「ははは、彼女は昔から心配性でしてね。茶葉の賞味期限なんてあってないようなもんだっての。それで、我が教会の神聖度を調節するために我々がすべき行動とは?」

「まず、この床が少しきれいすぎるわねぇ。泥が多少欲しいところだわ。それから、祈りの頻度が少々多い信徒がいらっしゃるようですわ」

「ああ、煙草屋のパトリシア婆さんだな。朝な夕なここに来るんですよ。あの老いぼれのことだからもうじきくたばるとは思いますが、しばらくの間出入り禁止にしますね。それから床に関しては――」

 そこでグロリアがお茶を持ってきたので、司祭はひったくるとそこらに撒いた。

「ひとまずこんなものでいかがでしょう、後ほど泥を採ってきますので」

「いいと思うわ。あと、聖歌隊が練習をサボる頻度を、もう少し上げたほうがいいと思うわ。ガチでやってる子いらっしゃるでしょう? 歌唱法も腹からじゃなく、喉で歌わないと」

「ああ、そちらは盲点でした、あれはエリクソン霊場長に一任しておりましたので。ううむ、どうやら彼奴めが我が教会の癌やも知れませぬな」

「ええ、それからこの近くにある古くからの大木、あれは〈地母のローギル〉の宿る聖なる樹ということよねぇ。マンション建設の話が来てるのだけど、マードック聖堂騎士長が樹の保護活動をしているのをご存知?」

「なんと。神をも恐れぬ冒涜。あんな邪魔な樹なんて切っちまえばいいのだ」

「彼がしているチャリティ活動を禁止すればちょうど良い神聖度になると思うわぁ。司祭様個人のバランスは極めて良いもの。聖句をうろおぼえで唱えるくらいが丁度いいのよねぇ。基本理念としてジュリエット聖下も提唱するように、現状維持が大切なのよ。大それた活動などなしにしてねぇ」

「仰るとおりです。では准尉殿、いつものようにお菓子でもお持ちください」

「ええ、黄金色のお菓子でしょうねぇ」

「無論黄金色ですとも……今後とも警備隊と我が教会が良き関係を維持できますように……」


 かくして十三番街の教会は適切な神聖度に保たれた。

 しかし数日後、今度は少しばかり過剰に冒涜的な数値が近所で検出され、再び准尉は出向かなくてはならなかった。

 安アパートの一室にやって来たリンドストロームを、六人の黒衣の信徒が迎え入れた。室内は血の臭いであふれ返っている。床にはビニールシートを敷いた上で、何らかの生き物の内臓が撒き散らされ、怪しげな魔方陣が描かれた紙が壁に貼られていた――何枚もの紙で構成された手の込んだものだ。恐らくコンビニのコピー機か何かで、苦心して作られたと思われた。

 普段はファーストフード店で店長をしているというヒューズ氏が、緊張した面持ちで対応する。

「閣下、このたびは一体何を……我々はきちんと許可を得た上でこの儀式を行っています。〈収穫者〉は第三種邪神認定を受けた神でして、魔宴管理資格は不要のはずですが」

「もちろん存じ上げていますわぁ、ドアにもきちんと許可証を貼ってありますし、その点に関しては問題ないのよ、しかし、いささか冒涜度が高まりすぎている恐れがあるのよねぇ。瞬間的な数値でしたので、まだ具体的に措置を講じるとかどうとかという話ではないのだけれど」

「それは一体なぜ?」

「人間の臓物の割合が少々高いのではなくて?」

「肝臓二つと心臓一つのみを用いて、他は豚のものですが」

「血液も使用しているわね? 恐らくそれで少し超過しているのよねぇ」

 ヒューズ氏は意外そうに、「血液も『臓物』に含まれるのですか?」

「先週から邪教法(邪神の崇拝及びその召喚における安全性に関する法律)が一部改正されて、人間の臓器の重量に血液も数えるようになったのよ。獣畜に関してはこれまで通りなのだけど。ただ、これはまだ認知度も低いし、今回は警告でなくて注意です、以後気をつけていただければ問題はないから。これを熟読して」

 准尉は「正しい邪神崇拝の手引き」というパンフレットを渡した。

 ヒューズ氏は頭を下げて、「申し訳ないです、恐らく前回新鮮な若い血が多量に手に入り、奮発して使用したのが抵触したのでしょう」

「分かりますわ、内臓はなるべく新鮮なのを使用しなくてはいけないですからねぇ」

「ええ、そこらの路地で直前に確保したものだけを我がサークルでは使用していますよ。余った肉は我が店舗で使用しております」

「では今後は気をつけるように」

「無論です、閣下。おっと、宜しければこちらのビスケット詰め合わせをどうぞ」

「それはもしかして?」

「ええ」ヒューズ氏は准尉に笑いかけて、「黄金色のビスケットですよ」


 帰り道、血まみれの市民が道を歩いているのを准尉は目撃した。

 しかし、彼は殺人許可証を首からぶら下げ、手に持っている凶器のナイフも市が指定しているものを使用し、適切に手入れが行われているようだったので、模範的殺人犯と認識し、呼び止めることはしなかった。おまけに彼は多額の「贈り物」を警備隊に納めている顔馴染みだったからだ。ああした規範的な市民が増えれば我が街はもっと住みやすくなるだろう。准尉は殺人犯の後姿に敬礼し、彼が垂らした被害者の血で染まった道を歩き去った。

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