Case26 忌まれた紙面

 暗黒神の〈依代〉、リリィ・ロウに指令が下った。同僚の一人が「呪われた」と言って出勤しないので行って連れて来い、神なら呪いも平気だろ? というテンペスト兵長の判断だ。本当にカハルジャが呪いに耐えられるのか、怪しいところだったので「え、ええー……」と難色を示したリリィだが、結局行くことになった。

 問題の人物はシャロンという入って一週間の猟兵で、このままじゃクビ一直線、しかし兵長の知り合いの紹介で入れたので、さすがに無碍にするのもどうかってわけで、最後のチャンスを与えることにしたそうだ。

 彼女の住んでいる十番街に、呪いを解除できなかったら早めに帰るつもりでリリィはやって来た。

 すると恐るべきことに、ビル街はなく、だだっ広い平原が広がっていた。かつて自分が入隊したときの、沼になった金融街みたいだな、とリリィは思った。そこらに佇む人が何人かいたので、「あのー、すみません」と一人に話しかけて、リリィは息を呑んだ。その人物の顔面には新聞紙が巻きついていた。その「死亡」とか「迫害」「虐殺」「集団訴訟」などという見出しが不安を煽る。これはいったいなんだ、とリリィは顔の新聞紙を引き剥がそうとするが、いくら破っても破っても新聞が下から出てくるだけで顔が一向に見えない。他の人も見てみると、同じく微動だにせず顔を新聞紙で覆われている。

 これはもしかするとすべて呪いに冒された人々かも知れなかった。

 地面をふと見ると、それは滑らかなコンクリートで、ところどころに黒いインクのようなものが溜まっている。その水溜りのひとつから、黒い足跡がずっと向こうに伸びていた。誰もが呪われ動けない場所で、歩いていった誰か、それこそがシャロンではないか。そう推測して足跡を辿ることにした。

 一キロほど歩く間に、怪異自体も呪いに巻き込まれているのを見た。質問者や姿勢のいい巨人、虚数キマイラ、白昼羊の群れ、殺人者群などが顔に新聞紙を巻かれて停止している。場違いな冬服の人、大昔の騎士や王侯貴族みたいな格好の人もいた。この呪いがかなり大規模なのは間違いないようだ。このままだと上位駆除者が出動する可能性はかなり高い。ドイル狩猟長が明日にもここ全体を吹き飛ばすかもしれないし、あるいは浄化法人のプリンス大隊長かもしれない――王都猟兵社を築いたアル・クックと同じく、彼女は怪異の一部から中心点に向けてイドラを遡及させ、おまけに自分の力を上乗せして大規模な破壊をもたらすことができた。しばしばデモンストレーション的に街を消すので、修復部門からの評判はすこぶる悪く、しかも大隊長はそれを不条理な批判と捉え、非常な不満を持っているらしかった。今にも怒りに任せて、彼女がここを緑色のイドラで浄化するのをリリィは想像し、そろそろシャロンが見つからなければ飛んで帰ろうと思った。

 そのとき、一枚の新聞紙が飛んできて、顔にへばりついた。引き剥がそうとするが、追加で何枚も纏わりついてくる。

 どうやら、呪いが自分に襲い掛かってきたようだと気づき、リリィはカハルジャの力を顕現させた。

 神の姿をとるまではいかなかったが、彼女の全身から黒い瘴気が放たれ、白い髪は半分ほど黒く染まっていた。新聞紙は破け、四散する。息をつき、リリィは虚空へ呼びかける。

「い、いらっしゃるんですか? シャロン。私はあなたの先輩のリリィ・ロウです。この呪いはあなたの意思ではないんでしょうけど、早めに出てきてください。話をしましょう……ええと、そちらが良ければ、ですけど」

「いいだろう、話をしよう」

 眼前に大量の新聞が飛び交い、その最中から一人の猟兵が出現した。顔面に大量の新聞記事の切抜きが貼られていて、表情をうかがい知ることはできない。

「こんなところまで侵入してきてお前は相当に無茶なやつだな。だが高いイドラへの耐性を持つのは分かった。まずどうして来たか話してくれ、猟兵よ」

「ええとその、テンペスト兵長から連れ戻すようにと指示が出されたんです。なので、このまま拒否されると私としても困るわけで」

「そうは言うがわたしが今この状態で復帰したら、周辺がここみたくなるだけだぞ。なのにどうして兵長もお前も、わたしを即座に連れ戻そうなどと考えるのだ?」

「その辺は、私もただ連れて来るように言われただけなので、分からないですが、来ていただけませんか?」

 そう言う間にもリリィの顔に新聞が巻きつこうとして、黒く変色して四散する。

「いや、だから繰り返しになるが行くわけにはいかないのだ。わたし自身猟兵だが、この怪異に関してはきちんと中心点を浄化しなくては後にどんな厄介なものが残るか分からない。規模からして、浄化法人の部隊に出動要請する必要があるだろうが、よそと連絡を取る方法がなかったのだ。だから、お前はわたしの代わりに浄化法人へこの事態の収拾を依頼するのだ。発生からずいぶん経つが、まだどこも処理しようとする様子がない。兵長に、どこぞの猟兵が変なふうに手を出さないように止めてもらって、その間に浄化法人を呼ぶのだ」

「それはなんていうか面倒ですね」

「面倒とかじゃなく、そうしないと外部に呪いが漏出して被害が拡大するだけだから、そうせざるを得ないだろうが」

「ええと、それはなんとかならないですか?」

「いやならないだろ、お前、人の話を聞かないな。最近の若いやつはみんなそうなのか?」

「呪いを解除する方法はないんですか? この場で」

「それは中心点をどうにかしてつきとめて浄化するしかないが、わたしは感知能力がないしお前もないのだろ? じゃあ無理じゃないのか」

「そうですか。できることと言えば神頼みだけってことですね」

「神頼みか。ローギルは何もしてはくれない。かの神の火でここらの新聞紙をすべて焼き払ってくれれば……いや待て。思いついたぞ。もしかするとこれはいけるかも知れん。賭けになるが……ここで時間を無駄に使うのも飽いた。ひとつやってみるか。お前、名前はなんと言う?」

「リリィ・ロウです」

「リリィ? ああ、そうかお前が黄泉の神だかを宿してるっていう人間か。リリィ、今から芋を買って来い。サツマイモスイートポテトだ。多めにだ。それからアルミホイルと薪もだ。あと水とマッチ」

「分かりました」

 リリィは暗黒の瘴気を翼のように背中に展開し飛翔した。最寄のスーパーで頼まれた物資を買い、シャロンのところに戻ると、彼女は芋を、塗らした新聞紙とアルミホイルで包むように指示する。

「まさか焼き芋をやろうと言うのですか?」

「ただの焼き芋ではない。解呪の儀だ」シャロンは新聞を雑巾のように絞って棒状にし、薪の周りに配置している。芋を配置し、火を点け、しばし待機し、消火したのちに芋を折ると、中からは黄金色の焼き芋が現れた。

「いいできですね」

「では食べよう」

 顔面のスクラップ記事の合間からシャロンがそれを一かじりすると、周辺を膨大な量の新聞紙が飛び交い、それが彼方へ飛ばされたあとは、膨大な平地も、新聞紙に取り付かれ硬直した人たちも、シャロンの顔を覆っていた記事もなかった。辺りは賑やかな繁華街に戻っていた。

「どうして焼き芋で呪いが解けたのですか?」リリィが聞くとシャロンは引き続き芋を齧りながら、

「昔から食事とは呪術的な意味を持つ。例えば黄泉の国において食事をすると、現世に戻れなくなるように、だ」

「ああ、確かにかつて、冥府にやって来た男が死んだ奥さんを取り返そうとしたとき、彼女はもうこっちのポリッジを食べたあとだったので無理でした。獄卒をけしかけたら慌てて逃げて、その際かつらを落として行ったのは笑いましたが……」

「もっと良いものを食べさせてやれ。まあそれで、この芋は火によって浄化されたものだ。呪いの根源がわたしか他かは分からないが、これを食べることで呪詛内に清浄さが持たされたというわけだ。これで目出度く解決だが、ローギルという神がクソの役にも立たないのがよく分かった。これからはお前に宿る神を信奉しよう。その冥府の神には何をして信仰を示したらいいのだ?」

「ええと、カハルジャ信仰は体系化されているわけではないので、本場ラプタニアでも明確に何かあるわけではないんですが、まあお墓参りとかはちゃんとしようということですかね」

「なるほど。では明朝より職務に復帰する。兵長によろしく伝えてくれ」

 ということになったが、シャロンが出勤することはなかった。彼女はこの帰り、稲妻に撃たれて死んだからだ。それが偶然か、はたまた信仰を捨てた彼女への、ローギルの裁きだったのかは定かではない。

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