Case25 蒼穹市場

 異領域よりの漂流者による相互扶助団体〈双月会〉、その代表者・大アンドリューは巡邏局の隊長であり、会員の雇用を援助する役割を果たしていた。元いた場所で猟兵だったイライザ・パーカーも第五十六丁目の支部に就職し、平和な日々を送っていたがある日、隣の支部の巡邏官がイドラを暴走させ、遥か西のラプタニア大陸の半分までも消滅させるというあってはならない事態が発生した。

 保安局の修復部門とその長ライオネル・アイヴォリーの活躍で大陸や失われた人の命は戻ったが、信頼は戻らなかった。かつて王国とラプタニアの間では、イドラの流出を最大限王国内で留め、決して軍事利用せず、その対策に努めるという〈金環条約〉が締結されており、今回の事件はそれに著しく反するものと、ラプタニア各地区の首長、王、大公、元老院、皇帝、そのほかの偉い人、下々の市民が怒った。

 リンダリア王国首相のアルバン・ワッツは記者会見にて「まあまあ、ちょっとしたミスなので、なかったことにしてください、どうか。まあ今回なかったことになったのはそっちの国土でしたが……」などと半笑いで言い、帝国における反リンダリア感情はさらに高まった。

 これはまずいと、王宮よりの勅令により、保安局のスヴェイン・オルセン率いる改変部門が過去に遡ったり帝国人の記憶を操作したり、帝国のテレビ放送にサブリミナルを仕込んだりして、反リンダリア感情を反転、むしろ親リンダリア感情を高め、結果的にまあ良かったじゃない、ということになった。


「我が故国が吹き飛ぶとはひでえ事態だ。このピッツァみてえに真っ二つよ」

 支部に併設されている酒場で昼食を摂りながら、同僚ルクレチアはイザベラに言った。ナイフで強引にピザを切り分け、一片をイザベラへ渡す。

「そっちの人から見て、今回の事態はどうなんですか?」

 質問に対しルクレチアは少し考えて、

「今言ったようにひでえ事態と思うが、向こうの人間みたいにマジに非難しようとは思わねえわ。イドラはしかたねえ。自然現象だ。文句を言っても始まらねえよ。元通りになったんだからどうでもいいじゃねえかと思うけどな。それにあたしはこっちで産まれたんで厳密にはラプタニアの人間じゃねえんだ。あんただってこの領域の人間じゃねえだろ。似たようなところから来たってんで、大して違和感はねえだろうが」

 ルクレチアはピザを口に運ぼうとして、乗っていたサラミを床に落としてしまった。短く悪態を突く彼女を見ながら、イザベラも同じくサラミを落下させた。彼女は〈二の舞のイザベラ〉であり、これもルクレチアの言葉を借りるなら自然現象だ。

 ルクレチアの祖先は、皇帝の居城が鎮座する帝都バルニバルブ出身だった。巨大かつ荘厳な都であるが、王都やウェスタンゼルス、そしてニューノールには規模でかなわない。こちらは異常繁殖した植物のように、イドラのせいで都市そのものが歪み、肥大化しているからだ。

 彼女を含めて、リンダリアにいる外国人やその子孫は一種独特な存在だ。ラプタニア帝国を初めとして諸外国では、イドラをまるで呪いのようにひどく忌み嫌う。帝都においてもニューノールの数千分の一の頻度と厄介さの怪異が巻き起こり、浄化法人の支部がごく小規模にそれを処理しているが、浄化者への帝国人の態度は三百年前から変わらず、未開地の呪術師かのようだ。帝国の民にとってリンダリアは呪われた地であり、流刑地だ。だから、ルクレチアの祖先や最高司祭ロナルド、聖エレオノーラ、今日で言えば〈野分けのハンニバル〉、改変部門の長スヴェイン、ダウンタウン南駅の学士〈ニッケル〉など、王国外のイドラ適応者はこの地を目指すしかなかった。そして彼らは名うての浄化者となった。この地こそが彼らの、イドラに運命付けられた居場所であったのだ。彼らはリンダリア人とは違い、仕事に大して病的な倦怠感を抱くことなく、誇りすら持って挑むことが多い。とは言え少し世代を重ねれば、ルクレチアのように淡々としたサボり屋になるのが大半だった。


 湾口に巨大ななにかが出現したというので少し話題になった。いずれホワイティング司令が艦隊を率いて消滅させるだろうということだった。その前に見ておこう、ということになって、ルクレチアとイザベラが海辺に到達すると、海上に聳え立つ物体が見えた。

 かなり遠くの水面から突き出ているが、相当な大きさで、高さは五百メートルはありそうだった。近所の巡邏官ウォルター・スワンに降り注ぐ腐った肉塊のような、よどんだ色をしていて、何より奇怪なのはいびつな円筒形のそれにいくつもの目がついていることだった。位置は不規則で、時折瞬きをしながら、血走ったそれはどうやら街の方を凝視しているようだった。その一つ一つの大きさが小さめに見積もっても大型のトラックほどありそうだ。

「あれ、もしもラプタニアに出現したらどうなりますか? レミュの港とかにいきなり現れたら」

「さあ……まあみんな『目を奪われる』のは間違いねえだろうな」ルクレチアはそれを見ながら言った。「パニックで頭がおかしくなって国民の八割は死ぬかも」

「その場合、こっちで蘇生させるんでしょうか?」

「そうなんじゃねえの。あんまり頻繁に死者を生き返らせるのは望ましくないってされてるけど、イドラのせいで逝ったらまあ例外扱いだろうからな。アイヴォリーとかセラ局長はいい顔はしねえだろうけど」

 そのうち、海上の物体から何か音が聞こえてきた。それは人間の囁き声みたいに聞こえた。それは徐々に大きさを増して、金切り声みたいなものになって、再び沈黙した。

 それから、曇り空だった背景が、物体を中心として気色の悪い極彩色に染まり始めた。絵の具を塗ったくったような赤と青の縞模様が、どんどん広がっていく。

「うーむ」と唸りながら、二人は帰ることにした。


 そのあと予定通りホワイティング司令が物体を消し飛ばして、しかしそれの破片はなかなか消えずに、市場に出されたりしていた。水晶体とか、皮とか、内部から出てきた機械構造とかが、無造作に売られていた。変色した空から抽出したという絵の具も大瓶やドラム缶に詰められて売られていた。思慮の浅そうな若者が、五リットル入りの青色を買うのを見てイザベラは、あんなのを買っても使いどころないだろうに、と思ったが、気づいたら自分も購入していた。

 困って、支部へ持ち帰ると、もちろん皆、なんでそんなのを買ったんだ、と言う。ルクレチアも同じように揶揄し、困惑して、使いどころを考えようということになった。

 絵を描くにしても青だけをこんなにたくさん使うのは難しい、青空の絵を描くしかないだろう、というので、画用紙を大量に買ってきて、全部青で塗ることにした。描き終えたそばから、洗濯物みたいに吊るして乾かしていたら、同僚たち、酒場の客とか店主、外を通りかかった人が、なんだか楽しそうだ、というので皆でやることになった。筆と画用紙を買い足し、ひたすら紙を青く塗っているうちに絵の具が足りなくなり、市場へ買いに行ったが、先ほど海上の物体関連グッズを売っていた店はすでになかった。じゃあ他で買おう、と思ったら、なぜか街じゅうのどこを探しても青い絵の具が売っていない。その日に限って売り切れだったり、うちは開店当時から青の絵の具なんざ売ったことはないよ、って文房具屋ばっかりだったりするのだ。

 これには人々の不満も高まり、ついには暴動へと発展した。

 石、食器、牛骨、火炎瓶、鉄板、生卵、泥、いろいろなものが文房具店に投げつけられたり、路上に停めてあった車が爆破されたりした。事態を重く見た警備隊は当該地域に対し、空中戦艦〈クイーン・クレア〉より空対地粒子砲を発射、すべてを塵へ帰した。

 青の絵の具の需要が高まっているのを聞きつけた絵の具売りたちが駆けつけたが、一足遅く、すべてが消滅したそこで彼らは、在庫処理を始めるしかなかった。

 これが五十六丁目においてその後何世紀も続く、青い絵の具専門の露店群〈蒼穹市場〉誕生の経緯である。

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