Case24 赤い花

 駅はイドラが溜まりやすい。理由は分からない。人が大勢集まるから、という説が有力だし、大規模な交点だから、という説もある。道、何かの流れというのは概して怪異の温床になりやすいようだ。だから、ほとんどの駅には各イドラ処理業者の支部が設置されている。巨大駅であるニューノル・ダウンタウン南駅は、毎朝恐ろしいほどの人間が押し寄せ、どこかへ去っていく。猟兵社のフランクリン兵長は出勤前、喫茶店へ入り、しかめ面で新聞を読みながら、ココアを口に運ぶ。隣に曙光連の統率〈ニッケル〉が腰掛けた。

「おはようさん。構内の構造に動的な変化があったぜ」白衣の学士はそう切り出した。

「具体的には」相手のほうを見ず兵長は聞く。

「地下街が一新された。何か巨大な空間が出来上がって、これから調査するが、ヤバいくらいの深さだ。地図を作らせるが無駄足かも知れん。下のほうではまだ流動が止まらない。巨人サイズな。一階層が五メートルはある。そんで二十階層は下るまい。四十くらいあるかもな。構造学やっとる身分としちゃ、興味は尽きんが地下鉄は札止めときてる。通勤客の皆さんはまたしてもお怒りだろうぜ」

「我が都市の勤め人は働きすぎだ。無駄に熱心な」

「ローンやら子供の学費やらを支払わねばならんからな。そうそう、わたしの姪御が面白いことになったって件は話していたかな」

「いいや」

 ニッケルはもはや五十過ぎの白髪の男だが、小僧のように笑った。

「脚がぐにゃぐにゃしたっていうんで診に言ったらありゃ蛸だ。蛸になりやがって、愉快なもんだぜ。晩飯に茹でて食ったらうまいんじゃないか、とわたしは冗談のひとつもほざいたが、両親が怒髪天よ」

「蛸なんざ食えるのか? あんなぐにゃぐにゃした……ああ、あんたはラプタニアのレミュ半島出身だったな。そっちじゃ海産物は大抵食うんだもんな」顔をしかめてフランクリンは言う。

「非道だと言うかね?」

「いいや、好みの問題だ。それで? 姪御さんのあんよを実際に食ったわけじゃあるまい。それからどうした?」

「無論、調べたさ。誘発型のイドラによるものだと分かった。それを引き出したのは十三番街の巡邏官だった。固有のやつが不安定な状態で発露したんだな。やつの名前は……スウィフトと言ったか。ああいう触手を伸ばすタイプのものは三百年前から何度も出てきて、しばしば路上を溢れさせたもんだよ」

「あまり愉快じゃない光景だよな」

「スウィフトはイドラ適合率が低めで、拒絶反応を色々と起こしていた。譫妄状態に陥ることもしばしばあり、頭部が蛸の生物がすぐそばにいると言って剣を振り回していた。早晩誰かがぶった切られることになろう。とはいえ固有イドラの保持は万人に認められた権利であるからして、姪へのリンクを限定的に封鎖して仕舞いさ」

「そいつは何よりだ」

 そこでニッケルの部下、〈ダスター〉がやって来た。埃まみれのコートを纏った彼女が通ると、新聞を読んでいた客たちが一斉に顔を顰めるのが見えた。

「隔壁をぶち破ってばかでかい〈腕〉が暴れています」汚れすぎて濁って見える眼鏡を弄りながらダスターが言う。「地下鉄の車両が一台鷲づかみにされています。観測を本格的に開始しましょう」

「ああ、今行くよ。ではフランクリン、ここの勘定をこいつで頼む」

 そう言って老学士は去って行き、机の上には大量のニッケル硬貨が積まれていた――彼のあだ名の由来は、本名のニックと、どんな勘定も、どこからか取り出す大量の硬貨で済ませる悪癖からだ。枚数を数えて余った分を自分の財布に入れ、残ったココアを飲み干すとフランクリンも席を立った。


 天井に蔓状の植物が繁茂しているのが見える。壁には赤い花が咲いている。誰もそれを見る余裕はない。フランクリンは努めて、余裕を持つようにしている。ニッケルにも言ったがリンダリアは人が多すぎ、仕事は忙しすぎ、楽しみは少なすぎる。惰性で生きている人間が多すぎる。落ち着き、息抜き、休憩の重要性をしばしば部下にも説いていたが、サボり癖と取られることが多かった。

 天井から謎の塊が落下し、通勤客が素早く避けた。緑色でどろどろして、目玉が沢山ついている。兵長はそいつに話しかけた。

「一体なんだ。俺の前に落ちてくるとは……俺に駆除されたいという願望があるのか? 熱心なことだな。全部の怪異が、そうやって自分から身を差し出すべきだ……」

 兵長とドロドロした生物を避けて通る通勤客はあまりに早く、顔はぼんやりして見えない。灰色の塊のように流れて行く。これはまるでこの街の縮図のようじゃないか、とフランクリンは思った。人間だけでなく経済、情報、すべてが早すぎる。我々現代人は、一度立ち止まってみることも必要だ。内心の余裕のなさが、イドラや犯罪に囲まれて困窮し、さらに余裕を失うことにつながっているのだ。人心は荒み、若者は麻薬を吸引しては放蕩にふけり、暴力犯罪が多発し、テレビのニュースを賑わせる。助けはなく、誰もが自分の人生を遮二無二生きて行くだけだ。

「そして、だからこそ俺は立ち止まることを、休憩することを望む。ここにいる全員が数秒間だけでいいから……しかし不可能だ。俺も仕事に戻らなくてはな」

 兵長は雑種刃バスタードを抜いてドロドロを貫いた。そいつは消え、兵長は雑踏の中に滑り込み、灰色の流れと同化した。


 駅構内の上層に猟兵社支部はあった。ニューノールの巨大駅はやたらとごちゃごちゃしていて、乗り換えも分かりづらいし、そもそも路線が無駄に多いと兵長は考えていた。とはいえウェスタンゼルス出身の部下〈恩知らずのテレサ〉はことあるごとに「ウェスタンゼルス中央駅に比べたらこんなの、猫の額みたいなもんすよ」と言っているし、王都の駅なんて魔窟そのものだという評判を聞く。そんなところへ行ったら遭難しかねないな、とフランクリンは思った。

 支部ではテレサと〈怪気炎のダグ〉が駄弁っていた。地下の巨大空間発生は曙光連に一任しているので、こちらはのんびりしとしたものだった――学士たちの仕事は駅そのものに発生する怪異の調査と抑制だ。そのほかの小規模なトラブルが、猟兵たちの担当だった。

 今朝は大した怪異もなく、故障した謎の装置が通路で火を噴くという現象がいくつかあっただけだった。昼ごろ、書店のすべての商品が糊付けされ開かないという少し厄介なものがあったが、テレサ一人で片付けることができた。

 支部のテレビで、浄化法人による廃液馬の掃討作戦が報道されていた。昨晩、夜を徹して行われたそれがいかなるものか分からないが、一個の中心点を処理するのに夜明けまでの時間と、百六十人の巡邏官が必要になったとのことだ。ダグは、聖エレオノーラ率いる〈炎旗兵団〉がいりゃやつらの出る幕はなかったろうにな、とコメントした――ローギル教会の追放者たちは英雄的に怪物から都市を守り、最期は命と引き換えに敵ごと四散した。自分なら白旗を燃やさずに取っておくがな、と兵長は言った――それが怪物たちに通用しなかったとしてもだ。

 そもそも、浄化法人が二十四時間営業という点も兵長は疑問に思っていた。猟兵社のように朝から日暮れまでの活動に留めておくべきだ。夜は寝る時間なのだ。もちろん、消防や警察と同じく、緊急の通報に備えるために夜間の業務は止むを得ないとも言えるが、それにしたって最小限にしておくべきで、現在のように昼と同じか、それ以上に激しい業務を行う必要は果たしてあるのだろうか?

 なんだか今日はそのような気持ちに取り付かれ、兵長が安楽椅子で呆然としているのを部下たちはあまり気にしないようにしていたが、昼過ぎに緑の巨大なドロドロの塊が中央改札を塞ぐと、さすがに彼に発破をかけるしかなかった――兵長はもう少し休んでいたかったが、渋々席を立ち、現場へ向かった。流動する液体生物が、多数の目玉で人々を威圧している。これではさすがにどうしようもあるまい、と思っていたが、無理やりにそいつを乗り越えたり、その半透明の内部を通過して、人々は強引に改札を進んでいく。兵長は「これはこれで問題ないんじゃないか」と思わず漏らしたが、駅職員やさすがにドロドロになるのが嫌な客にどやされ、巨大な怪物を討伐するに至った。もちろん一箇所を切りつけただけでは処理しきれず、部下とともに全体を刺しまくる必要があった。

 怪物が消えた後、兵長はまたしばらく休憩したがった。彼が見やったのは壁の花だ。それに対して駅職員が「ああ、それはこちらで刈り取ります。忙しくて処理しきれませんでしたが。明朝、すべて片付けますよ」と言った。

 兵長は、比較的仕事の少ない日であったが妙にくたびれ、帰りに花屋で赤い花の種を購入し、そいつを駅近くの道の脇や、そこらの街路樹の下にばら撒いた。開花した暁には都市生活で憔悴した誰かが、ふとそれに目を留めて、心を休めてくれれば、と思った。

 しかしそれからいつまで経っても赤い花が咲くことはなかった。

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