Case22 猟兵のエヴァ

 早朝の街にかかっていた霧は夜明けとともに消え去った。初夏の朝日を浴びながら、色あせた猟兵の外套を纏い、エヴァ・ライムが詰め所へやって来るところだ。空の上には隣の領域の都市が浮かんでいるが、いつも通り昼前には消え去っているだろう。路上には、怪物の屍がごろごろ転がっている。適当に雑種刃をぶち込んで、完全に浄化せずにそのまま夜勤が帰ったからだ。巨大ワームと象騎兵がこの日は多く、触手カジキもいくつかあった。足元のそれらを蹴飛ばしてエヴァは十二番街の酒場〈銀葡萄亭〉へやって来た。

 毎晩、酔っ払いが饗宴を繰り広げる賑やかな様子とは打って変わって、早朝の店内は薄暗く静寂に包まれている。猟兵社が間借りしている二階に上がると、テンペスト兵長とレイチェル・スウィフトが、店の残り物で作ったらしい野菜炒めを食べていた。エヴァもそれを薦められたが、私は食事を持参したので大丈夫です、と、蜂蜜の大瓶を取り出し、三分の一ほども飲み込んで朝食とした。

 兵長は、今日は特にこの時間帯に対処すべき依頼は来ていないので、ぶらついて適当に怪異を狩るように命じた。レイは、大橋へ行こうと思う、と言い、エヴァはそれに同行することにした。

 数年前に濁った熱帯の大河が街なかに出現した折、浄化法人がそれを消そうと苦心していたが、ある時期から浄化作業は中止され、そのまま放置されている。そういうケースがたまにあって、その怪異が明確に都市機能に害をなしているわけではないか、あるいはそれを浄化することで、もっと危険な怪異を呼び寄せてしまう場合、安定性を確保してあとは放置することがあり得る。

 川幅は一キロほどで周囲は異様に暑く、付近に密林が繁茂しているため、猛獣がよくそこから街に放たれて騒ぎになることがあった。


 二人は大橋を渡っていた。顔の汗を拭いながらレイが言う。

「最近どうなの、学校はさ」

「学校は不毛かつ退屈、無為。入学したことに対し後悔の念に駆られる。やる気が出ない。食堂の食べ物はまずい」エヴァは無表情で答えた。

「じゃあやめたらいいんじゃない、学費だって馬鹿にならないだろ?」

「私が払っているのではなく親が払っているのでその点は気にしない。それにやめたら本格的に就職しなくてはいけないので、それは避けたい」

「一理あるな」

 橋の上は大体の場合、濃いイドラによって怪異の温床となっており、歩合制の猟兵たちにとっては格好の稼ぎ場所だった。彼らの給料査定は雑種刃に蓄積したイドラによってなされる――正確には怪異が消滅する際に発生する物質であるという。この日レイはあまりやる気がなく、橋の上だけで仕事を終えようと思っていた。

 中ほどまで来るとドラム缶ほどある巨大なイモムシが横たわっていた。爆発性のやつだとレイは気づいて、恐怖に駆られた。エヴァがどういう行動に出るか大体分かったからだ。案の定、彼女は大股でイモムシに接近し雑種刃バスタードを突き立てようとしている。慌ててレイは走って離れ、放棄されていたトラックの影に隠れた。

 すぐに爆発があった。通常ならあのイモムシへの不用意な衝撃は禁物であり、誰でも吹っ飛んでしまうのだが、エヴァは〈例外〉で、爆発でも髪の毛一本すら焦げることはない。誰にもできなければそれは彼女にとって、当然のようにできることだ。

「大丈夫か?」レイは聞いたがこれはエヴァではなく橋は大丈夫か? という質問だ。濃いイドラのせいか大橋の老朽化はかなり早く進んでいる。質問に答える代わりにエヴァは煙の中から飛び出し、さらに先に進んでいく。そのままいくつかの爆発があった。こいつはやばいな、とレイはさらに不安になった。火事や爆発が発生すると、それに引き寄せられるようにやってくる野次馬じみた生き物がいくつか存在する。そいつによる二次災害はこの区域では常に注意しなくてはいけない脅威だ。

 予想通りそいつらはすぐにやって来た。今回は人型で、どこの国のものでもない軍服を纏った五人の武装勢力だった。得物はシンプルな角材だ。レイはたちどころに取り囲まれた。抜刀しながら彼女は言う。

「ここは平和的に話し合いで解決するというのはどうかな……いや無理か……」もちろん、そうだった。最初の一人が飛び掛り、レイは身を屈めて相手の脚を切った。煙とともにそいつは消えた。次に両側から二人が突進してきたが、橋の欄干に飛び移り、そいつらは愚かにも同士討ちをしてぶっ倒れた。三人目が跳躍してきたのでかわす。相手は欄干を飛び越え、河に落ちていった。最後の一人が狂ったように角材を振り回している。落ちていたアスファルトの欠片を投げ、ひるんだ隙に貫いて全員を片付けた。ちょうどそのころ、エヴァもイモムシをすべて処理したようで、炎上する廃車の間からこちらへ悠々と歩いてくる。こりゃまた警備隊からどやされるな、と思い、レイは次の獲物を探して他所へ移ろうと考えた。


 その日エヴァが片付けたのは爆発性イモムシの他に、変異質問者、百年ほど前に存在していた殺人猟兵〈首刎ねマリー〉の再現型怪異、ゾンビ牛、腐った果物を投げつけてくる爺さん、一部地域だけで物価が十倍になる現象、左手だけが石化する現象、野外ポルターガイスト、全靴屋の閉店、などだった。雑な対処によってそのうち半数が変異し、たい肥が降ったり、八百屋のすべての商品が鳥の屍骸に置き換わったりした。最悪だったのは巨大な甲殻類が街なかに出現し、道路が封鎖されてしまったことだ。厄介なしろもので、中心点がそいつ自身の内部にあった。殻は固く、雑種刃バスタードを通さない。徐々に穴を開けて中心点へ到達するしかなさそうだったが、エヴァはもちろん例外的に一突きで破壊できることになり、彼女はそうした。

 警備隊の担当者、ガートルード・リンドストローム准尉がエヴァを苦々しく思っているのは、厄介だが極めて有益という点であった。おまけに賄賂の額が少ない。昼過ぎ、エヴァの退勤間際にやって来た准尉はこの日も軽く説教するに留まり、その後はろくに話を聞いていない彼女を前に帰るしかなかった。

 腹いせにリンドストローム准尉は、近くの浄化法人支部のオーガストから、刃渡り七キロの大剣を没収することにした。彼は良識派で、街に被害が出ないように普段は小ぶりのアダマントナイフを使用しており、街の外の平原で困難な怪異が発生したとき、その足止めにのみ大剣を用いた。しかし、何かあってからでは遅いから、と言って、准尉は無理やりにオーガストから剣を没収してしまった。そして挙句の果てに、基地へ持って帰る際バナナの皮で滑って転んで、剣をローギルの大聖堂へ落下させてしまい、夥しい死者を出した。これに関しては、武装した強盗団に奪われたあとで彼らが無差別殺人を行ったものである、とした。その後各方面に手を回して何事もなかったかのように処理した手口は、警備隊の腐敗の象徴であった。結局オーガスト・ナイチンゲールには折衷案として、三キロメートルの剣が与えられることで解決となった。

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