Case20 怪異のある風景

 ジャネット・クロウリーは真夜中の街を漂っていた。深夜のニューノールは危険だ。イドラが特に濃くなり、怪物が溢れ、建物は動き、道に大穴が開き、他領域と交わって泥沼のようになった市街地が流れ込んでくる。

 だから、夜勤の浄化者は極めてイドラ耐性が高いか、あるいはどんな目に合っても気にしないという二者に限られた。ジャンは前者で、生身の肉体を持たないイドラ体であるがゆえに、拒絶反応はないに等しかった。

 この日は妙に蛇の多い夜だ。大河のようにアスファルトを蛇が埋め尽くしている。人や車が飲み込まれ、建物の壁までも逆流する滝のように蛇たちは登っていく。

 高層ビルの上方に中心点があることを察知したジャンはふわりと跳躍した。都市の高低差は普段以上で、歪んだ絵画のように遥か高みに建造物が聳える。

 コーラを飲む女性の看板に、ジャンは透明な刃を突き立てた。緑色の光が弾け、蛇の群れが蒸発する。

 深夜にはよくあることだが、怪異が浄化されるとすぐさまそこへ別のものが流れ込む。このときもそうだった。真っ黒い水のように夜の闇が通りに溢れ、街灯をかき消す。あれでは朝になっても真っ暗なままかもしれない。

【ジャン、あれはオレが片付けよう】

 脳裏に突如、そんな文字が浮かんだ。相棒のパーシヴァル・スペクターが「喋って」いるのだ。それは映画のスクリーンに浮かんだ字幕のように表示された。その一文を今、彼が喋ったのだ、と定義されたからだ。

【まるで〈デイブレイカー〉だな、今夜の仕事は】

「とはいえ夜明けまではまだ遠いようですけどね」

【すぐさ……いつだってすぐだ】

 紙芝居のように頭に浮かぶ文字に応答しながらジャンはしばし、高みから街を見下ろした。あちこちで怪異が駆除され、すぐに流れ込む。朝までその繰り返し。そうしている間にもビルの高さが変わったり、空中に島が出現したりしている。遠くのほうに巨大な人型のなにかが出現した。怪物かと思ったが、警備隊の機動甲冑だ。近くの建物ごと悪漢を殴り飛ばしているようだ。湾口のほうでは光が走り、そのたびに上空へ膨大な鳥の群れが飛び立っている。〈鳥葬のランドール〉が何かを鳥に変えて空に放っているのだ。大体彼は無関係な通行人や野良猫なども見境なく飛び立たせ、後で問題になることが多い。今回もずいぶん大規模で、そうなりそうだった。

 真下では街灯の明かりがいつの間にか復活していた。パーシーが手早く処理を済ませたのだろう――正確には【パーシーは処理を済ませた】という事象が現実に追加されたのだ。

 ある意味で彼は自分によく似ている、とジャンは思った。霊体であるジャンの素性はすべて、出現と同時に定義され、世界に書き込まれたものだ。パーシーのすべての行動も同じだ。彼が歩く場合、その足が地面を踏みしめたり、石ころを蹴飛ばしたりすることはないが、そうしたのだと定義されれば、すべてはそう認めるしかない。だから、彼は中心点を感知し処理を行わなくとも、【パーシーは怪異を処理した】と定義するだけでいいはずだ。

 しかし、本人に言わせると、そういう雑なのはもっての外だと。もし自分が猟兵だったらそういう「雑な狩り」でも構わないんだけど、生憎浄化法人の巡邏官だからな、とのことだ。一つ一つ、どこからどこへ移動し、どのようにアダマントを構え、怪異を処理したかをきちんと定義しなくてはいけないのだと言う。

 彼がかつて話したところによれば、生まれたころは通常の人間だったが、五歳くらいからどうもおかしなことになり始めて、母親が息子をかわいいと思うのではなく、【かわいいと思っている状態である】と定義され始めた。そのうち、パーシーの姿がキャンバス上のラフスケッチのように判然としなくなり始め、【寝ているパーシー】【食事をしているパーシー】などの情報に還元され始めた。周囲の人間も気を抜くと、【パーシーと話している誰々】というふうに概念と化し始めるので大変だった。しかし年齢とともにイドラが馴染み、浄化法人で働き始めるころには恐るべき適合率に達していた。自分自身という概念の中であらゆる怪異を消滅させられる彼は、夜勤の主力となっていった。

【なあ、ジャン】パーシーの表情に【皮肉な笑み】と【困惑】がやや加わった。【あれはなんだよ……おいおい】

 彼が指差した方角ではランドールの鳥たち以上に奇妙なものが出現していた。湾口にあるデレク大王の巨像と同じものが、十体ほど繁華街に突き出ていた。そうしている間にも緑色の光とともに、地面から巨大な松明が生え、そのまま大王の腕から肩と、鎧を纏った勇ましい姿が雑居ビルを破壊しながら形成される。

【こいつはなんて冒涜的な光景なんだ。我が建国の英雄が筍みたいにぽんぽん生えてくるとは】

「あれは今週、モグ兵長の部隊に加わったジェリーだかジョニーだかっていう、デレク王の像を生成する人ですね」

【今週の新人一覧に目を通してなかったな。あんなやつがいるとは。インパクトじゃあオーガストといい勝負じゃねえかい】

 複数の像が隆起したせいで、小高い丘が形成されつつあった。あれが新しい観光名所となるさまをジャンは想像する。もっとも、朝までには消滅しているのだろうが。あれらを作り出す、彼の二つ名は何になるだろうか。〈石工〉か、新たなる大王の〈擁立者〉といったところか。

【しかしあの王も、死後ここまで巨大な像が作られると予想しちゃいなかっただろうな。最初のひとつの話だが】

「英雄ですからね、あの巨体にふさわしい」

【もしも】――【パーシー、仮定をする】――【オレたちがデレク一世並みの活躍をし、死後像が作られるとしたらどんなものになるだろうかね】

「うん。まあ、わたしの場合は半透明のものでしょうか」

【そこまで再現する必要はあるだろうか】

「あなたの場合さらに難しいでしょうね。まず、像の建設予定地を確保、それもただ購入するのではなく【パーシヴァル・スペクター像の建設予定地である場所】とどこかを定義するところから始めなくてはなりません。【パーシヴァル・スペクター像の青写真】と、【それを作成する設計者】を初めとする【建設プロジェクト・チーム】が存在し、雇用されていると定義づけられなくては」

【パーシーは首を降って】、【いいや、その前にまず建設反対運動が起こるだろう。巨大な像を新たに作るとなれば日照権の問題もある。公費の無駄遣いという批判も巻き起こるかも知れないぜ。それらの反対デモ、活発な議論、新聞の批評記事、どっちでもいいよという中間層、建造問題が争点となった市議選、観光地化で一儲けしたい地元商店街の思惑、などがすべて定義されなくてはならないんだ。そうして苦労して作成して出来上がるのはなんだ? オレの巨大かつ勇ましい像という灰色の概念だ、そいつがこの町を見下ろすことになるんだぜ。なんとも不気味じゃあないか】

「しかも下手をすると、先ほどの猟兵のように、あなたの概念像を無制限に作成する輩が出現するかもしれませんね」

 そう言われてパーシーは笑った。いつしか太陽が昇って来ている。彼という概念を通り抜けた朝日はすべて注意書き付きの定義となって、さらにジャンを通り抜け、オリジナルのデレク王を照らしていた。

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