Case19 修復任務
「血が止まったみたいだな。まだやれるか? やれるよな、セシリア」
瓦礫のさ中、強引に糸と針で相手の腕の傷を縫い、ガラテアは言った。口の中の血を吐き、不遜な笑顔でセシリアは「もちろん、やれるよ!」と何も考えずに答えた。
「お前らさあ、金もらってんだからうまいことやりなよ」後ろで、銀炎師団の衣装を着た男が言った。血まみれで壁にへばりついている彼はしかし、痛みを気にする様子もなく言う。「クエルヴォ旅団の緩やかな歩みじゃないんだからさあ、天気以外にも気にすべき部分があるだろ、金の話だよ。ローギルよ、この小娘どもに鋼の祝福を、オーラム」
「何言ってんだか分かんねえよ、ローズ神官長。あんたが金のことばっか気にしてんのは知ってるけどな、あの世に金は持っていけねえだろ。ここらで未練を断ち切ったほうがいいぜ」
「あの世に持っていけない? 誰だ、そんなでたらめをほざくのは。我が神の教えではこうだ――この世で財を築くのはすべてあの世への備えだ。この世での資産を全部向こうへ持ち越して、その多寡で――この世と同じく――その者の地位が決まる。そのために我らの人生はあるのだ。知謀も人脈も肉体も、すべて財のため。分かったらこのバカげた都市を守るため殺人者の群れを殺せ。二束三文の給料にふさわしい働きをしろ、油売り。この状況じゃあさすがのお前も、油を売ってる暇はないなあ?」
「おっしゃる通りだよ。商売上がったりってやつだな」
セシリアの目の前に三人の殺人者が立ちはだかった。身の丈は四メートルほどだ。
イドラ界より飛来した人型の怪異はおおむね巨大だ。小さいものでも三メートル、大きければ数十メートルの身長。向こうはすべてのサイズがいささか大きめなのか、あるいはこちらに続く穴の途中に、怪異を拡大させるレンズのようなものがあるらしかった。少なくとも曙光連の見解は後者だ。
殺人者はボロ布を纏い、鮮血を浴びている――周辺住民か、先に到着していた猟兵たちを多数屠ったようだ。得物は同じく深紅に染まった斧だった。
セシリアがまず動いた。一人目の殺人者は胸を彼女の剣に貫かれて倒れ、もう一人は脇腹を抉られた。しかしそこまでだった。背後から三人目に切りかかろうとしてセシリアは蹴飛ばされ、離れた所の石壁に頭から突っ込んだ。死んだんじゃねえのか、とガラテアはどこか他人事のように言った。
「逃げたほうがいいのではないかな、ガラテア。二体の殺人者相手は文字通り骨が折れる作業だ。ラプタニア人みたく故郷に帰ってトマトでも食ってたほうがいいだろうなあ」
「いや、なんとかなるだろ、多分。援軍がもうすぐ来ることになってんだ」
「その援軍とやらが勝てるように神に祈っておこうか?」
「間に合ってるよ。神が援軍だからな」
殺人者がガラテアに襲い掛かる前に、そいつらは倒れ、消えた。援軍の到着を悟ったガラテアも、ローズ神官長も、周辺に黒い霧が漂っているのに気づくと同時に死亡した。援軍である黄泉の神が、そこらの生命を根こそぎ剥奪し、草木すらも枯れ果てた。
そのあと神の依代リリィ・ロウは、修復官アイヴォリーへの面談を余儀なくされた。
「ああ、あんたな。猟兵社の……ロウっていうのは」
浄化法人ニューノール支部の面談室で、くたびれた顔のその男は言った。
「殺人者ごと地区の住民を五百人ほどぶっ殺したわけだ。まあ……人数的に言えばドイル狩猟長とか〈鏖殺のジャスティン〉には到底及ばねえよ、ただ、かなり特殊な方法でぶっ殺したな? 草木や虫とかバクテリアも死んでる。修復に少々苦労したんで、今後の参考のために詳しく聞かせてくれ。あとであんたの血液も採取すっから」
リリィは、自分は暗闇と死を司る神を宿す身で、その力によって生命を直接剥奪し、周辺の生物を死に至らしめたのだと説明した。
「ああ……なるほど、そういう系か。〈カタストロフ〉やファーガソン隊長に近いタイプだな。最初は毒殺か〈置き換え〉かと思って色々試したけど、道理でうまくいかないわけだ。分かったよ、今後はあんたが何かやってもうまく修復できんだろうさ。今後ってのがないことを期待すっけどな」
「ええと、テンペスト兵長が許可してくださったので、問題ないと思ってやったのですが……」
「問題はねえよ、ただ俺がちょっときつかっただけ」
「その、これはお手間をかけたお詫びです、どうぞお納めください」
そう言ってリリィはハムの詰め合わせをアイヴォリーに渡した。
「わざわざこんなのを持ってこなくてもいいのに。あんたは実に奇特な存在だぜ。この町で仕事中人をぶっ殺したり区画ごと消し飛ばしたり、そんなの皆一々気にしねえからな。俺や他の誰かが直すだろうって考えるんだよ。仕事外でいたずらにぶっ壊しても気にしねえ馬鹿もいる。それに比べればあんたは人間の鑑だよ」
「いえ、そんな……それではこれで失礼します、今後は気をつけます」
そう言ってリリィが帰ったあとやって来た男は開口一番言った。
「金融街を浅瀬に変えたんで直してもらっていいすか」
「何だと?」
「いや、わたくしとしてはただ剣を振っただけなんすよ、しかし見たらなんか浜辺になってた」
気楽な口調にアイヴォリーは苛立った。その態度はここ最近で最も厄介な男、オーガスト・ナイチンゲールを連想させたからだ。彼もまた、ただ剣を振り下ろしただけです、問題はないですよね、などと言い、思わずぶん殴ってしまったのだ。
深呼吸して平静を取り戻し、アイヴォリーは詰問する。
「まずあんたは誰だ? 名前と所属を名乗れ。その衣装を見れば分かるが」
「ああ、はい。わたくしは銀炎師団のエルモア巡行師です」
「なるほど。それで、浅瀬だって? 俺が修復する前にこうしてのんびりご報告ってことは緊急じゃねえよな。本当にヤバいのは取るものもとりあえずケツ叩かれて、事後報告だからな。まあ、それはいいんだ。それにしても、あそこはこの前泥沼から修復したばっかだってのに、またやってくれたか。範囲は区画全域か?」
「それどころかむしろ隣にもちょっとはみ出してますね」
「そいつは困ったな。あのな、地形そのものを直すのは人死にとかの数倍きついんだぜ、マジで。熱が出るほどな。この前の泥沼にしたって終わった後……いや、まあいい……そんで浅瀬ってのは、イミテーションか? 完全再現か?」
「え?」
「つまり、砂と塩水で浅瀬っぽいのができてるだけか、生物もいるのか? ってことだ。魚とか蟹とかヒトデとかくらげが」
「ええ、生物もいました。ウミウシとかも。あとくらげもいました。空中を浮遊してたんすよ」
「空中? それは普通のくらげじゃないな、怪異がもう誘発してんのか。色は赤か?」
「いえ、青っぽかったすね」
「そっちか……抗体持ちの浮遊種……厄介なもんだ。また残業しなきゃいけねえかもな。他には何かあった? まあ、詳細なのは現地調査団からの報告を待つが、とりあえず目についたものだけでいい」
「ちょっと離れたところに錆びたトラックが何台かありましたね」
エルモアがそう言った瞬間、アイヴォリーは顔をしかめてため息を吐いた。
「それもか……かなり面倒なのが誘発してんな」
「廃車なんて運び出せばいいだけじゃないんすか?」
「そう思うだろ? それはな、下手に手を出すと増えるタイプのやつなんだよ、まず間違いねえ。ちょっとでも俺が力加減をしくじっただけで百台、いや二百台にまで下手すると増殖すんだよ。今から憂鬱な気分だぜ、他にはなにかあったか?」
「いえ、もう何も……あ、そうだ。あれもあったか」
「あれってのは何だ? 言え」
「なんか甲冑を着た大昔の騎士みたいな人がいて」
「ああ……それもかよ、ひでえな。何人くらいだ?」
「五人くらい……それで全員が、手にぬいぐるみを抱えてたんですよね」
そう言った瞬間アイヴォリーの顔が青ざめた。
「なんてこった……何で調査団はまだ俺に報告しない……いや、それどころじゃない、局長に知らせて……いやこれは下手したらデレキアへ応援を要請しねえと……フェイクファー感染波がどこまで行ってる……」
と、ぶつぶつ言うアイヴォリーに対しエルモアがさらに、
「そうなんですよ、ピンク色のウサギのぬいぐるみを全員持ってるもんだから」
と告げた瞬間、アイヴォリーは気絶してしまった。
なぜ彼がそれほどまでに困惑、疲弊、絶望したのかエルモアには理解できなかったが、そのあと急速に浄化法人は騒がしくなり、金融街は封鎖され、大勢の人間が周辺を取り囲んだ。罵声や絶叫、嗚咽、人のものではないなにかの叫びなどが浅瀬のあった辺りから聞こえ、上空に巨大な黒い浮遊物が表れたり、海上にどこの国のものか判然としない船が現れたり、ニューノール全土に、カラスの入った鳥篭を携えた老人が現れて「儀式じゃ」と呟きすぐに去ったり、すべてのパン屋からクリームパンが消えたりした。しかしそれらは普段の怪異にまぎれて消え、都市当局も問題はまったくないとコメント。人々はいつしかそれらを忘れていった。
しかし、この騒動の引き金となったエルモア巡行師の姿を、その後見たものは誰もいなかった。
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