Case17 イドラ投影体

 最近夜勤に新人が入ったので歓迎会をしようということになった。オーガストが、自分が入ったときにはやらなかったのにですか? とラドクリフ隊長へ抗議すると、彼は三人新人が入るごとにやるというこの支部のシステムを解説した。一人ひとりやってたら贅沢だし手間もかかるし、それにそこまで歓迎しょうって気持ちもないし、と率直に隊長は言った。

 〈東方の獅子〉亭という、いつまでも電球が切れており、店主がそれを無視して間接照明を導入した飲み屋に一同はやって来た。大テーブルに腰掛けて隊長が全員に話す。

「ろくに顔を合わす機会もないだろうし、今後もないだろうが、一応自己紹介をしろ。名前と一言を、左回りに言っていけ。まずはレイから」

「えーっと、朝勤のレイチェル・スウィフトです。どうも」

「朝勤のエヴァ・ライムです。最近入りました。よろしくお願いします」

「朝勤のウォルター・スワンです」

「ヴィクトリア・ハイド、朝勤」

「あ、朝勤のアレックス・エドワーズです」

 そういった具合にほかの昼勤、夜勤の面子が自己紹介していく。エヴァがほとんど知らない人物も多かった。ルカやオーガストはそれが終わる前にビールを飲み始めていた。全員終わった後で隊長が「イドラに乾杯」と言い、一同は手にした飲料を口に運ぶ。エヴァは林檎ジュースをひたすら飲んでいた。

「ぼくは思うんだけどさあ、やっぱりこの前のあれはさあ、まずかったと思うよ。ジェイスもそう思うだろ?」

「かも知れないな」

「ノエル君、今度オレは二刀流でいこうと思うんですがどうですか?」

「馬鹿を言うんじゃないよオーガスト! 被害が市外にも及ぶよ!」

「隊長、僕らのシフトが週六になっているんですけど、これは何故ですか」

「どうしたウォルター、きついか?」

「いえ、ああ、まあきついですけど、理由を知りたいってだけですよ」

「トリアも知りたいのか?」

(頷く)

「アランの野郎が昨日バックれて連絡もつかないからだ。文句があるなら奴の家に肉を降らせろ、お前の得意技だろ」

「任意の地点に降らせられるほど制御できていないとご存知でしょう、この固有イドラに僕が苦しめられているって」

「苦しんでいるのは俺も同じだ、このパスタの中にミートボールが一個も入っていない。俺のだけだぞ。分かるか?」

「いや分からないですけど、じゃあそうですね、週六で。学校のほうをサボりますよ」

「エヴァ、新しい作戦を思いついたぞ。拘束衣をあたしが最初から着た状態で感知を行うんだ、そのあと棺桶とかに入れて台車で運んでくれ。そうすりゃ早い」

「そんなものをどこで入手するの?」

「そういうプレイに使うって言えば専門の店で売ってくれるだろ。今度一緒に行こう」

「一緒に行く意味がなくない?」

「じゃあそれはいいけどどっか一緒に買い物でもいこうぜ」

「ならホームセンターで工具を買いたい」

「工具なんてなんに使うのさ」

「金属を加工するのに」

「それで現代アートでも作るのか?」

「ううん、ただ加工するだけ。そして、捨てる」

「オーガスト、お前デレキアの聖スティーヴの信奉者でもないくせに、唐揚げにレモンを絞るんじゃない」

「なんでですか隊長、いいじゃないですか」

「良くない、お前はすべてが良くない」

 そんな話をしていると、近くの区域の猟兵たちが隣のテーブルについた。エヴァが初日に会った〈夙興のジュリアス〉や、他にも近所で何度か見かけた顔がある。頭らしい小柄な女性が隊長に話しかけた。

「ラドクリフ、久しぶりだな。お前らも宴会か?」

「ああ、モグ兵長。部下の歓迎会だよ。そっちも?」

「日々の疲れを癒すために酒に溺れるんだよ。お前ら、挨拶しろ」

「隊長、久しぶりです」

「ああ、ジュリアスか。そっちのはグ……グ……」

「グウェンドリンです。グウェンドリン・ウォーレン。〈石火のグウェン〉って呼ばれてます」

「そうだった。グウェンに……そっちのやつは見たことないな、新人だろ」

「いや、何度も会っています。リック・カーターです」

「本当か? 初めて見るぞ。最近どこかの領域から流れてきたか何かじゃないのか?」

「いえ、オレはこの領域の人間ですよ。合同作戦でお会いしたじゃないですか」

「覚えてないな。それで兵長、最近はどうだ? ろくでもない部下やろくでもない顧客はいたか?」

「毎日のようにいるぞ。この前は除去したあとでどこぞのおっさんが、イドラが変異して家が植物に覆われたなどと言ってきたが、中心点を探さずに適当に処理したんだから、そうなってもおかしくないだろう? そんなことすら知らずに私らに依頼する愚挙。仕事が粗いとか雑とか、そういうことを言ってくるやつらが未だにいる。馬鹿げたことだ。お前もそう思うだろう、ラドクリフ?」

「ああ、確かにあんたらに大してそういうことを言うのは、認識が足りてないな」

「そうだろ? そういうことがあるたびに私は、馬鹿が、ここは猟兵社だ、きちんとした処理が欲しいっていうなら、浄化法人へ依頼しろ、って説教してやんだよ。先月なんざ、固有イドラを用いて銀行を襲ってるやつがいるからどうにかして欲しい、なんてやつが来やがった。そういう犯罪的なのは警備隊へとっとと電話しろ、って言って酒飲みに行ったんだよ。強盗は結局粒子砲で消し飛ばされたらしいな。阿呆ばかりだ、この街は」

「まったくそのとおりだ。教育のせいかな。まあ飲んでくれ、兵長」

「お前も飲め、ラドクリフ。〈鯨飲のヴァイオレット〉みたく今夜は飲め」

 そのうち店内にそこらの大学の大規模なサークルが入ってきて、にわかに騒がしくなっていった。彼らに続いて知らない間に、地元の労働者みたいなおっさんたち、ローギル派の聖職者たち、ドラム缶ほどある大ジョッキを手にした姿勢の悪い巨人、入店時から泥酔しててぶっ倒れた人、ひたすらにぱちぱちと炎語を投げかけるイフリットの論争者、勤務中らしい警官などがいた。

 やがて宴もたけなわ、って感じのころにいきなり酒場の壁が崩れて、巨大な蟲が頭から店内に突っ込んできた。口から何か汚らしい液体を流しながらそいつはガチガチと音を立て、足や羽をでたらめに動かした。

「一体なんだ? ルカ、表を見て来い」

「なんでぼくが行かなくちゃいけないんだ?」

「お前は普段働かないからこういう簡単な仕事をやらせるしかないだろ、早く行け」

 文句を言いながら壁の穴から外を見たあと、蟲の頭を二、三発蹴飛ばしてルカは戻ってきた。

「空をああいうでかい蟲が飛んでて、警備隊が戦ってる」

「なら大丈夫だな、続けよう」

「だいぶ食われているようだけど」

「それも仕事のうちだ。気にするな」

 そのうち壁の穴から数人の警備隊員が入ってきて、でかい蟲や壁を盾に、表に銃を撃っている。

「大変だな。兵長、助けに行ったらどうだ?」

「何言ってんだラドクリフ、お前こそ日ごろデスクワークばかりで鈍ってるだろ? 一仕事してきたらどうなんだ」

「あいにく酒かっ食らった後でまっすぐ歩けるかも怪しい、足手まといになるのがオチだ。どうだ、誰か行くか?」

 一同は反応せず飲み続けている。大学生とか近所のおっさんとかも、あまり気にせずに宴会を続行、警備兵だけが緊迫した様子で戦闘を繰り広げ、そのうち足がやたらとたくさんある巨大ムカデみたいなのが進入し、一人の隊員が食われたが、周囲の兵士の一斉掃射で蟲はばらばらになった。弾け飛んだ断片や液体がジョッキに飛び込んでも、代わりを注文したり、あるいはそのまま飲んだりで、一同は決して、蟲退治に関与することはなかった。

 帰り道、大量の蟲の残骸を避けながら皆は帰らなくてはならなかった。モグ兵長はもろに臓器を踏みつけて大声で悪態をついた。エヴァはしらふだったので、落ち着いた足取りで蟲どもを避けて歩いていると、後ろから誰かが声をかけた。

 雲に隠れた月を背に話しかけてきたのは、エヴァと同じくらいの年齢の少女だった――しかし彼女の体は半透明で、動くと霞み、よく見てもその顔は明らかにはならなかった。

「始めまして、先ほどはろくにお喋りできなかったので自己紹介しておきます、エヴァ・ライムさん。夜勤に入ったばかりのジャネット・クロウリーです。よろしければジャンと呼んでください」

「初めまして、どうも。ええと、ジャンは幽霊?」

「イドラ投影体です。幽霊というのとは少し違います。わたしはイドラ現象であって人間の死んだあとの魂、ではないのです。この十八歳のジャネット・クロウリーという人間、そういう〈現象〉が今あなたの前にいてお喋りしていると理解してください。水が高いところから低いところへ流れる、ハリケーンが発生する、太陽が昇って沈むのと同じ、現象です」

「現象?」

 月が雲から現れて背後からジャンを照らし、彼女の顔が少しの間明確になった。眼鏡をかけ長い髪を編んだ、図書館にいそうな真面目な少女に見えた。しかし、すぐにその姿もぼやりと四散する。

「生真面目で気まぐれな、好奇心が強い人間で、猫が好きで、毎朝学校へ行く前に花屋の店先で香りを嗅ぐ、イチジクのタルトが好きなジャネット・クロウリーという〈現象〉です」

「つまりジャンは」エヴァは思いつくがままに、言った。「自我が存在していないっていうこと? 哲学的ゾンビみたいに。私からは自分の意思で喋っているように見えるけど、本当は風の音が声に聞こえても錯覚で、誰の意思にもよらないように、ジャンの精神は存在していないってこと?」

「それに関してはどうとも言えないのです、エヴァ」十八歳の文学少女が、難解な哲学書を友人に解説するように彼女は言う――自分も背伸びして読んだがために、それがばれないように苦心しながら。「わたしは紛れもなく自己の判断で喋っている。自分の意思と感情に基づいて喋っていると確信していますが、あなたがそれを確かめるのは恐らく不可能でしょう。こうして擬似的なジャネット・クロウリー的存在を観測することができても、わたしの自由意志を確信するには決して至らないはずです。そもそもがイドラという現象がそうなのです。五分前に生まれた世界に、数億年、数兆年の歴史の痕跡が刻み込まれているように、『そのように定義されているから』そうである、としか言いようがないのです。年寄りライオンのイドラに、出現する前の過去がないのと同じです」

「なるほど」曖昧にエヴァは頷いた。「あまり深く考えてもしかたないのかな。目の前に今いるジャン以外について。って言っても、イドラに関係なく、私たちの過去や未来も、あってないようなものだからね。もう、あるいはまだ、頭の中にしかないから」

「恐らくそのはずです。しかしわたしは、三百年間この国に溢れ続けているイドラは、次なる時代・世界への兆し、そう、黎明への階梯だと考えていますよ」

「そうだといいね」

「ええ、夜勤と朝勤なので、今後も交代のときなどにはお会いするかもしれませんね、エヴァ」

「そのときはよろしくね」

「こちらこそ」

 そうして二人は反対側へ歩き出そうとするが、エヴァはふと思いついて言った。

「あ、ジャン。ちょっと気になったんだけど、ジャンの体の内部を通過とかできるのかな? 霊なら」

「え?」

「物理的に干渉されない? 痛かったりする?」

 そう言いながらエヴァはジャンに歩み寄る。相手は困惑したように、

「すみません、ちょっとそれはやめていただけますか、その、また今度の機会に」

「え、そう。そうだよね、ごめん」

「いえ、こちらこそすみません」

「うん、じゃあまた」

「はい」

 そのあとでエヴァはなんだか、自分が非常に無礼な人間になったような気がして帰り道、少し落ち込んだ。酒は飲んでいないけど――酔っ払って失敗した人が翌朝後悔するときは、こんな感じなのか、と思った。

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