Case16 多重解除条件
埋葬業者のカミングスが道の脇に死体を埋めている。もちろん違法だ。しかし、いつの間にか家の中、居間とか風呂場に湧いて出る死体の処分法に皆困っているので、彼に頼むしかない。しかもこの男は死体を買い取るのだ。二束三文だが物置からスコップを持ち出し庭を掘り、腐った屍を埋める手間に比べたら、彼を電話で呼んで依頼すれば二つ返事で引き受けてくれる。荷車に乗せた死体をそこらの街路樹の下に埋めるあの男、いったいどこから金を出しているのか、誰も知らない。喪服の彼らは鼻歌交じりに土を掘る。どうやら副業でやってるらしく、全員が何らかの本業を持っているということだ。当のカミングスはデイトレーダーか何からしいが、実家が金持ちの高等遊民という説もある。
彼らの横を通り抜けながらルカとジェイスは、オープンカフェで一服するウォルター・トリア組を見つけた。近づくと彼らは未だにドロドロした汚水で黒く汚れたままだ。
「隊長に追い出されたからってこんなところでデートか?」ルカが言う。「なにを処分したか知らないが、そんな格好でよく入店拒否されなかったじゃないか」
「うん、そのための店なんだよ、ここは」全身の汚れと同じくドロドロの飲み物を口にしながらウォルターは店内を見渡して言った。床には緑色や赤、黒などの廃液が垂れ流され、客も皆、なぜか全身が汚れている。今さっきドブに落ちたような人、全身血まみれの人など、多種多様なドロドロが見られる贅沢な光景だ。
「ここは、空から何か汚水が降ってくるっていうイドラに憑かれた人が始めた店なんだ。だから、自分と同じくドロドロした感じの人以外は入店拒否されるよ。そこらのドブ川を使って水浴びすればすぐに入れるけどね」
「なんていうかある種の秘密クラブみたいな感じだな。ぼくはきれい好きだから、きっと一生縁がないと思うけど、まあ、ごゆっくり」
ルカがそう言って立ち去ろうとすると、初老の店員がやって来て水鉄砲を構えたのでとっとと二人は退散した。店員はそこらの通行人にそれを噴射し、汚していく。客引きのつもりのようだ。
逃げ惑う人々を掻き分けて、一仕事終えた、喪服を泥と血膿で汚したカミングスら埋葬者がカフェへやって来る。あるいは、需要は尽きることはないのかもしれない。考えてみればあのカフェのオーナーやウォルターのみならず、局地的な泥水の雨、巨大ウミウシの攻撃、ゾンビ、魚醤を撒き散らすジュリエット四世の信奉者などの被害を受け、誰もがドロドロになる危険を孕んでいる――家に帰ってシャワーを浴びる前に一休みしたいなら、どこかにああいう店を確保しておくべきだろう。
高速道路の下の暗い駐車場にそれはあった。石壁だ。苔むした、古戦場の防壁みたいな年代ものだ。もろに駐車場を分断するように聳えていて邪魔だし、崩れたら死人が出かねないので管理人が依頼してきたものだ。
さっそくジェイスは目を光らせた。そのあとで彼は渋い顔をする。「難易度が高い」
「ああ、そうかい? それは精鋭部隊に依頼するほどに?」ルカが質問する。
大抵の怪異は中心点の破壊か呪文、あるいは特定の位置への移動をもって処理が完了する。しかし、一般の巡邏官では困難な場合もある。
例えば中心点を含む周囲数キロをすべて同時に破壊しないといけなかったり、数千度の高熱でなくては壊せなかったり、特殊な薬液を用いて人間を殺傷しないといけなかったり、そういう場合は無理せずに支部隊長へ連絡し判断を仰ぐことになっていた。要請を受けて適切な部隊が本部からやって来る。
「恐らく俺達では無理だ。具体的には、まず左手をサイ、右手をペンギンに触れた状態で呪文を唱える必要がある……」
「サイとペンギン? なんて脈絡のない。きっと動物園に頼むことになるだろうか。確かにぼくらでは無理だな。じゃあ隊長へ電話して……」
「君達」にわかに、二人に声をかける者がいた。「困っているようだね……」
見ると、駐車場の隅に一人の男がおり、折りしも風が吹き、砂煙が舞い、その向こうからこちらへ歩いてくるところだ。
髭を生やした、彫りの深い顔立ちだ。二本の長剣型アダマントを腰に差し、擦り切れた巡邏官のジャケットを纏っている。
「あんた誰?」
「オレはアーノルド・ゴッドウィン、諸君と同業者だよ。特務官をやっている。何で困っていたのか分かるさ、サイとペンギンを用意しなけりゃならないんだろう?」
「なんでそれを?」
「危険が伴う相手だ、特にサイ」ルカの質問を無視してゴッドウィンは言う。「まずでかい。シロサイだと体長四メートルを超える。皮膚は硬いし、動きも早い。そいつらに触るなんておっかなくてやりたくないだろ?」
「積極的にやろうとは思わないだろうね。それで、あんたがそれを助けてくれると? 動物園にコネがあるというわけ?」
「そんなものはないが、オレがいればこの怪異はすぐに解決する。後ろを見たまえ」
二人が振り返ると、そこにペンギンとサイがいた。微動だにせず、まるで置物のように見えた。
「こんなのあった?」
「オレが発生させたんだ。分かるか? オレはペンギンとサイを自由に出現させることができる。しかも、そいつらを思ったとおりに動かすことができるわけだ」ゴッドウィンの言うとおり、手招きすると二体の獣は彼の横へ移動した。「これは、万人に存在する〈PR値〉が七千を超えなくてはできない芸当だ。二千を超えれば脳内に精巧なペンギンとサイのヴィジョンを描くことはできるし、五千を上回れば虚像を空中に投げかけることはできるだろう。しかし、実体をこうして出現させられる者は、王国内でも片手で数えるほどしかいないだろう。その中でもこのオレが頂点だというのは疑いもない。オレのPR値は二万五千を超えているのだからな。しかも、だ。これと同じ処理条件の怪異がどれだけ発生しているか分かるかい? 平均して一日に三件は出てくるんだ。あんまり知られてないことだけどな」
「そんなに? 確かに知らなかった」
「そのたびに動物園に依頼して貸し出してもらうのは骨だろ? だがオレがいればあっという間に解除できるって寸法さ。これは他の誰にもできない仕事だ。プリンス大隊長や、精鋭部隊たち、王都のハンター総長にだってできやしない偉業だと思わないか? 何しろPR値が一万を下回れば、一日に複数回、ペンギンとサイを実体化させることは困難だからだ。このイドラが発生するたびにオレはこうして出向いて、ペンギンとサイを提供してやるのさ。さて、これからどうすればいいんだ?」
「左手をサイ、右手をペンギンに触れて、呪文を唱える必要がある」ジェイスが言い、紙に文字を書いてゴッドウィンへ渡した。
彼はただ沈黙した。それが見たこともない文字だったからだ。
「これは外国語か……」
「いや、こんな文字はどこの国でも使われていないと思うよ。まるで蛇がダンスしてるみたいな。ジェイス、これ適当に書いたわけじゃあないだろうね」
「そんなわけがないだろう。俺だって早く終わらせて帰りたいんだ。ここはやはり、隊長へ連絡して……」
「君達、困っているようだね……」
三人が声のしたほうを見ると、駐車場の隅、砂煙の向こうに人影があった。
「根源ピジン言語が必要なのだろう?」
どうやらその言語をしゃべれる人がゴッドウィンと同じく助けに参上したようだった。これで駐車場の壁を除去できると思いきや、ジェイスが次の条件を言う。
「さらに、その呪文を唱えたあとで、二年前のワールドシリーズ最終戦でウェスタンゼルス・カーディナルズが出した三つのホームランボールすべてを、周囲二メートル以内に配置する必要がある」
「それは確かオークションにかけられて全土に散らばったはずだろ? ここに持ってくるのは不可能じゃ」
と思いきや、駐車場の隅から砂煙を越えてそのボール三つを持った人物が来た。
こうして、その後もジェイスが無理な処理条件を口にするたびに、それをこなすのを専門としている特務官が現れ、その数は二十七人にも昇った。難解な言語、希少な物品、空中で六回転などの無理な動作、高エネルギーによる破壊、逆に超低温状態の作成など、難しい条件をすべて満たす精鋭が周囲に揃ったが、最後の条件として、七十億年の経過が必要ということが分かり、これはどうしようもないので、隊長に電話すると、特務官を派遣しよう、ということになった。そして、あらゆる壁系イドラを処理するという触れ込みの人がやって来て、そいつが壁に触れた瞬間イドラは消滅し、ルカが、これだけ雁首そろえて壁一枚すら片付けられないとは……という空気を出したために、全員が意気消沈して、市内各地に、次の怪異を探して去って行った。もちろん彼ら二十七人の特務官がふがいないのではなく、この駐車場の壁という怪異の難易度が異常に高かっただけなのだが。
その次の仕事は、路上で暴れている生き物の処理だった。
駐車場の壁で存分に疲れている二人が、重い足取りでそこへ向かうと、肉でできた筒状の塊があり、のたくっている。周囲はドロドロした血液のようなもので汚れている。こういうのは猟兵たちに依頼してくれと思いながら、ルカが生き物を押さえ、ジェイスが近くのドブ川の中にあった中心点を破壊した。壁に比べると驚くほどあっさり完了したが、二人ともその短時間でドロドロになっていた。
二人は、ウォルターとトリアのいた喫茶店で休んでから、支部へ帰ろうと決めた。
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