Case14 依代

 金融街は今や文字通り、泥沼だった。三日前に〈カタストロフ〉が周囲数キロに渡って、街が存在するという事実を〈終結〉させコンクリートの地面のみにした。そこまでは良かったが汚水が湧き出し今や立派な沼地になっている。蛙が鳴き、蓮が咲き乱れる。〈不撓のカイル〉は今日もまったく動じておらず、泥沼の中を突き進み、泥の天使を三体狩った。泥の天使はその名の通り沼地や汚いどぶ、乾いていないコンクリートの上などに出現する存在だ。見るだけで運気が吸い取られると言うがカイルはもちろん気にしていない。カットラスの雑種刃バスタードを天使に突き刺し、そいつは汚泥と化して水底に落ちた。

 離れた岸辺から〈鯨飲のヴァイオレット〉はワインを飲みながらそれを見ていた。一瓶開けるころ、白い髪の少女がやって来た。どこかの高校の制服とラウンドフレームの眼鏡を身に着けており、気弱そうな印象だ。

「あのー、こんにちは。ヴァイオレットさんですか」

「いかにもわたしがヴァイオレットだ。テンペスト兵長から話は聞いている。君が今回、我が支部に参加したいという……リリィ・ロウだな?」相手を一瞥し、ヴァイオレットは言う。

「ええ、そうです。その、兵長さんが直接面接するものかと……というかどうしてここで面接をするんですか?」

「兵長は宴会の予定が入っているので休みだ。わたしがまあ、肩書きはないが副長といった身分でな。彼が多忙のときはこうして事務関係を執り行うことになっている。泥の天使の数が多すぎるならカイルの手伝いも必要と思ったが、一人で問題なさそうだしな」

 泥沼の濃いイドラのなせる業か、カイルは不安定な足場をものともせず跳躍し、一体の天使の羽を両断したところだった。

「さすがは〈不撓〉だな」ヴァイオレットは次のワインのコルクを抜き、ごくりと飲んだ。

「あのー、なぜお酒を飲んでるんですか?」当然の疑問をリリィは述べる。

「酔わないようにするためだ」

「え?」

「正確に言うと、酔うことによって酔っているかのような症状を防ぐためだ。わたしは酒を飲まないと業務に差支えが出る体質でな。血中アルコールが〇・四パーセントを切ると顔が赤くなって声がでかくなり始める。〇・三パーセント以下で足元がふらつき出す。〇・二パーセント辺りでは千鳥足で、他人に絡み始める。完全にしらふだとほとんどぶっ倒れ、まともに行動すらできないのだ。だからこうして泥酔を維持し、意識をはっきりさせておく必要がある。さてさっそく面接だ」

 コンクリートの岸辺に腰掛けてヴァイオレットは書類を見ながら話し始める。

「聞いていた通り、週三で来れるのだな? 夕方希望とのことだったが」

「そうです」

「適合値は申し分ないな。かなり濃いイドラ内でも活動できるだろう。固有イドラが……〈暗黒神〉? この〈暗黒神カハルジャ〉っていうのは誰? 何?」

「私です」

「暗黒神なの? 君は」

「そうです。暗黒神カハルジャあるいはカールヤ、アリージャもしくはケルヤ、が内部に存在している状態になっています」

「本当に? よく分からないけどすごいな」

「数万年前にダガスと戦って負けて地の底に幽閉されたのです」

「ダガスはラプタニアの太陽神だな」

「はい。七日間戦いが続いて非常に疲れ、最後は黎明の太陽から何か力を得たみたいなダガスが剣で刺してきて封印されました」

「それは大変だったな。その神の記憶は共有している状態?」

「そうです、やや」

「大変だな。それはどう使うの?」

「え?」

「自分で制御可能な状態になっているって書いてあるよ。そうなの? そうだと業務にとても役立つのだけど」

「えーと。前に徒らに使ったとき警備隊の人に怒られたんですけど」

「大丈夫だ、今は業務内だから許される。ああ、カイル。終わったか? こちらに来てリリィの技を一緒に見ようか」

 泥の中から天使を引きずってカイルが上陸した。天使はすぐに泥の塊になってアスファルトを黒く染めた。その中からは即座に蓮が芽吹き、花を咲かせる。

「そんなに大したものではないんですけど……」

「いや、神が宿っているのだから大したものだよ。就職にだいぶ有利だと思う。もっと自信を持ったらいい。カイルもそう思うだろう」

「ああ、そう思う。自信は過剰にならない限り大切だよ」靴の泥を落としながら彼がそう言ったので、リリィはあまり気乗りしなさそうだったが実演を始めた。

「太陽が完全に沈むともっと力が出るんですが、とりあえず形だけ」

 彼女が右手をかざすと、黒い煙のようなものが立ち上った。

「それがカハルジャの力? 力が今出ているの?」

「出ています」

「それは何かエネルギー的なものを出して相手を吹っ飛ばしたりできるの?」

「そういう物理的干渉はできないです」

「そうなの?」

「物質界とは異なる領域に神の本体が封印されているので」

「それはイドラ界とも違う?」

「違います。ええと、そこからイドラ界を経由してここに顕現してはいるのですけど。なので、神そのものの力というより、間接的に投げかけられた影といったところなのですが」

 さらにリリィの右手からの暗影は拡大し、空中で広がりながら漂っている。煙草の煙か、水中に垂れたインクのように。

「これで何ができる?」

「一番簡単な効果として目くらましにはなると思います。日光がまぶし過ぎるときに日陰を作ったり。あと空気を若干かき回すくらいだったら干渉できると思うので」

「もっと難しい効果は?」

「力を入れれば生命を消せると思います」

「生命を?」

「はい、新鮮な果物を腐らせたり、生物を弱らせたり、本気出せば殺せると思います。衰弱死とか。ただ拳銃を撃ったほうが早いと思います」

「うん、たぶんそうだろうな。それで全部か?」

「いえ、まだこの体のままなので全力ではないのです」

「ほう」

 そんな話をしているところで、数台のバンに乗って二十人ほどの男女がやって来た。泥沼の手前まで来ると、車から鉄板を降ろし、火を焚き始めた。どうやらバーベキューをするようだ。

 蒼昊騎士団の僧衣の、堅苦しい感じの男と、同じ服装の少女が近づいて話しかけてきた。「あーっと、すいません。今からそこでバーベキューやるんですけど煙とか大丈夫ですか、って話なんですけど」

「別に構わない。というか『今からやる』のではなくすでに点火しているではないか?」ヴァイオレットが指摘すると少女は頭をかきながら何か言おうとする。そこに男のほうが、

「確かに。その点に関してはこちらに非があると言えないこともなくはない、かも知れぬ。しかし、ここは大いなる天空の下、我らが天空神のもと、寛大な気持ちで……」

「ミスター・マーシャル、許可はもらえたんだから長い話はいいって。っていうか双月会の皆さんが近所ってだけで参加させてくれたんだからもっと謙虚に、って話ですよ。さっきから肉をどんだけ食べるかって話ばかりしてるじゃないですか、あなたは」

「何を言うのだミス・クルーズ、私は常に、ゆりかごから墓場まで常に、謙虚なことこの上ないではないか。会長もそんな私の人柄に惚れ込んでこうしてバーベキューに誘ってくれたのだ」

「たぶん大型車持ってるから足代わりにちょうどいいって理由でしょ」

「許可は得たかね、ミスター・マーシャル」老人と、少年が二人の蒼昊騎士を呼びにやって来た。「良ければ、双月会・第二十三領域支部と貴君らキングズ区天空教会の合同宴会、乾杯の音頭を始まるぞ」

「肉全部食べちゃうよ」

「アンディ、何度も言っているように君はもっと謙虚になるべきなのだ。この私を見習って……」

「あなたがた、向こうへ行ってくれないか?」ヴァイオレットが切り出した。「今から重要な場面なのだ。宴会どころではない」

「いや、そういうあなたも酒飲んでるじゃん、って話よ」クルーズと呼ばれていた少女が反論する。「この沼で何やってるの? 花見? 花見酒? 蓮の花を見ながらワイン、優雅だよね、って話だけど」

「我々は見ての通り猟兵社の者だ。此度はここにいるリリィ・ロウの面接を行っていたのだが、彼女が暗黒神を宿すという固有イドラの持ち主で、その実力を見ようと今から神を顕現させるところだったのだ」

「ほう、暗黒神とは豪勢な」老人が頷きながら言う。「その若さで大したものだ。もし良ければ我々にも見せてくれないだろうか。ちょうどいい余興になる。皆の衆、こちらに来たまえ」

 老人の呼びかけに応え、何だ何だ、暗黒神だってよ、そいつはすげえや、などと言いながら双月会と天空教会の面々が周囲に集まった。ヴァイオレットは面倒そうな顔になり、リリィは緊張で青ざめている。

「リリィ、気にしなくていいよ。民衆はカボチャと同じだ。失敗しても笑いものになるだけだ。いざとなればそこの沼に飛び込んでそのまま帰れ」カイルがアドバイスするが彼女は漫然と頷くだけだった。

「ええっと、じゃあ、やります。少し離れたところに出ますので」

「うん」

 決意したようにリリィは目を閉じ、そして見開くと、彼女の全身は黒い闇に包まれ、上天へ舞い、一キロほど離れた場所に真夜中のような暗黒として流れ込んだ。

 そこから間欠泉のように立ち上ったのは、泥沼の水面のように黒く、どろどろとした闇だった。その中から現れた神は、鎧に覆われた巨大な戦士の外見で、長大な槍を握り締めており、水が流れるように体表を暗黒が漂っている。身長は三百メートルはありそうだった。その姿にしろ、リリィがイドラを制限しているのだろうと思われ、本気を出せばもっと超大になるだろうとヴァイオレットは思った。

 周囲の人々は拍手喝采だった。でかい、強そう、神々しい、神聖、大統領、の賛美のあと彼らは杯を掲げ、「暗黒神に乾杯!」と叫ぶと酒を飲み干し、肉を焼きに戻って行った。

 そのあと神の姿は消え、一キロ先から小走りでリリィが戻ってきて、「あの、ああいう感じだったんですけど」と不安そうに言った。

「うん、いいね、見事だった。あのサイズなら、いろいろできるだろうね」

「はい、たぶん闇を流せばニューノール全土の人を二十分くらいで殺害できると思います、かなり疲れますけど」

「そいつはいい。あまり使う機会はないだろうけど、さすが暗黒神は違うね」

「いえそれほどでも」

「じゃあ、合格ということにしよう。今後よろしく頼むぞ」

「はい」

 盛り上がる宴会の参加者を背に、一同は沼地を後にした。リリィにはカハルジャの持っていたなんとかという魔槍を模した雑種刃バスタードが与えられたが、重すぎてほとんど使うことはなく、神の姿も大味すぎて、それからほとんど変身することはなかった。

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