Case11 雄大なる刃
感知係ノエル・ハンコックは成人していたが、未だに十三とか十四歳くらいの外見だった。髪を伸ばして、切るのが面倒なので後ろで束ねている外見のため少女と間違えられることも多かったが、彼の人生最大の悩みはそれではなく、駅とかバス停の入り口に〈番人〉が時折いることだった。番人は身の丈二メートル半はあり、漆黒の甲冑を纏い、巨大な斧や鎌、アサルトライフルなどで武装し、ノエルが近づいたら一瞬でぶち殺すという殺意に満ち溢れていた。それでしばしば彼は、隊長に休みの連絡を入れなくてはならなかった。
ノエルにはしばらく相棒がおらず、感知と処理を自分ひとりで兼任していた。その日も、蛙が風呂場に湧いて出るというお宅から依頼を受け、二十匹ほどのヒキガエルに囲まれて左目を光らせるた。すると、裏の通りにいる老けた男が中心点で、彼の顔に酢をかければ蛙の怪異を消せると分かったので、家のおばさんに酢を分けてほしいと頼んだが、なぜかおばさんはこれを拒否した。酢があれば蛙が湧いて出るのを止められるんですよ、とノエルが説得しても一向に首を縦に振らないので、自分の金で酢を買いに近くのスーパーへ向かった。裏通りの男の顔にそれを浴びせ、蛙を消して支部へ帰ると見知らぬ男がいた。
そいつは髪を脱色してて、襟足の辺りだけ赤く染めていた。着ているTシャツには髑髏が描かれ、指輪や首飾りにも同様に骸骨があしらわれていた。縁起の悪い男だとノエルは思った。
「ノエル、こいつがお前の相棒となるべき男だ」ラドクリフ隊長が言った。
「えー、突然だね」何も聞かされていなかったノエルがそう反応すると、
「伝えるのを忘れていたからな。処理係のオーガスト・ナイチンゲールだ。女に家を追い出された哀れな元ヒモ野郎だ。仲良くしてくれ」
「こんな、しゃれこうべをふんだんにあしらった人物と仲良くできるか分からないよ」
「オレは、自分ではフレンドリーなナイスガイと確信しているんですけどね、ノエル君」低い声でオーガストが言った。「だから今後、よろしく頼みますよ」
「ああ、よろしく」ノエルは彼と握手する。手はがさがさで、冷たかった。
「今日はあと一件仕事が入ってるから、オーガストへやりかたを教えつつ片付けてきな……このサラダはえらく瑞々しいな! どうせパサパサだろうと予想してたのに、その覚悟が無駄になっちまったぞ」
ぼやく隊長を残して二人は支部を出た。
手にした資料には、商店街で発生した怪異についての情報が記載されていた。場所はそう遠くない。歩きながらノエルは相棒に話しかける。
「オーガスト、あんたはヒモやってたとき仕事はしてなかったの?」
「してないですよ。しなくても食っていけたもん」
「家事もしてなかったの?」
「一切していなかった」
「ろくでもないお荷物だね。それでどれだけ持ったの?」
「一週間」
「ヒモ生活一週間で終わったの? もっと粘れなかった?」
「彼女が刃物を手にしてなかったらもっと粘ったかもしれないですね」
「なるほど。彼女と離れ離れは辛かったろうけど、そのまま粘ってたらあんたの肉体が離れ離れになってたかもね」
「ハハハ、面白いこと言いますね、ノエル君」
「笑ってる場合じゃないよ、あんたは」
「確かに」
刃物と言えば、とノエルはあることに気づいて指摘する。
「オーガスト、アダマントを持ってないよ? 忘れてきたの?」
「いや、ありますよ」
「ないよ」
「ここにはないです」
「ないと困るんだけど。処理係として仕事してもらわないといけないんだから」
「見えるところにはありますよ。ちょっと大きいから、腰に差して歩けないわけで、ちゃんと確保してあるんです」
「どこに?」
「あそこです」
オーガストは空を指差した。ノエルが見ると、想像を絶するものが浮遊していた。
それは確かに剣であったが、サイズはSF映画に出てくる巨大な移民用の宇宙船といったところだ。
「なにあれ!」
「オレの剣です」オーガストは少しばかり得意げに答える。「大きいほうがいいと思って、確保したんですよ。刃渡り七キロです」
「でかすぎるよ! 危ないでしょあんなの」
「もちろん刃物の扱いには細心の注意が必要というのは、彼女との別れを経て重々承知してますよ」
「そういうことじゃなくてさあ。大丈夫なの? 扱いきれるの? 刃渡り七キロを」
「問題ないです」
「本当かな……」
「ノエル君、まずオレを信じてください。オレもノエル君を信じますから」
「ダメすぎて一週間で彼女に追い出された男を信じろって?」
「それとこれとは別の問題でしょう?」
「そうかな。まあ、とりあえず現場へ向かうよ」
バス停に差し掛かったとき、そこに〈番人〉がいるのにノエルは気づいた。そいつは両手に金属バットを持って、ノエルのほうをじっと見ている。
「ああ、なんてことだ。いやがったよ」
「誰か嫌いな相手ですか?」
「いや」番人と目を合わせないようにしながらノエルは説明する。「あそこ、バス停あるよね」
「ありますね」
「そこに番人がいるでしょ。あいつ、僕を殺そうとしてる。近づいたらね」
「え? どこですか」
「紫色の髪の婆さんいるでしょ」
「いますね」
「その後ろにいるよね」
「え? そんなのどこに……」オーガストは目を細めて凝視し、「あ! 本当だ。いた。なんだあいつ。あんなでかいのが。うわ、何で気づかなかったんだ。あの婆さんも気づいていないようですね」
「そうだよ。僕には常に見えてるけど、よっぽど注意しないと他の人には見えないんだ」
「固有型のイドラですか? 昔から?」
「十四とか十五くらいかな。ちょうど体の時間が止まったのと同じくらいに。あれで学校に通うのにすごく苦労するようになったよ。代わりに、病気は一切しなくなったんだけど」
「それは大変だ。相棒が苦しんでいるのは忍びないです。よし、今からオレがやつを片付けてやりますよ」
「片付けるって? 一体どうするつもり?」
「オレの愛剣で一突きすれば、あのタフガイもひとたまりもありませんよ。まあ見ててください……」
「ちょっと! まさかあんた、あの七キロの得物をここに落とすつもり!?」
「落とすというか突くつもりで」
「いや結果的には同じことでしょ、そして今やるつもりなの!? そんなことしたら僕らもあそこにいる婆さんも学生もおっさんも全員死ぬでしょ」
「ああ、そうかもしれませんが、大丈夫ですよ」
「何が大丈夫なんだよ! いいから、もう僕は慣れてるし、今はバスに乗るつもりもないし、あの番人を倒すつもりもないよ。だからいったん落ち着いて、先に進もう」
「そうですか? せっかく使ってみたかったんですが。普通に暮らしていると、刃物を持つ機会なんてあんまりないじゃないですか。それこそ料理か恋人ともめたときくらいしか」
「オーガスト、一応聞くけどもっと小ぶりな剣を持つつもりはないのかな」
「ハハハ、冗談はよしてくださいよ、ノエル君。お袋に頭を下げて購入資金を捻出したんですよ。ようやく愚息が就職するってんで、張り込んでくれたお袋にも申し訳が立たないじゃないですか。引退まで使いますよ」
「一回も使わずに引退を迎えるのが望ましいと思うけど」
処理すべき怪異は、この先の商店街で毎日殺人事件が起こるというものだった。毎回同じ男が煙草屋の前で刺殺され、毎回同じ警官隊がやって来て、毎回誤認逮捕しそうになり、毎回同じ探偵が解決するというものだった。イメージダウンもはなはだしいというので煙草屋のおばさんが浄化法人に依頼をした。定刻に発生する現象型怪異はかなり難易度が低いほうだ。不定期に発生するものは、よほど適合率が高い感知係でないと、発生している最中に居合わせる必要があり、張り込みがだるい。
ちょうど今くらいの時間には、殺しが発生し、現場検証が行われ、被害者ともめていた容疑者がピックアップされるころだ。まさに劇場型犯罪といったところだが、周囲の住民は毎回同じやりとりを見ているのでもはやうんざりだった。
現場にたどり着くと、「俺は確かにあいつを恨んでいたが、だからって殺すはずがないだろ!」「そうですかな、ジョンソンさん。あなたが彼に『殺してやる』と叫んだのを確かにわたしは聞いたんですよ」「そ、それは……」といったやり取りが繰り広げられている。依頼者のおばさんに挨拶して、さっそくノエルは感知を始めようとするが、ここでもオーガストは剣を使いたがった。そんなことをすれば商店街はおろか周辺地域が壊滅すること、まず感知を行うのが先決であること、そうでなければ猟兵社にでも移ったほうがいいということをノエルは説き、なんとか彼を落ち着かせた。
感知の結果、煙草屋の裏の自動販売機に「むんぐるあふたいんるらぐあ」という呪文を唱えればよいことが判明した。これくらいなら彼にもできるだろうと呪文をメモしてオーガストにそれを唱えさせ、処理は成し遂げられた。自販機は壊れてどのボタンを押しても温まったレモンサイダーが出てくる状態になったが、殺人事件に参加していた人々は緑色の煙とともに消滅し、一件落着となった。
支部に帰る途中、コンビニに寄ってお菓子を買いたいとオーガストが言ったのでそうすると、なんと三人組の強盗が押し入ってきた。拳銃を所持した彼らはレジの金と、客全員の財布を要求した。
なんだってこんなときに、と嘆くノエルだったが、無難に解決しようと無言で財布を取り出す。しかしこれに異を唱えたのがオーガストだった。
「おい強盗諸君、恥ずかしいと思わないのか! 額に汗して働くのが人間本来の生き方だ。楽をしてカネを手に入れようなどとは笑止千万、このオレは断固として拒否する!」
「なんだとこの野郎! でかい口叩きやがって、これが見えないのか!」相手が銃を向けると彼は不敵に笑い、
「武器ならこちらにもあるぞ! 今お見舞いしてやろう」
「ふざけやがって……」
ノエルが青ざめていると、外からパトカーのサイレンが聞こえ、犯人たちは急いでその場を後にした。危ないところだった、と安堵していると、オーガストは、「オレの気迫に恐れをなしたようですね」と得意げだった。
もう口出しするのも疲れ、ノエルは早く帰りたいと思っていた。警察の聴取もそこそこに、支部へたどり着くとラドクリフ隊長はまた不機嫌そうに野菜炒めを食べている。
「ご苦労だった。だが注意するんだ、お前ら」
「注意は今日はもうさんざんしましたよ。どうしたんですか?」
「料理してたら一匹のゴキブリが出現してな。きっとまだそこらにいるはずだ。こいつは大問題だぞ」
「それどころじゃなくてですね……」と、ノエルが言いかけたとき、オーガストが「任せてください、見つけ次第オレが始末してやりますよ」と宣告する。
これはえらいことになったぞ、と、彼を諌めようとするが、今回はゴキブリが冷蔵庫の下から走り出てくるほうが早かった。
次の瞬間、轟音、飛び散る瓦礫、そして暗転。
ノエルが目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。体には傷ひとつない。あのあと再生されたのだろう。見舞いに来ていたエヴァとレイが「大変だったね」と他人事のように言う。
「本当に大変だったよ。人間、強大な力を手にするともうだめだね。こんな恐ろしいことになるなんて」
そこは大部屋だった。近くのベッドにはまだ寝ている隊長とオーガストに加えて、その他の再生された近隣住民がいた。隣は爺さんで、娘とその息子らしい、生意気そうな少年が見舞いに来ていた。
少年は爺さんに何かを投げつける。それはおもちゃのゴキブリだった。爺さんは驚いてそれを振り払った。母親が少年を叱り付ける。入院患者にいたずらするとはなんてガキだ、とノエルは思い、何か嫌な予感がして、オーガストを見る。彼の顔の上に、吹き飛んだおもちゃのゴキブリが乗っかっている。
そして彼は目を開けて、顔の上にあったそれを手に取った。
ノエルはもう諦めて、大声で笑っていた。
次の瞬間、また轟音が走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます