Case8 異邦人

 その男が目を覚ましたとき、周辺は真っ暗だった。息が詰まり、咳き込んでいると光が差し込んだ。彼がいたのは棺桶の中で、その蓋が開かれ、黒服の痩せた男が覗き込んでいる。外に這い出すと、周辺に何人かいたが、皆喪服姿だ。まるで今から葬式に向かうようで、なんて悪いジョークなんだ、と男は思った。

「大丈夫か? 気分はどうだ。たぶん悪いだろうけどさ。名前は言えるか?」痩せた男が言った。

「リック・カーターだ」男は言った。頭はぼんやりしているが、自分の身になにがあったのかを思い出すことはできた。「オレは生きてるのか? 十五番街ごと〈野分けのハンニバル〉に吹っ飛ばされたはずなんだが」

「ハンニバル? 二つ名が付いてるってことは猟兵社のやつかい? やつらはフレンドリーな社風が売りだからって誰にでも洒落た名前を付けるよな。あんたはその服装から見て浄化法人の人間だな。ハンニバルってのはどんなやつだ? だいたい予想はつくけど」

「狩猟長だ。優男だがまさに自然災害だよ。数百人の射殺魔が湧いて出て、そいつらを一掃するために猟兵社が出撃許可を出したんだ」

「ああ、やっぱりこっちで言うプリンス大隊長や〈カタストロフ〉みたいな人だな。しかし、災禍指定者が出撃するのに許可が要るなんてしっかりした所にいたんだな」

 ふと、リックが辺りを見回すと、いくつも棺桶が並んでいた。

「あんたと一緒にその狩猟長に巻き込まれたらしい被害者が、何人もこっちに届いてるんだよ。生きてたのはあんただけだ。まあ火葬前に蘇生できてツイてるよ」相手は無責任にそう言う。そこでリックは自分が他の領域に吹き飛ばされたのだと気づいた。空を見ると月が三つ浮かんでいる。

「なるほど、一目瞭然だ。ここがオレの領域じゃないってことが」

「理解が早くて何よりだ。ああ、自己紹介が遅れたな。俺はカミングス分隊長。薄暮葬儀社の人間だよ、見れば分かるな」

「いや」リックはかぶりを振った。「オレのいた領域にあんたらみたいなのはいなかったな」

「そりゃ平和だ。こっちは何か知らないが、死体に縁があるんだ。他の領域からあんたみたいなのが吹っ飛んでくることもあれば、こっちの領域で怪異が生み出すものもあるが、とにかくじゃんじゃん湧いて出てくるんだよ。ひでえ話だろ? だから俺たちがその始末をつけなきゃいけないわけさ。ああ、まずは病院にいくか。あんたも巡邏官なら知ってるだろうが、異領域の人間はいろいろと症状が出たりするからな。見たところそんなにひどくはなさそうだが、あとから拒絶反応が悪化する恐れもあるからさ」

 確かに空気の匂いが違う気もするし、すべての音が少しばかり反響して聞こえる気がする。しかし、それよりも、三つの月ばかりが気になって仕方なかった。


 リックは酒場にいた。薄暗くて、埃っぽかった。カウンターで飲んでいると、知らない二人組が話しかけてきた。両者ともに猟兵の外套を着た女で、片方は酔っ払った赤毛、もう片方は不遜な令嬢って感じだった。

「あんた前にどっかで会わなかった? 見覚えあんだよな」赤髪が言う。「名前は?」

「リック・カーター」

「聞き覚えあんな。ああ、野球だかサッカーの選手だ、違うか?」

「違うな、オレは運動は苦手だから。それに会ったことはないだろ。オレは最近違う領域から流されてきたんだ」

「ミストラル・ビールを大ジョッキで三杯」令嬢が注文する。

「そんなに飲むのかよ」赤髪が聞く。

 少し考えてから令嬢は、「飲まない!」と言って、店中の皆にビールを振舞った。

「いやでも確かに、野球選手でいたと思うんだよな。まあよくありそうな名前だし、兄さんよくいそうなツラだからな」

「そういうあんたはマラソンの選手か何かか? オレもあんたをどっかで見た気がするよ」

「本当かよ」

「さあ。どっちだっていいさ。そっちだって本当はそうだろ? オレなら素性を推理する際、まず服装に着目するけどな」

「兄さんが浄化法人の人間だってのは分かってるよ、けど転職したばっかかも知れねえだろ。ああ親爺、水割りくれ」

 猟兵二人が自己紹介をする。赤髪は〈油売りのガラテア〉、令嬢は〈向こう見ずのセシリア〉と名乗った。しばらくだらだらと飲んでいると、顔色の悪い若いのが来て、テンペスト兵長から合同作戦への召集がかかってると二人に言う。

「そのためにわざわざ来たのかよ、クライド」

「いや、湾口へ行こうとしてこっちに来てしまっただけだよ」クライドと呼ばれた猟兵はオレンジジュースを頼んだ。「それよりこの前ミスター・マーシャルが焼肉おごってくれたとき、セシリアが言ってたあの、なんだっけ。あの小説。あれ面白かったよ」

「あれって?」

「そうあれ、タイトルが出掛かってるんだけどな。そこの人、知らないですか?」

 もちろんリックが知っているはずもなく、そう答えると今度はクライドは、芸能人が不倫した話を始めて、途中で最近できたホットドッグの店の話題に移った。セシリアはまたいきなりチキン山盛りを注文して、そのすべてをどう見ても食の細そうな青年一人に渡し、彼を困惑させた。

「それでその娘はハスラーって呼ばれてて、なんでハスラーなの? ペテンを働く感じには見えないけど、それともビリヤードがうまいから? って聞くと彼女は、いや逆に前ビリヤードを皆でやったとき自分だけすごく下手だったからつけられたんだわ、って嫌そうに答えたんだよ」

 クライドの話は脈絡がなかった。それを肴にリックは飲んでいた。そのうち上司らしい髭面の男が入ってきて、勘定を済ますと一同を連れて大通りのど真ん中に移った。なんとなくリックも一緒になってそこにいた。辺りは酒臭く、酒瓶がごろごろ転がっていた。油を売っていたのはガラテアだけじゃないってわけだ。もとの領域よりも猟兵たちは大酒呑みで怠惰だな、とリックは思った。

 酔っ払いの猟兵たちは二十人くらいいて、そこにしばらくすると銀炎師団の人間が合流した。その瞬間、彼らの儀礼的挨拶が始まってもうわけが分からない。ローギルがなんだとか、光の祝福がどうだとかを皆口々に言い合い、お辞儀したり、奇怪なポーズを取るものもいる。そんなことをしている間に道路の向こう側から、波が押し寄せるように、多量の羊の群れがやって来て周辺を白く染めた。

「これが今回片付けるべき怪異か?」クライドに尋ねると、

「え、何言ってるの、これは白昼羊だよ。手を出したら呪われるって学校で習わなかった?」

「白昼羊?」

「うん」

 説明を求めたがクライドはふらふらとどこかへ行ってしまった。他の猟兵たちも羊の中に紛れて見えなくなった。どうにか脱出しようとリックはもがき、なんとか道の端へ退避した。

 自分は猟兵ではないのだから合同作戦とやらに参加する義理もないな、とリックは近くの自販機でコーヒーを買って、その場で飲んでいると、猟兵たちの上げる声が聞こえてきた。遠巻きに、道路を挟んで見ていると、煤か黒煙みたいなもやもやしたなにかが、人間の形になって佇んでいる。身長は五メートルほどあって、かつて話に聞いた怪物のようだと思った――そいつはずっと遠くの坂の上から降りてくるのだが、ずっと見ているとどんどんでかくなり、やがて恐ろしいほどの巨人になり、踏み潰されてしまうのだそうだ。そいつに向かって「テキーラ」と三回唱えると退散できるらしいが、それはそいつが小柄ゆえに成果を出せず(本人はそう強く思い込んでいた)夭逝した格闘家の霊魂で、寝ながらテキーラを呷って吐瀉物をのどに詰まらせ死んだかららしい。都市伝説らしい意味の分からない話だ。ただでさえ現実に不可解な怪異があふれかえってるのに、市民たちはそれを自分たちでこしらえた与太話で水増しする。

 猟兵たちはもちろん、影のような人型へただ闇雲に切りつけるだけで、乱痴気騒ぎにしか見えなかった。誰か一人くらい中心点を探そうとしないのだろうか。

 そのうち何が起こったか分からないが、どうにかして影が消滅すると、彼らは鬨の声を上げたが、イドラの中心点が健在なのでいずれまた別の場所に出現するだろうし、あるいはもっと面倒な怪異に変異する恐れもある。とはいえそれはもはや彼らの仕事ではないし、また別などこかへ依頼が入ってそいつらがどうにかするだろう。ああ、全部、他の誰かがどうにかしてくれればいいんだ。そう思いながらリックは、まだ勝利に沸き立っている猟兵たちに背を向けて、どこか違う場所で休もうと歩き出した。


 商店街は青く淀んだ光の中にある。上を見上げると三つの月が宵の空を明るく照らしている。その光の中を回遊魚の群れが泳いでいる。濃いイドラがリックに頭痛をもたらした。辺りでは、薄暮葬儀社の人間が白骨死体を棺桶に収納していたり、〈天の火のローギル〉の信徒が避雷針を路上販売したりしている。酔客が歓楽街のほうから大勢、早くも泥酔して流れてくる。

 リックはいずれ、自分がこの領域に馴染んで、前にいた場所と同じようにくだらなく、ひねもすアダマントの刃を握って、際限なく押し寄せる怪異を駆除するのを想像した。恐らくそれは現実のものになるだろう。

 電気屋の店先にテレビが並んでいる。画面が緑色に変色したり、ひびが入っていたり、粗悪なそれらに映し出されるニュースは、ほとんどがイドラ怪異を扱ったものだ。専門家だの有識者という肩書きの人々がもっともらしく説明をしているが、こいつらは現場の猟兵たちにも、ものを教えてやってほしいものだとリックは思った。

 路上に人垣ができていた。大道芸かと思って見ると、曙光連の学士たちが奇怪な、洗濯機とグランドピアノを掛け合わせたような装置を弄繰り回している。指定した場所のイドラを完全に取り除くご家庭向けの新兵器と言うことで、これからテストを行うそうだ。危険を感じたリックはその場から離れた。遠くからデレキア警備隊の警告が聞こえてくる。「許可を得ていない実験はただちに停止すること、もしこれに反した場合、災禍防止法により貴君らを強制的に武装解除し……」

 そのあと悲鳴。装置が暴走したのか、通行人を無視した銃撃戦に突入したのか、あるいは装置が、能書きとは逆にイドラを活性化させてしまったのか。いずれにしてもろくなものじゃない。リックは喧騒を避けようと路地裏へ入り込んでいった。

 曲がり角の辺りに、妙なカレンダーが投棄されていた。日付がばらばらだ。六月のもので、最初が二十五日で次が八日、次が七十二日。異形の六月はそんな順不同の日付が、六十日間以上続いている。そういうカレンダーが山ほどあり、角を曲がると本当に山と積まれていた。

 その山に腰掛けていた老年の巡邏官が、瓶のラムネを喇叭飲みしつつ話しかけてきた。

「新顔か。ようやく来たのだな」

「ようやく? あんたは誰だ? オレを有名スポーツ選手だと思ってるなら違うから。いったい誰に似てるんだ?」

「予定が詰まっているのだ。ずっと先までだ」質問に答えず、相手はカレンダーの一枚を拾って凝視し始めた。「例えば今月の三十六日から十五日にかけて、二週間ほど対イドラ活動強化期間だ。ついでに『地酒で地元を応援しよう週間』でもある。粗悪極まりないバカ安い化学薬品を売りつけようという魂胆だ……禁酒法をとっとと施行すべきだな。さもなくばニューノール名物のバスタブの汚れや不凍液入り密造酒ムーン・シャインを呷るはめになる」

「貧乏人はそれでどうにかするしかないからな」

「それより時間が迫っているぞ」巡邏官はカレンダーをそこらに投げ捨てて言った。「早く来るのだ。月の少ない領域からの来訪者よ」


 その酒場は十三番街の外れ、急な坂の途中にあった。店内の床もやや傾いている。〈杯の中の太陽〉亭というのがその名前で、三百年前の大衝突以前からあるらしく、浄化法人ニューノール支社の初代長官、エリナ・ラヴジョイが愛用していた椅子が展示されていた。

 会の面子は大テーブルを占拠し、その顔ぶれは老若男女さまざまで、浄化法人、猟兵社、銀炎師団らの制服の人間が入り混じり、曙光連のバッジを見につけている者もいた。そのいずれでもない人達もだ。霊体も二人、発火者――この領域では〈イフリット〉と呼ぶのだと近くの男が教えてくれた――も一人いた。灰色のヨウムが一匹、山羊髭の老人の隣にいて、そいつはもとは人間だったが、大隊長昇進の辺りからいつの間にか鳥になっていたんだと自己紹介した。リックの見たことがない、濃い青色の装束と鎧を纏った人間もいて、それは多くの領域には存在しない、〈蒼昊騎士団〉というヒムの信徒からなる集団の一員だった。この場にいる全員の共通点は、領域渡りであるか、あるいは怪異や災禍指定者の巻き添えに合ってこの領域に流れ着いた、いわば異邦人であることだった。

 今夜の新参者はリックと、〈二の舞のイライザ〉と名乗る猟兵の少女だった。彼女は、たくさんの花束が落ちている路地で、先輩がそのひとつを拾ったとき緑色の閃光に飲まれて消えるのを見た。他の領域へ行ったのだと認識し、なんとなく自分も花束を拾い、気づいたらこの領域へいたのだという。彼女は今も手にガーベラの花束を持っていた。

 リックは〈野分けのハンニバル〉の暴風のごときイドラ波でこちらへ飛ばされたと説明した。すると、曙光連の学士の一人が、自分もハンニバルに吹っ飛ばされて一年ほど前にこちらに来たと言う。同郷かと思ったがいろいろ話すと、相手の領域は、ラプタニア帝国にまでイドラが広がりそのせいで六つの国に分裂している、黒猫が不吉ではなく商売繁盛のシンボルである、「今年で六億歳」というギャグが流行している、などいろいろな差異がある別の場所であると分かった。

「諸君、あれを見よ」リックを誘った巡邏官――会長の大アンドリューが窓の月を指差した。建物に隠れて三つのうち一つの月が見えない。「我らが故郷の空だ。この遠き領域においても、同志と飲み、食べ、憩う。実に幸福ではないか。二つの月に乾杯」

 一同が杯を掲げた。 リックはこの集団〈双月会〉の中で自分ひとりだけが、月の二つある領域の人間ではないのだと言おうか迷ったが、やめておくことにした。彼らが自分と何かを共有していると思うのは悪いことじゃないし、自分もそういう考えを、徐々に持っていくことができるかもしれない。だから、自分の故郷の――いずれこの領域に馴染んだら消えてしまうであろう、四つの月が輝く――夜空の思い出については、心の中にとどめておこうと考え、異邦人、リック・カーターも杯を高く掲げた。

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