Case6 異領域での狩り

 その日の朝焼けもまた緑色に濁った、醜いものだった。誰もそれに疑問を抱くこともないようだったし、〈ドリフト〉も特に毎日のそれを気にすることはなかったが、ふとした瞬間にその醜さに気づくと、まじまじと見てしまう。他の領域の、美しく控えめな朝日に比べるとそれは毒々しく、意思を持って蠢いているかのようだ。

 町じゅうで銃声やら鬨の声やらが上がっている。曙光連の狩り、彼らの言うところの「探求」は夜明けとともに行われる。それは他の集団のようにビジネスライクなものではなく、熱狂が多分に入り混じる騒がしいものだ。

 ろくに中心点を探知することなく、とにかく対象に雑種刃を突き立てる猟兵たち――学士たちは〈潰し屋〉呼ばわりする――を除いて、普通はイドラを感知する能力を持った、目を光らす者たちの出番となるのだが、彼らが複数人、近くで同時に感知を行うことは望ましくないとされる。お互いに干渉し合い、中心点を正確に割り出せないばかりか、精神的な副作用が悪化する恐れがあるからだ。しかし曙光連の感知係、第三種イドラ受容体質者はおかまいなしに感覚を研ぎ澄ませ、途中でぶっ倒れても酒やら彼らの開発した怪しげな薬やらを飲んで再び探求に当たる。げらげらと笑いながら、あるいは人形じみた無表情で、筋肉や骨に異常が出るほどの高速での異様な動作、絶叫、味方への攻撃などを伴いながら。

 彼らの装備はアダマント製のメスや違法所持の猟銃、大量の乖離促進剤、得体の知れない液体などだ。服装自由とされるが、一般的には白衣、払い下げの軍服、作業服などが好まれる。

 ドリフトの参加している班は、砂でできた巨大な牛を見つけると一斉に飛びかかった。アダマントの刃物や雑種刃、石ころ、薬液などが怪物に突き刺さる。片目を光らせた者たちは思い思いにそこらに銃弾を撃ち、そのどれかが中心点を傷つけたらしく、怪物の動きが鈍くなった。

 〈サージョン〉が腹を剣で引き裂き、大量の砂を溢れ出させた。「内臓も砂の塊だ。腑分けに骨が折れるな。標本はどう保存する」

 〈ハスラー〉は怪物の目玉を引っこ抜いたが、それは泥の塊で、路面にたやすく零れ落ちた。〈ブッチ〉は砂の手足をばらばらに裂き、飛び散らせ、物足りなそうな顔をした。彼には血肉が必要だ。

「砂獣は歯ごたえがない。砂を噛んだような気分ってやつだな」〈ロック〉が三日月のような形をした刃を納めながら言う。「ホルマリン漬けにしようにも、単なる泥水になっちまうぜ」

「昨日の、でぶのふらふらした化け物のほうがまだ面白かったさ」ブッチが路上の砂を蹴りながら言う。「血液満載、臓物満載の個体だった。酸性の体液が相当染みたけど」

「ハズレを引いたわな」と、ハスラーは呟く。「〈レッドキャップ〉の野郎の班にくっついていくべきだったか」

「あいつらは大人しすぎてつまらんぞ」上等学士サージョンは言う。この、イドラ生物の解剖・解体を趣味とする男は、他の大半の領域においてはもっと理知的で――その代わりひどく文句は多かった。砂まみれで退屈そうに、醜い朝日に照らされる彼の名は、ルーク・ラドクリフといった。ドリフト自身が他の領域においては、浄化法人のシンシア・フォーチュンであったり、猟兵社の〈渡り鳥のシンシア〉だったり、ここで曙光連の〈ドリフト〉として通っているのと同じく、彼も他の領域においては異なる人生を送っている。彼女との違いは、その自覚がないということだ。ドリフト――シンシアは〈門〉を任意に探し出し、他の領域に踏み込むことができ、さらにはそこに存在している自分に乗り移るように重なり合い、平然とそこでの日常を送ることができる。どの領域でも彼女は、冷淡で口数が少なく、目立たないが手だれの駆除者だった。

 大衝突以来、複数の領域――平行世界同士が、ある場所では重なり、混じり合い、すべての場所から不変性が失われた。住民たちはほとんどが突発的な事故以外でこれらの領域間を越えることはできなかったが、シンシアのように他所への〈門〉を見出すことのできる人間がかねてから存在していた。彼らの大半は三百年前の大衝突当時より、複数の領域が協力し合って、イドラ界よりの怪異に抵抗していくために活動していた。結果、近しい領域同士では番号付けを施し、他所の情報を共有し合うに至った。そうした他領域の情報や、テクノロジーの輸送に領域渡りは活躍した。その仕事は高給だが激務で、シンシアはそちらの道は選ばずに単なる駆除者として、さまざまな団体で小金を稼ぐことを繰り返していた。

  シンシアが〈ドリフト〉として滞在している現在の場所は、第十二領域とされ、ここの大きな特徴として、銀炎師団の不在が挙げられる。ローギルという神自体が存在せず、それによって天空教会は主神ヒムを力強く崇め、聖堂防衛を目的とした蒼昊そうこう騎士団が幅を利かせているのだ。また、獣型のイドラ生命が多く存在し、それらが独自の生態系を街なかに築き、都市を侵食しているという点もここの特徴だった。他の領域に比べて猟兵社のみならず、すべての集団が狩人の面を強く持っている。そのせいか多くの人間に、流血を伴う狩猟にも抵抗がないという、過激な傾向があった。


 他の領域でラドクリフ隊長としてシンシアの上司でもあった男は、退屈しのぎのためにわざと都市の中心部近くに獣を追い込み、人々の混乱を観察しようと提案した。流れ弾や砂獣の反撃で流した血と、砂に塗れた一同は賛成を叫んだが、通りがかりの蒼昊の騎士がそれを阻んだ。

「おい、また馬鹿なことをしようとしているな、マッド・サイエンティスト、いや暴動集団めが」

 それは顔見知りの、マチルダ・ウェストという女騎士だった。もはや腰から石の聖剣を抜き、実力行使も辞さない構えだ。

「落ち着け、ミス・マチルダ。我々はただ不測の事態に備えられるように訓練をしようとしてるだけだ」サージョンは平然と言ったが、もちろん不測の事態というのを引き起こすのが曙光連の仕事である。「ときに、あんたはイドラ適正値がだいぶ高かったと自慢をしていたな」

「当然だ。Aクラス、Aクラスだぞ」女騎士は得意げに言ったので、

「そうか、それは良かった」とサージョンが目配せするなり、一同はマチルダへ活性剤をぶちまけた。経口が効果的だが、直接周囲にふりかけても十分機能する。Aクラスの適正能力が極端に加熱させられ、即座に変性意識状態へと突入したマチルダは、何語かも分からぬ言語で叫びながら全力でどこかへ走り去った。


 夕暮れ時、長引いた狩猟は終わった。昼前には完了するつもりだったが、跳ね蛆が多く見られ、標本を採取するチャンスと一同が息巻いたためだ。ドリフトは皆とともに手際よく、ラグビーボールほどの蛆を腑分けし、内臓を薬液の入った瓶へ入れる。上等学士ブラウンベスの班で死者が出た模様だ。しかしこの領域では、死はそこまで重くはない。イドラが濃厚に渦巻く再生槽が各地に確保されており、そこに放り込めば二、三日で損傷は癒え、生き返る。もっとも三十パーセントか、あるいはもっと高い確率で急激な変異を引き起こし、人狼やもっと巨大な、怪獣と呼ぶべきものに生まれ変わる可能性もあるが、特に人々は気にせず、再生槽から汲んだ水を飲んだり傷口に散布している。

 周辺には獣の毛や血、骨、肉などが散らばっている。獲物と戦った学士や猟兵の肉片も。死者を回収する薄暮葬儀社の人間が、荷車を引いてやって来た。その名の通り日没とともに一日の残骸を回収する彼らは、死者の首に下げられたドッグタグを調べ、再生を希望するかしないかを判別する。そのまま葬ってほしい場合は赤、再生希望の場合は銀のタグがぶら下がっている。それが見当たらない場合は歯形などから身元を照会し、遺族の判断を仰ぐこととなる。この地区を担当する、馴染みのカミングス分隊長が挨拶しに来た。

「お疲れさん。おー、ずいぶんたくさんの蛆どもをやっつけてくれたな。餌には困らないからなあ」

「あんたのほうは無事か? 最近葬儀社の人間にも被害が出てるそうじゃないか」サージョンが蟲の体液を搾り出しながら聞いた。

「ああ、なんてことないね」分隊長は事もなげに言う。「狩り残しが襲ってきたんじゃなく、人間関係のトラブルさね。なんかどっかで間違えて、再生希望じゃない人を何人か生き返らせちまったんだな。葬儀の最中にもう化け物になった件もあったそうだよ。まあ別れが印象深いものにはなったな、なんならその場で合同葬に切り替えてもいいだろうし。おっと、こんなこと俺がほざいたって顧客の耳に入ったらまた報復が怖いな、内証だぜ、あんたら」人肉と獣肉、蟲の肉をそれぞれ分類しながら分隊長は笑った。へらへらしているようで彼は何度も巨獣や、変異して復活した不浄者を退けているつわものだ。葬儀社の人間も猟銃とアダマントで武装した、れっきとした狩人だ。死体の影に恐ろしい狩り残しが潜んでいるかもしれないからだ。

「おっと見ろ、蒼昊騎士団の行列だ。相変わらずの格好付けっぷりだな」分隊長が指す方向では、足並みを揃え、騎士たちが行進している。楽器隊が勇ましく行進曲を奏で、落日に彼らの鎧が照らされる。実用性はほぼない、軽い合金で作られた儀礼的なものだ。

 今日の狩りの戦果を誇示するのがこの行進の目的だったが、マーチは悲鳴と怒号でかきけされた。誇らしげに輸送されていた死体の人狼が、緑色の光とともに起き上がって暴れ始めたからだ。

「憑かれたな」サージョンは刃を抜いて言った。イドラの灯が人狼の内部に宿り、再生槽に放り込んだ死者と同じく、異形の復活を遂げたのだ。

 騎士たちが散り散りに逃げるなか、学士たちと葬儀社の社員が人狼に殺到する。三メートル半ほどの肥大化した個体だ。

 そのとき、狼の叫びにも負けない大音声を上げ、建物の上から一人の騎士が躍り出た。石の刃を人狼の背中に突き立てたそれは、朝に走り去った女騎士、マチルダだった。狂乱はまだ解けておらず、何度も怪物に聖剣を突き刺す。そのどれかが内臓に達したらしく、ほどなくして人狼は崩れ落ちた。

 騎士団の将校と見られる男が、よくやったとマチルダを称えて近寄るが、勝利の雄たけびを挙げながら彼女は相手に拳を見舞った。四人がかりで取り押さえられ、マチルダはどこかへ搬送されていった。


 仕事を終えた学士たちとカミングスは、海辺の酒場で酒宴を始めた。内容はほとんどが今日の反省だ。

 ブッチの腕は相変わらず錆びていない。飛び跳ねる蛆蟲を正確に切り分けていた。

 昼間、アスファルト豚の討伐に及んだときハスラーは左腕を折り、それ以後満足な活躍ができず残念。

 今後は水門方面で魚介類の退治を主に行っていきたい。

 熱光線で体細胞を焼ききる新兵器のテストを、できれば人間でもやっておきたい。

 そんな話をしながら、ドリフトは海の方角を見る。夜の帳の向こう、デレク大王の像が、膝から下だけを残した無残な姿で立っている。

 三百年前、あの場所で〈赫奕の英雄〉と、イドラから生じた怪物の戦いがあったと伝えられている。怪物はどこから来たのか? 名前も顔も知られていないかの英雄が、どうやってそれを破ったのか? 知っている者はいない。しかし、戦いが終わった後、デレク大王の巨像は腰から上が砕け散り、手に持っていた剣は怪物の死体に突き刺さっていた。それ以来、あの像は少しずつ削り出され、蒼昊騎士団の聖なる武器としてイドラ浄化に使われている。今でも怪物の亡骸――翼と角を生やした化石は、ヒルアイル島の森林に埋もれ、その姿を晒している。それは人間がイドラを打ち破った証として天空教会は聖地に指定しているが、ドリフトには不気味な墓場にしか見えなかった。怪物が地に突き刺そうとした槍は砕け、未だに島の近海に横たわっている。

 それをぼんやりと見たあとで、ドリフトはまた仲間たちに向き直った。サージョンが酒の味が期待と違うと愚痴っている。ロックはその名の通り肴を食べ漁っている――入社時の歓迎会で焼肉を根こそぎ食べ、童話に出てくるロック鳥並みに肉を掻っ攫うと評されたのが由来だ。もっとも本人はその童話を知らなかった。

 しばらくはこの領域で学士でいようとドリフトは思った。向いているか分からないけど、気楽な仕事だ。明日も無事に狩りと探求に従事できますように、と声に出さずに祈りを捧げ、ぬるいビールを飲み干した。

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