Case4 神との散歩

 第八領域のニューノール市、ヒルアイル地区は、巨大な槍が突き刺さった森林の島だった。それは遥か昔に神が突き刺したものだと言われていた。サイズを算出すると、湾口を跨いで立つデレク大王の巨像の二倍ほどのサイズでなくては持てない。そんな巨大な神が、人々への戒めとして、あるいは巨大な怪物を倒した記念として、そこに突き刺したのだという。他の領域では見られない特色で、他所から流れ着いた人間にとっては驚嘆すべき観光地だ。そんな訪問者に対して天空神の信者は得意げに神話を語り、パンフレットや記念メダル、絵葉書を販売するのだった。

 リンダリア王国は多神教だが、国教としては天空教会によるヒムという神への信仰が主であった。三百年前の大衝突時、教皇アレクサンダー五世が神託に開眼しローギルを合祀してからは、この火と知識の神が守護神として持て囃されることが多くなった。それでも未だに国の規範として天空神ヒムは大きな影響力を持ち、人々の生活にもとけこんでいる。人々は毎朝空を拝んだり、辛いことがあると空に向かって雄たけびを上げ、神に救いを求める。嘘をつくときは屋根のある場所にする。雨が降ると、神がよせと言っているのだ、と言って、やろうとしていた予定を中止し一日中寝たりする。

 第八領域においてこの傾向は強く、ヒルアイル島は特に聖地とされ、大勢の巡礼者が訪れる。なぜなら、この場所を怪異が襲ったことは一度もないからだ。信仰心の薄い者たちは、怪異が起こらないのはそれ自体が怪異だ、などと言ったりして、この槍という異変がすでにあるので他のが入り込む余地がない、と主張するものもいる。それでも、未だにこの槍の中心点を見つけることができた感知者はいないし、対イドラ武器でも傷をつけることができず、実害もなさそうなので放置されている。

 その日も臨海公園で朝から、熱心な天空教会の信徒たちが、巨大な槍の刺さったヒルアイル島に祈っているのを、ホットドッグを食べながら、銀炎師団のセシル・オズボーンは何て退屈なやつらだ、と眺めていた。もちろんセシルも神職に身を置く立場だが、それは彼が儀礼的・慣習的なやり方に従うと落ち着くマニュアル人間であるからに他ならず、大した信仰を持っているわけではなかった。もっともあの跪く信徒たちも同じかもしれないけど。このときはこうすることになっています、という基準があればすべては容易だ。生まれるときも死ぬときも、それに従っていればいいとセシルは思っていた。

 食事を終えたころに背後から声がかかった。

「ミスター・オズボーン」

「ああ、ミスター・マーシャル」

 相手はセシルと同じく、赤い法衣の上に簡易的な鎧を着て、〈掛け金〉をぶら下げた、堅苦しい感じの青年だった。顔の前で手を組んで、二人は恭しく言葉を交わす。

「今朝もローギルの智慧がもたらされますよう。東の太陽となりし、地上のインパルスに輝きを」

「ローギルの灼熱が齎されんことを。灯火へ礼賛を。カルテジアンの鳥獣のいななきを聞きたまえ。金のフレアの祝福を。オーラム」

 儀礼的挨拶を済ませたので次は今日の予定について話すときだ。天気についての話題を織り交ぜるのが良いとされているので、セシルはそうした。

「本日、東の海上では嵐、ラプタニアでは快晴、王国の北方は雷雨だそうだが、さて正午までに図書館の東に現れた砂穴を埋め、次いで十五番街の西区、封鎖されたレストランにてアッシュマンを駆除する。午後には〈富めるローギル〉のローズ派と会合。明日から一週間はしばし曇りがちになりそうだ」

「左様か、ミスター・オズボーン」マーシャルもまた大仰な身振りで近所の猫の話題を持ち出すという礼儀作法を見せる。「その猫は茶虎、太り気味、臆病で、俊敏だ。飼い主のリグビー氏はやつが魚は食べないと言っているが、臨海公園で釣り人の魚を狙っているのを私は知っているよ。さて、ローズ派は相変わらず曙光連と癒着しているのだろうか? 彼らは少々異端ではないだろうか。少なくともここ数年でかなり急進的な動きを見せているようだな。リグビー氏の家の付近にはもう一匹茶虎の猫がおり、そちらは痩せていて、しかしのろく、魚を食うとリグビー氏も認識しており、実際その通りで臨海公園の釣り人のみならず魚屋からダイレクトに奪い取ろうと画策する、大胆なやつなんだよ。恐らく次回の教皇聖下と司祭猊下の会談で、焦点のひとつとなるのは間違いないだろう」

 王都において天空神の教皇アーチボルド二世と、ローギルの最高司祭ジュリエット四世が会談するのは来月の予定だ――本来は二ヶ月前のはずだったが、デレキア全域を強いイドラ嵐が襲い、延期となっていた――この二派は三百年前より犬猿の仲で、今日では合祀を行っているとはいえ天空教会は事実上、複数の宗派へ分裂し、ローギルの信者同士でも、地域ごとにまったく異なる形の神を崇拝していた。火が揺らぐようにかの神はいくつもの顔を持つのだと司祭たちは言う。

 ニューノールにおいて強い影響力を持つ高司祭サラ・ローズが崇める〈富めるローギル〉は、ともすれば成金趣味の、全身に金の装飾具を付けた太った男の姿をしている。知識と技術によって富を成すことを推奨するこの神は、鍛冶屋や高利貸しに崇拝され、高額所得者にも信者が多い。セシルたちが崇める〈戦士のローギル〉や、家内安全と火の用心、無病息災を司る〈竃のローギル〉の分派からは、防火札と呼ばれる高値のお守りを売りさばくローズ派のやりかたは、商売繁盛の神といえどやりすぎだとしばしば批判される。しかし、彼らが耳を貸すことはない。〈富めるローギル〉の教えでは、得た知識を使わずにおくことや、儲けの手段があるのに捨て置くことはむしろ罪であるからだ。今年に入って、特に効果があるという黄金の防火札を販売し始めてからは、さすがにローズ派内部からも反対の声が上がるようになった。悪いことに、ローズ派の拠点である五番街西区礼拝堂の周囲では、なぜか今年に入ってから一切イドラの影響がないのだ。ヒルアイルと同じく神の加護であるとローズ高司祭は声高に主張し、テレビCMまで打つ有様だ。

「いずれ彼女たちには神罰が下るに違いない。天空神は傍観主義だから何もせずとも、我らが戦士のローギルは必ずや、手を下すに違いない。戦いに加護を」

 セシルはマーシャルの台詞に表面上は深く頷いたが、実際は神だろうと人だろうといいから、礼拝堂にたい肥か何かばら撒いてくれねえかな、くらいのことを思っていた。もっとも神様がそんな汚いことをするはずもないだろうから、俺たちの出番なんだろうが。ローズの馬鹿が肥溜めに足を突っ込むのでもいいな。むろんそんな都合よくはいかないだろうけどさ。

 儀礼的用語を散りばめ、二人は日常の雑談を交わし図書館方向へ歩いた。今日もイドラによる影響は強かった。車が逆さまになって道のど真ん中に放置されている。どこかの国の軍服を着たぎらつく目の老人が、鉄条網を公園に張り巡らせ、ここはわが国の領土と主張している。八百屋の店先の野菜が腐っており、店主もいつしかゾンビになっているが、威勢よく客を呼び込み、思わず通行人が腐乱したカボチャを買ってしまっている。先日、他の領域より多数の瓦礫が降り注いで廃墟になった区画に、木々が芽吹いている。浄化法人の神託者――彼らは単に〈感知係〉と呼ぶ――が片目を光らせながら相棒に延々、お前は木偶人形だと悪態を突いている。詐称と放蕩の神、〈道化のローギル〉の信者であろう、奇術師の格好をした女が、二トントラック並みの大きさの水牛を引いて目抜き通りを渡り、渋滞させている。恐慌状態の警官が牛に発砲するが、ひどく腕が悪く一発も当たらず、辺りの建物のガラスを砕き、陽光を反射させ、煌かせる。

「現世は混濁の極みだ」マーシャルが鹿爪らしく言った。「まさに市民は道化同然にさまようだけでただ抗うこともせずに愚鈍。北限の父の髭を束ねるべきだ。東の太陽も曇って久しいが、先月、庭のダリアが咲いたのだ。土からきちんと調整を重ねた結果だな。ガーデニングは真心だ」あまりに社会や身近な誰かの批判が続き、やや空気が険悪と自覚した場合は日常の出来事を話し中和するのが良いとされる。植物学者でもあり〈庭師〉とあだ名された百年前の神託者、老サミュエルがしばしば使った手法だ。

「あれらすべてを、誰かがどうにかして解決するんだろうか?」セシルは呟いた。「誰かが依頼して? そうせずとも、消えていくのではないかな」

「きっとそうだ、しかし、それは異なる領域においてもっと悪い形で、鳥籠の中のカルマのように駆け巡る、ヒムの禿頭にかけて」天空教会の見解ではヒムは禿頭ではないが、一部のローギル信徒たちの間ではかつらということになっている。「だから神の助言、我らが神託が必要なのではないか」

「ああ、そうだ。白炎の祝福があらんことを。驟雨の寄せ手を遠ざけたまえ。最近頭皮の痛みが気になっていませんか? そんなあなたに」敬虔なるローギルの信者であれば、ここでCMソングをフルコーラスで歌うべきだったが、セシルはやる気がなく、前口上を述べるだけに留まった。マーシャルは相棒の不甲斐ない体たらくに天を仰いだ。彼方の空に、恐竜がビールジョッキを掲げた看板が浮かんでいた。イドラ界を浮遊するそれはビール会社にとって大きな宣伝効果だろうが、この領域には存在しないメーカーのものだった。


 図書館の砂穴にたどり着いたが、予想よりも悪化していた。すでに建物が大方飲み込まれ、本棚がいくつも埋没し、ページが流砂に巻き込まれている。

「今回は砂蟲は生息していないということだったな?」セシルの問いに相棒は頷く。

「報告されていない。では、神託に入ろう。偉大なる太陽の、知の神ローギルよ、この私に……」

 堂々たる呼びかけはそこで中断された。醜い、褐色の巨大な芋蟲が砂からその頭を伸ばし、哀れな神託者に噛み付いて砂地に引きずり込んだからだ。悲鳴を上げることさえできずにマーシャルは地中に消えた。

 しばし呆然としていたセシルだったが、「あからさまにアルバトロス、あからさまにアルバトロス、あからさまにアルバトロス」というなぜか印象に残っているフレーズを三回唱え落ち着きを取り戻し、近くの公衆電話から師団支部へ電話をかけ、マーシャルが砂蟲に引きずり込まれ、たぶん死んだであろう件と、武装した対策チームを寄越すべきだという提案を述べると電話を切った。そのころには彼は驚くほど冷静になっていた。まあ死んだけど代わりを探せばいいじゃないか、マーシャルはややうるさいが良いやつだった、次の相棒もそうだといいが、と思いながら、近くのバーへ入り、ウイスキーを呷った。

 店を出るころには、もはや銀炎師団をやめてしまおうとすら思っていた。毎日、意味の分からない呪文やポーズの繰り返しだ。過去に偉大とされる指導者が口走ったことや取ったポーズ、癖、それらは神聖なものとされ、由来も分からず蓄積され、今日に至っている。神の顔も増え続けるばかりで、今に街じゅうがその像で埋め尽くされるだろう。なんと無意味なことか。同じ無意味ならば、ローズ派のように金儲けに走ったほうがまだ良いのではないか。酔っ払った頭でセシルは思った。

「いや、待つのだ、我が子、我が兄弟よ」声がした。見ると、横に屈強な戦士が立っていた。銀の鎧に身を包んだ、赤銅色の肌の、燃えるような赤髪の男。まさにそれは、〈戦士のローギル〉であった。

「待てとはどういうことだ?」セシルは神に馴れ馴れしく聞いた。「何を待てと」

「信仰を捨ててはならぬということだ」神は答えた。「今はいろんな、辛いことがあると思うけど、わたしくらいの年齢になればそれらの意味が分かってくるはずだ」

「あんたは今何歳だ」

「七十億歳といったところだ」

「本当にか?」

「いや、少し鯖を読んだな。オーラム。金のフレアよこの身に降れ。この前、隣の奥さんがシチューを作りすぎたので分けてくれたがじゃがいもが生煮えで、クソったれ、と思ったがそんなことはおくびにも出さず全て食べ、おいしかったですと言ったよ」これはラプタニア人で初めて最高司祭に上り詰めたロナルド一世が得意とした説教だ。何度かに一回隣の奥さんへの悪態を吐かず手放しで誉めることがあり、その場に居合わせると縁起が良いとされる。同時に戦士は左膝の裏を左手で触りながら、右手で項を掻く。これは、〈薬師〉〈風来坊〉〈間男〉の三面からなる〈三人のローギル〉の巫女、グースベリー教区の聖シンシアの困惑したときの癖であったポーズだ。彼女が〈驟雨の寄せ手〉の化身であるとされた、黒い馬の怪異を倒すために異領域への穴に飛び込む際も、三回ほどこの格好になり気を鎮めたという。本人は行方知れずだが、後に流れ着いた、彼女のものであるとされる掛け金は今もグースベリーに祀られており、観光客はそこでこのポーズを取り写真を撮るのが定番だ。

「それで今からどうすればいいんだ?」

「試練だ。試練を乗り越えよ、小さき猫よ。悪しきインパルスを断ち切るのだ。その腰の掛け金で、我が心臓を貫くのだ」

「なんですって?」さすがに自分の信仰する神の言葉といえど、躊躇せざるを得なかった。なにしろ会ったばかりである。そこまでの行為はいささか、急進的ではないだろうか。

「しかしまあ、あんたがやれと言うならやりますが。我が神、我が同伴者、我が戦士。暗いうろ穴に送り狼が入り込むとき、誰の手もがさついていてはいけない。雄弁なる担い手の意思があらんことを」

「ああ今夜ね、行けたら行くわ」これは百五十年前に活躍した〈年季奉公のローギル〉の騎士、コーネリアス・アームストロングの口癖、と初心者は判断してしまうだろうが、その場合は「ああ、今夜? 行けると思う。行けないかもしれないけれど」である。「ああ今夜ね、行けたら行くわ」というシンプルなバージョンは〈火消しのローギル〉の神学者バートランド卿のものである。コーネリアス公の流麗なフレーズを力強く大胆に縮めたこの聖句は多くの信徒に影響を与え、今日では誰もが、小腹が空いたときや寒いとき、重い荷物を持つのを手伝ってほしいときなどに唱えている。本来の使い方である、相手の誘いをやんわり断るときにほのめかすやり方は非常に無礼とされ、年間七十人ほどがそれで死罪となっている。

 神の発した聖句に呼応して「じゃあやります」と言い、セシル・オズボーンは、あたかも原初の空からヒルアイルへと神が槍を差し込んだように、目の前の戦士へと愛用の杭を打ち込んだ。それは力強くローギルの板金鎧と胸板をぶちぬいて血肉を散らばらせ、神聖かつ残虐な赤い花を路面に咲かせた。

 その相手がローギル神などではなく、酒場で一緒に飲んでいた単なる近所の小父さんであったとセシルが気づいたのは、太陽が昇ってきたころだった。その死に顔は恐怖に歪んでいた。やがて通勤客が、なんだなんだ、殺しか? 怨恨か? 通り魔か? と寄ってきて、血まみれのセシルにどうしたんですかと尋ねる。神にやれと言われたんでやったら知らないおっさんでした。失敗でしたね。苦いね。とセシルは言ったが、この「失敗でした。苦いね」というのが新たな聖句となり、その場に礼拝堂が建てられ、小父さんの遺骨は胸に杭の刺さった状態で何世紀も後まで保管された。訪れる観光客は皆「あからさまにアルバトロス」とか「失敗でした。苦いね」あるいは「私は今、七十億歳です」などと呟き、記念のペナントやポストカードを買って帰る。これらのみやげ物の値段設定はかなり高く、金儲け主義じゃないかという声は何度も挙がっているが、礼拝堂を管理するオズボーン派は「いえ、これらは神聖です」と言うのみであった。

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