6.本社潜入

 衝撃の事実にノックアウトされ一瞬失神していた俺は、なんとか崩れ落ちることなく踏み留まった。

「あ……あ……」

 だが言語中枢へのダメージは深刻だった。

「さ、行くわよ」

 マリカはそんなパンチドランカー状態の俺の手をむんずと掴み、引き摺るようにして社内へと連れ込んだ。


 *


 拍子抜けするほどすんなりと俺たちはゲートを通過し、奥のエレベーターホールまで来ていた。道中も特に不審がられることはなかった。

 ここまで来て俺はようやく人心地が付いて、周囲を眺める余裕も生まれていた(社長については無理矢理思考することを放棄した。心の防衛機能だ)。

 清潔さを過剰なほどに感じるエントランスフロアは、無駄を一切省いたかのように洗練された造りだった。しかし、随所に高価そうなオブジェや絵画がさり気なく配置されており、実用性一辺倒でないところに設計者のセンスを感じた。

「おい、どこに向かうつもりだ?」

「決まってるじゃない。パパのところよ」

 何を当然のことをとでも言うような口調のマリカに思わず嘆息する。

「あのなあ、面が割れてるお前がのこのこ近付いていったら警戒されるに決まってるだろ。それにその格好は目立ちすぎる」

 まあ制服の女子高生が社内にいる時点で筒抜けの可能性もあるがな。監視カメラは一応避けてきたし、考えても仕方ない。エントランスの様子まで把握されていないことを祈ろう。

「じゃあどうすればいいのよ」

「まあ任せろ」

 不満そうな顔に、にやりと笑ってみせた。


 *


 履き古した細身のブラックジーンズに無地の襟付きシャツが俺の基本スタイルだ(ジャケットを羽織ることもあるぜ)。

 エレベーターに乗り込んだ俺たちはまず、休憩スペースや食堂のあるフロアに向かった。私服勤務のプログラマーや事務方の人間も多く出入りするこのフロアなら、俺たちでもなんとか目立たずに済む、と思いたい。

 このフロア、都合のいいことにどうやら昼時以外はそこまで混雑しないようだ。これ幸いと人目をさり気なく避けつつ俺たちはそれぞれトイレに滑り込んだ。

 そして数分後、トイレの出入口にはスーツに身を包んだ俺と、制服の上からパーカーを羽織ったマリカの姿があった。

「へえ、案外似合うじゃない。違和感が無いわ」

「ったりめーよ。これでもプロだからな」

 コンセプトは『入社五年目。会社にも慣れ、最近初めての部下もできた。若手から中堅への過渡期にいるエリートビジネスマン』だ。

 軽口を叩きながらも俺はマリカの服装を確認する。上は俺の用意した薄手のパーカーだが、下は当然制服、チェックのスカートのままだ。まあ私服に見えなくも無い、と思うが。

「……やっぱりお前はここにいろ」

 服装もそうだが、子どもがうろうろしている時点でどうしても目立つ。

「どうして!」

「大人ばかりの空間でただでさえお前は目立つ。それにさっきも言ったが、お前はターゲットに顔が割れている。万全を期すなら、ここからは俺一人で行ったほうが良い」


 *


 その後も当然のように噛み付いてくるマリカをなんとか宥めすかし、有名スイーツレストランでの食べ放題を約束することで漸く納得させた。

 そして俺は今、『HiRAGI』本社ビルの二十二階にいた。マリカから聞き出した情報が正しければ、親父さんは概ねこのフロアにあるオフィスか会議室にいるとのことだ。

 何気ない顔でカーペット敷きの廊下を歩き、ガラス張りのオフィス内部を伺う。中では多数の人間が忙しなく業務に臨んでいる様子が見えた、が、マリカのスマホで事前に確認していた顔は見当たらない。

 オフィスにはいない、か……。

 ビルにはエレベーターが八基ある。どこかで入れ違いになっているかもしれない。アポを取っているわけではないので、そもそも社内にいない可能性すらあった。

 どうする。一度戻って、マリカの待機しているフロアに行くか? いや、今回は運良く見咎められないままここまで来れたが、侵入を繰り返すだけリスクは上がるだろう。深追いは禁物だが、折角ここまで来たのだ、もう少しだけ調べてみよう。

 結論を出した俺は、自然体を装いつつフロア廊下を横切って行く。馬鹿でかいビルではあるが、流石に駅やショッピングモールとは比べるまでもなく、また動き回れるエリアも限られているため、数分もあれば調べ尽くしてしまう。廊下やオフィス、トイレなんかをあらかた見て回り、もうあの角を折れれば反対側のエレベーター前に出ちまう、そんな時だった。

「……、柊様は……」

 確かに今、“柊”と聞こえた。女の声だ。

 目だけで周囲を見回すと、前方の壁にドアがあるのが見えた。恐らく応接室のような部屋なのだろう、木製風のドアに、真鍮の取っ手が付いている。

 俺は監視カメラの向きを確認すると、ドアへ近付き、カメラの死角となる位置でしゃがみ込んだ。ドアの向こうに複数人の気配を感じながら、俺はカーペットを捲り上げる。できた隙間へカード型のレコーダーを差し入れ、間髪入れずに立ち上がる。膨れたカーペットは歩きながら足で均した。

 これで“耳”の設置が終わった。

 そのまま俺は真っ直ぐ、ある場所へと向かった。

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