5.調査開始

「ここ、か」

「ええ。ここよ」

 俺と依頼人のマリカは、調査対象、即ちマリカの親父の勤め先まで足を運んでいた。

「なあ、本当に行くのか?」

「今更なに言ってるのよ。『調査は足でするもんだ!』ってクロスさんが言ったんじゃない」

 そう、その通りだ。俺が言い出したことなんだが。

 電車を乗り継ぎ小一時間。事務所がある街よりずっと都会の駅を出た目の前には、巨大なビルが佇んでいた。物言わず俺たちを見下ろすそれは、なんとも言えぬ威圧感がある。

「『HiRAGI』、ね」

 俺はエントランスに掲げられた、金属製の立派なプレートをぼんやり眺めた。

 HiRAGI――柊ホールディングスといえば、家電から通信、保険事業まで、多数のグループ企業を抱えるこの国有数の大企業だ。こんなところに親が勤めてるんじゃあさぞかし裕福な家庭だろう。コイツのお嬢様然とした振る舞いもさもありなんってわけだ。

 横目でマリカを眺めながらそんなことを考えていると、妙な違和感を覚えた。だがそれが何かを考えているうちに、マリカはどんどん話を続ける。

「パパはここで働いているわ」

 はあ、超エリートじゃねえかよ。俺みてえなチンピラからしたら雲の上の存在だ。

「だがよ、こういうトコってセキュリティが厳しいだろ」

「そうね。ICチップ付きのプレートがないとゲートを通ることすらできないわ」

「だろ? ここは策を練って出直すべきだな」

「心配ないわ。持ってるもの」

「何を」

 にこやかに微笑みながらスクールバッグに手を差し入れ、おもむろにプレートを二枚取り出す依頼人。

「一枚はママのものを借りてきたわ」

 ずい、と差し出されたそれを見れば、アクリルのような透明のプレートの中に「GUEST」と書かれたカードが入っていた。プレートには紐が付いており、首から下げることができるようになっているようだ。

「お前何モンだよ……」

 いくら従業員の家族だからって、オフィスに自由に出入りできる権限があるか? それもこんな子供に……。

 はっ、とそこで俺の脳天から足元までを閃きが貫いた。

「ちょ、ちょっと待て」

 自分で思い付いたことを、確かめるのが怖い。だが、確認しないままでいるのはもっと怖い。

「なに?」

「お前の苗字、柊、って言ったか……?」

「ええ、そうよ?」

 おいおいおい! 背中に嫌な汗が流れるのを感じながら、俺は口を開いた。

「マリカ、お前の親父ってまさか」

「まさか、何?」

「いや、その、役職は……?」

 首を傾げつつもマリカは答えた。

「パパは『HiRAGI』本社で統括部長をやっているわ」

 な、なあんだ! そっかあ!

 全身の力が抜けた。ほっと胸を撫で下ろしている自分がいた。いやあれだけの大企業だ、部長でも十分雲の上の存在だが……ほら、同じ苗字だから俺はてっきり、な。

 そんな俺の態度を読み取ったのか、マリカは小馬鹿にするような口調で言った。

「なあに? 社長かと思った?」

「いいや……別に」

「ふうん? まあいいけど。じゃあ行きましょ」

 言うが早いがエントランスに向かってずんずんと歩き出す。

 正直まだ腰が引けていたが、子供の前でこれ以上カッコ悪いところは見せられねえからな。覚悟を決めて俺も大股で歩き出した。

「あ、そうそう」

 入口の手前、先を歩いていたマリカが突然ひらりと振り返った。そしてハンバーガーを注文するみてえな軽い口調で言いやがった。

「ちなみに社長はお祖父様だから」


 ……俺の意識は一度そこで途切れた。

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