花冠の護り手

@mayudayo

第1話 戴冠

「お気づきになられましたか?陛下」


少女、歳の頃は十を幾つも越せてはいないだろう。

そのあどけない面持ちは青白く血色を失っていた。


「余が……」


少女は簡易に木製で添え付けられた折り畳み式のベッドから、のろのろと身をおこそうと

か細い背中を捩じらせた。


「いま暫く……」


少女の体を真っ直ぐに、やんわりとなだめるように仰向けに寝かし直しながら、老いた男、その身を包む鎧の豪華さに引けをとらぬ磨きぬかれた威圧感を纏っている。


その雰囲気を目にしたなら男が歴戦の猛者もさであることは、戦場を知らぬ平民の目からでも容易く予想できるたろう。


少女は仰向けに天蓋てんがいを見詰めた。

小塔型に建てられた小狭いテントの中、太い支柱には、隙間風になびく細長い国家を表す紋章が描かれた旗が並び風にもてあせばれて、軽やかに揺れていた。


「伝令!!」

「控えよ!!!」


老戦士の両脇に膝を折って控えていた若い男が、腕を真一文に払い上げながらテントに駆け込んできた兵士の言葉を遮った。


腕を振り上げた瞬間、鎧の隙間から剥き出しの日焼けした素肌に黒々と旗に印されたものと同様の国家の紋章が焼き印されていた。


近衛騎士このえきし』の証である。


「タルバナ、伝えさせよ。シン・シック……余を陛下と呼んだゆえを、その者は解しておるのだろう?」


タルバナと呼ばれた若い騎士は静かに腕を下ろした。

老騎士、シン・シックはベッドから一歩下がって両騎士の手前で彼ら同様に片膝を折った。

先のタルバナからの激に伝令の兵士は身をすくめたまま言葉を詰まられて立ちすくんでいた。


「無礼者、膝を付け。陛下の御前である」


テントの入り口から幕を払い、鎧姿の美女が姿を現した。

尖った両耳、貌周かおまわりの整った輪郭、黒耀石の反射を思い起こさせる艶やかな肌。

エルフと呼ばれる神と精霊の間に生を受けた種の末裔まつえい


種は二族に別れ、肌の色に混じりを互いに禁忌きんきとしたいた。

漆黒の肌をもつ女騎士はダークエルフと称される種であった。


伝令の兵士は固く瞼を閉じ砂の塊が崩れるようにその場に平伏した。


『ダークエルフは美貌と引き換えに眼差しに呪いを引き継いだ』


つまらない噂ではあったが、信じこませてしまうほどに、ダークエルフ、スピーレアは美しく、強い眼差しを持っていた。


女騎士スピーレアは腰の上まで伸びた長い銅色の髪を一束にまとめ、右側の肩に垂らした。

瞬間鎧の隙間から覗いた素肌には、やはり王国の紋章の焼き印が目を惹いた。


「先王のご崩御、心からお悼み申し上げます。お側にありながらの、この不始末。女王付きとしての、この身の不甲斐なさを御詫び申し上げ、陛下のご戴冠の祝い差し上げる為にせ参じつかまつり致しました」


スピーレアは膝を折り、腰にたずさえたレイピアを一瞬で引き抜いた。迷わす己の首にその切っ先を押し当てた。


静寂がテントに広がる。

スピーレアはレイピアのつかに力を入れた。


一瞬であった。

カーンと、金属がぶつかり合う、かん高い音が響き、少女の目に美貌のダークエルフが取り押さえられる光景が映った。


わずもがな!!失態は全臣下にある!!己だけらくを選びしは、陛下の臣として、今まささに、反逆以外の何ものでもない!!」


重い肉を板に叩きつけるような、嫌な音が重厚にテントに響いた。


殴られた拍子に、唇を切ったのか、スピーレアの綺麗な口角から細く赤い糸のような鮮血が流れて、水滴テントに染みを作った。


「止せ。シンよ、余はスピーレアを許す。己が真の意志に従うがよい。誰もとがめぬ。余に何が出来ようか?この身を見よ……余に玉座は遠い。自由に生きよ。森の妖精騎士よ。忠道ちゅうどう天晴れであった。ゆめ忘れぬ。この身の最期まで」


少女は瞼を閉じた。思い出すだけになってしまった母親の後ろ姿を。玉座に掛け臣下を見下ろす横顔を。戦場に向かう国家を背負ったマントをひるがす姿を。美しく果敢であった。女の身で武を極める、この翡翠ひすいの国を統べた。


ついぞ……向き合うことはなかった。スピーレア、母の最期は美しかったか?」


スピーレアは両膝を折り罪人のように両腕を大地に突き、その手の甲に顔を突っ伏した。


「はい。それは果敢に麗しく……華散る如く鮮やかに、我ら臣下の隙を抜け……」

「単騎で逝かれたか。あの方らしい」


口を挟んだのはシン老騎士であった。僅かに鼻を鳴らす音がテントで騒いだ。少女は目を開けて両手を突き上げた。


「よくぞ看取ってくれた。感謝いたす。シンよ。国を生かすのが王の役であったな。猛者を集めよ」

「はっ!直ちに雪辱戦に挑みましょうぞ!例えこの身が滅びたとて!」


テントの中がざわついた。誰もが同じ気持ちであったのだろうか。剣の擦れ合う音が打ち響いた。少女はしっかりと意識を保った。母親の最初で最期の命令を遂行する為に。突き上げた両手で拳を握った。


「敵国アランに我が身を差し出せ。そして延びよ。いつの日か来るであろう好機を待て。しかし余に続く王は絶える。そなた達は自由でる。紋章から解放する。延びて子孫と生きよ。大義であった。我が精鋭達よ。誉れたかき王の騎士達よ」

「何を申される!!セシャーミン様!!」

「王よ!!」


シン老騎士だけではなくスピーレアもが悲鳴のような声を上げた。


「先王亡き今、余に何が出来る!」

『もし、わたしに何かがあったなら、そなたに何が出来よう?』

「この小さき身を見よ!」

『この小さな身体をよく見なさい』

「万人を」

『生かす道こそが』

「余は既に王である!」

『王の使命です』


セシャーミンには心に母親の声が重なっていた。成すべきを成さねばならない。敵に渡されたならば死を与えられるだろう。どんな痛みがその身を貫くのか想像も出来ていない。しかし、セシャーミンは与えられた使命にだけは従うと誓って城を出たのだ。


「最初に帰れぬ戦に出た。運が悪かっただけだ。シン、タルバナ、スピーレア……引き渡す際に……この身を預ける」


セシャーミンは臣下に「殺してくれ」と命じたのだ。怖かった。寒さも暑さも感じなかった。何も感じない。尚更に怖かった。セシャーミンは述べた言葉を繰り返すことは出来なかった。もう終わって欲しい。それ以外に願いも果てていた。

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