希望が鎖す、夜の別称:35




 妖精の魔力は、驚くほど素早くソキに馴染んだ。繰り返す鼓動と同じ速さで、親しさで。生まれ落ちた命より長く、ずっとその傍らにあったような自然さで、予知魔術師の体が妖精の魔力を受け入れていく。とくん、とソキの心臓がひとつ脈打つだけの間に、妖精は躊躇いなく、己の魔術師となったいとしい存在の為に力をふるった。

 混ざりものの支配を全て流れ落とし、ソキだけの魔力で全身を満たし直す。いまや、ソキと妖精の魔力は同一のものだった。妖精と魔術師が契約する、というのはそういうことであり、ふたつの存在の根源が瞬く間にひとつになる。変質ではなく、それぞれが一歩ずつ足を踏み出して距離を近くして、手を繋いだような変化。穏やかであるからこそ、本質的な防衛にはならず。

 予知魔術師はその性質により、言葉魔術師の支配を跳ね除けきることができない。保って数分、あるいはそれ以下の自由。分かっているからこそ、シークは過度に慌てていないのだろう。舌打ちしたい気持ちになりながらも、妖精もまた、落ち着いていた。ソキの瞳は輝いている。己の胸の希望を乱反射させて。諦めず、すべきことを、知っている。

 ソキは妖精に促されるより早く、きっと前を見据えて手を伸ばした。その手が握られないことを、考えもしない、信じ切った姿。

「助けて……!」

 息を、吸う。かつての約束を思い出して。ソキは今度こそ、それを果たしてみせた。

「――助けて、ナリアンくん! メーシャくんっ、ロゼアちゃんを、たすけて!」

「ソキちゃん……!」

 風が逆巻く。暴風が、嵐がそこに顕現する。ソキと妖精、ロゼアを守り、正確にシークだけを押しのけ切り離す。ナリアン、メーシャっ、とソキの影響から脱したジェイドが声を張り上げる。無理するな、と半ば窘められても、します、と即座にふたりは声を重ねて言い切った。精密に過ぎるナリアンの魔術発動は、傍らでその腕に手を添えるメーシャが助けるものだった。

 魔術師のたまごの、まだ未熟な器を酷使する精密な発動。舌打ちをして、ああもうっ、と苛立たしくレディが声を荒げる。

「ソキさま申し訳ありません……! 手荒な解呪をお許しください……!」

「待ってあなたこの状況で? まだそんなことで悩む余裕が? 魔法使いどうしたのって思ってたらどうかしてただけだった?」

「言っておくとね、ラティ? 私は、私以外の全員がどうかしてると思ってるから別になんとも思わないわよ? 病める時も健やかなる時も払ってこその敬意だもの!」

 その通り、とばかり頷く筆頭の姿を見なかったことにして、ラティは左右に首を振った。つける薬もないので、諦めるしかないことだ。ごめんなさい申し訳ありませんと繰り返しながら影響から脱した火の魔法使いが、エノーラとラティをも救い出して、ナリアンの風に魔力を乗せるまでは滑らかだった。火炎を伴う防壁が、ソキたちと言葉魔術師を完全に隔離する。

 ナリアンとメーシャの腕を引いて後退させ、ソキとロゼアを保護しながら、砂漠の筆頭はため息をつく。

「いくらエノーラの隔離結界が壊されていないとはいえ……城に放火しないでください、と筆頭として注意はさせてくださいね、レディ? エノーラ、絶対に結界を壊されず維持していてください。城が炎上します。歴史に残りたくなかったら隔離し続けるように」

「冷静に考えて、今の状況って十分教科書案件じゃない? のちの参考になっちゃわない?」

『ねえ、アンタたちはどうしてそう、緊張感というものを保ち続けられないの? 集中力がないの? 飽きっぽいの? 馬鹿なの?』

 呆れ果てる妖精は、ため息を付きながらソキたちに視線を向けた。魔術師のたまごたちは、誰も彼もが床に座り込んでいる。ナリアンはまだ風を発動させたままだが、大部分の制御をレディが請け負っているのだろう。ほっとした様子でメーシャと視線を交わし合い、うん、と無言で頷き合っていた。そして、ロゼア。こちらも、ソキの支配から逃れたのだろう。

 身動きが出来ないくらいの力で抱きしめてくるロゼアの腕の中で、ソキがぷきゅりと潰れている。ロゼアは珍しく、ソキの息苦しさに配慮出来ていないのだろう。ぴきゅ、はぅ、とソキがもちゃっと動くたび、腕にぎゅうっと力がこめられて、一向に緩められる気配がない。このままだとソキが幸せ死、もとい窒息しかねない。

 気が付きなさいと妖精が怒鳴るより早く、あっと声をあげたメーシャが、ぽんぽんとロゼアの肩を叩いた。

「ロゼア、ロゼア。すこし抱き直してあげて。ソキが息できていないよ」

「……ぷふっ。は、はうー、はうー……はぅうにゃっ! メーシャく、ありがと、ですぅ。ナリアンくん、ありがと、です」

「うん、ソキちゃん。……うん、ううん……!」

 俺に、君を。助けさせてくれてありがとう。助けを、求めてくれてありがとう。半泣きになりながら告げるナリアンに、ソキはやや緩んだロゼアの腕の中でもぞもぞとしながら、満面の笑みで頷いた。ロゼアからは言葉がない。ソキを抱き留めて存在を確認するだけで精一杯で、意識の余裕がないようだった。

 それを良いことに、好き勝手もぞもぞくしくしはうーはううーっ、とロゼアを堪能するソキには、反省というものが欠片も見いだせない。はー、と深くため息をついて、ソキ、と妖精は己の魔術師を呼んだ。

『帰ったら事情説明のあと、お説教だからね。まっ……たく! 自分ひとりで解決しようとなんてして! どうしてそこで努力の姿勢を見せちゃうのよ……!』

「ちぁうもん。解決、しようとしたんじゃないもん。できたんだもん」

『はぁあん?』

 この大惨事を前にして、まだそんなことを言うのか、と妖精は眉をつりあげた。状況はすでに詰みである。リトリアはまだ解放されていないが、シークは先のように、予知魔術師を無理に操ろうとする素振りは見せていない。ソキもすっかり自由のようで、ロゼアちゃーんロゼアちゃーんソキーのーろぜあちゃーっ、とふんわふんわしたご機嫌な歌を響かせてにこにこしている。

 アンタたちもしかして緊張感っていう言葉の存在から知らないの、そうなの、と息を吐く妖精に、ジェイドから苦笑の眼差しが送られた。

「ごめんね、そのままにさせてあげてくれるかな。こちらはもう、任せてくれて大丈夫だから。ソキも怖かったから、安心したいんだよね。……ロゼアも」

「……大丈夫、なんですか? リトリアさんが、まだ」

 業火の壁の向こう。揺らぐ景色の向こう側で、リトリアがシークに囚われたままでいるのが見える。不安に訝しく問うナリアンに、ジェイドは頷き、ラティもレディもエノーラも、ごく普通の顔をしてあっさりと頷いた。

「大丈夫。そもそも言葉魔術師なんて、予知魔術師さえいなければ、魔法使いひとりで十分制圧できるのよ。リトリアちゃんは、まぁ……えっと……なんとかするわね……?」

「レディ。なんとかなってないのがバレて後輩が不安になりますから、そこはもうすこし隠して」

「筆頭。言葉を選んでください。筆頭のせいでバレたと言っても過言ではないのでは?」

 レディ、ジェイド、ラティの順番に視線を巡らせたエノーラが、うんざりとした顔で息を吐く。できれば一緒にされたくないんだけど、も顔にも声にも出して告げ、錬金術師はまぁでも大丈夫だから、と不安げな『学園』の後輩たちに告げた。

「唯一にして最大の問題は、リトリアちゃんが囚われてることを、どうやって事が終わった後も保護者どもに隠しておくか、ってくらいだから。本当に大丈夫。……よね? レディ?」

「もちろん。言葉魔術師の魔術は、射程距離がごく短い。接触が八割、音声の届く範囲が二割。これを守れば無略化は容易いし……その他の隠し玉が合っても、ソキさまが下さった守護が、これ以上の影響から、守ってくれる!」

『そんなことまでしてたの? ソキ』

 珍しいことに、ロゼアにきゃっきゃしながらも、ソキは周囲の会話をちゃんと耳にしていたらしい。えへんえへへん、とふんぞり返って、また強くロゼアに抱き寄せられながら、ソキはご機嫌この上ない笑顔でそうなんですぅ、と頷いた。

「あのね、なにもしないようにしたらね、なにもしないのお約束だったの。でもね、うゃんや、な気持ちだったの。だからね、保険、というやつなの。ソキはかしこいの。えへへん!」

『……影響が残ってないようでなによりだと、思いなさいアタシ。思うのよ……!』

 純度百パーセントのソキである。言動からも、己の魔術師となった今であるからこそ分かる魔力も、この上なくソキだけである。心底残念な気持ちになりながら、妖精はため息をついて魔術師たちを眺めやった。シークは先程から動かないでいる。声を発しもしない。息を整え、自由を取り戻したリトリアが、顔を伺いながらそろそろと腕を外して逃れても、引き止めもせずに好きにさせている。

 戸惑いながらも慌てた様子で、リトリアがととっ、と炎の壁に向かって足を踏み出した。いや待ってちょっと待ってお願い待って引火する引火する万一のことがあったら私の死因がリトリアちゃんになるっ、と騒ぎながら、レディが渦巻かせていた魔力の流れを停止させる。ふっ、と空間の圧が消えた。

 ととととっ、と無警戒に走って戻ってきたリトリアは、えっと、とすこし考えたあと、ぴょんとばかりにジェイドの背に隠れた。それから、そろそろと顔だけを出して、不安げにシークに視線を向ける。よしよし、無事に戻ってきて偉いですね、と頭を撫でてくるジェイドに、うん、とはにかんでから。リトリアは声を潜め、砂漠の筆頭に、あの、と囁いた。

「動かなくなっちゃったの……ど、どうしよう……?」

「決まってるわ。物理的に凹ませてから地下牢だか独房だかにぶち込んで、砂漠の陛下に報告して、『扉』を復旧させて全員撤収して! 私は白雪の陛下の! 靴底に! なる!」

「……まあ、エノーラの個人的な願望はさておき。やることは明確で、今述べた通りですよ。……リトリア、あちらでソキたちと一緒にいなさい。あとはもう、任せてくれていいからね」

 ラティ、長物貸して、ええぇいま長剣しか持ってないんだけど、それでいいわ貸して、素人が殴ると剣が折れるからエノーラの指示で私が殴ったり刺したりするのでひとつ、よし分かったわそれで、と交渉をまとめるふたりに、はいはい指示に従ってくださいひとまず却下、と両手を打ち合わせながら告げて。ジェイドは深い、深い息を吐き出して、ようやく、真正面からシークに向き直った。

 名を、呼ぶために。息を吸い込んで。それから長く、ためらいがあった。

「……シーク」

「……ウん? なに、ジェイド」

「諦めろよ。抵抗しなければ、酷くはしない」

 言葉の途中で、ジェイドの視線は地に伏せられていた。正面から直視し続けることが辛くてならない、という顔をしていた。はぁっ、と女性三人から渾身の不満声があがる。なにそれなにそれ馬鹿言ってるんじゃないわよ、分かったわ灰にして証拠を残さないから、筆頭この場面転換乱心とかほんとやめてくださいます、とかけられる声に。ふふ、と笑ったのはシークだった。

「……諦めル?」

「そう。……そうだよ、そう言ってる」

「ボクが、ボクをこの世界かラ消しタがるノは、キミにとっテそんナに不都合なコとなノ?」

 数秒の空白。は、と息が漏れるように声を落としたのはエノーラだった。理解不能の顔をして、錬金術師が瞬きをする。

「……え? 私、疲れすぎて何か聞き間違えた? アイツ、死にたいとかほざいてない? もしかしてこれ、手の込んだ自殺? よし殺そう! やったー! 本人から許可が出たー! これはもう殺害許可に他ならないのでは!」

「エノーラ、やめなさい。……シークが死ぬと、ロゼアくんの自我が消えて制圧される。そうだね? ソキ」

「ぜえええええったいだめですうううううう!」

 全員の耳をつんざく叫び声に、妖精が顔をしかめながら静かになさいと己の魔術師を窘める。ソキは興奮しきった様子でちたちたぱたたともがきながら、ロゼアにびとんっ、とくっつきなおして主張した。

「だからぁ、おんびんに、なんとかするんでぇ、ソキががんばるんでぇ!」

『ソキ、事態をややこしくしない為にも黙っていましょうね。……というか、もうすこし具体的に言えない? なにを、どう、頑張るつもりだったの? というか、アイツの目的はなに?』

 ここに至って、砂漠の虜囚の目的を知らないでいることに妖精は気が付く。興味関心好奇心がなかったから聞かないでいたけど、とエノーラは吐き捨て、そういえば、とラティとレディが視線を交わし合う。ジェイドは口唇に力を込めて視線を伏せていた。彼は、と砂漠の筆頭が苦しげに吐き出すより早く。ソキはふんすっ、と鼻を鳴らして言い放った。

「おうちにかえるの!」

『……なんですって?』

「だから、ソキ、道をつくるの! あっちの、別たれた世界まで!」

 その為に、一番距離が近い、白雪の国まで行かなければいけない。馬鹿なことを、と茫然と呟いたのは稀代の錬金術師だった。そんなこと、できる筈がない。それを可能としない為に、この世界は欠片として分断されたのだから。告げるエノーラに、シークは視線をあげて微笑む。ぐしゃぐしゃに踏み荒らされた、いびつな勿忘草の色を宿した瞳が、笑う。




 その為になら、その願いひとつ叶える為になら。

 どんなことだってすると、決めた。

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