希望が鎖す、夜の別称:36



 その為になら、その願いひとつ叶える為になら。

 どんなことだってすると、決めた。




 言葉は、その場の全ての意識に書き記されて染み込んで行く。言葉魔術師の影響下にあるのだ、と妖精は気が付いたが、すでに遅かった。妖精たちは一様に羽根を震わせて混乱し、己の導いた魔術師の元へ急行しては、悪しき影響がないものかと探り、確かめた。おぞましさに眉を寄せながら、錬金術師は前を睨みつけて言い放つ。お前の事情は知っている。異郷より来た言葉魔術師。

「けどね、そんな理由? たったそれだけの理由で、アンタ、ソキちゃんを誘拐して、魔術師の器を破壊し、今日に至るまで……諦めないでいたってこと? ……で、アンタはそれを知ってたって訳、砂漠の筆頭!」

 言葉魔術師の目的、理由は黙秘し続けられていた筈だった。砂漠の『花嫁』が誘拐された、五国の魔術師を震撼させたあの事件から、ずっと告げられずにいたからだ。折を見て会話は試みられていた。けれど言葉魔術師はのらりくらりと追及を交わし、無為に日々を消化していた。その筈だった。ジェイドは刃のような糾弾に顔をあげ、そうだよ、と言って息を吐く。

「知ってた。……シークが自分で教えてくれたからね」

「報告は……王に、陛下に報告はっ?」

 縋るようなラティの悲鳴に、ジェイドは口を閉ざしたままでいた。裏切者を見る、愕然とした眼差しが砂漠の筆頭に向けられる。くすくすくす、と笑い声。嘲笑う響きで、言葉魔術師は目を細めている。

「シてなイよねぇ、ジェイド? 出来る筈ガなイのさ。ボクを帰すダなんてイう試みハ、もうトウに試さレ尽くシた。もチろん、王サマたチの命令デね? 『学園』にイた頃から、何度も、何度モ、試行サれ、失敗シて、そして、ボクはもうコう告げらレてイるノさ……。諦めテ、砂漠ノ王に仕えヨ、とネ」

 ここで死ね、ということだよ、と。歪まず響く滑らかな声で、言葉魔術師は笑ってみせた。摩耗して、なお、その表情だけが残ったような、荒廃した笑み。

「諦めきれない」

「……それでも、その為に、お前がしたことは許されない。許されないんだよ……!」

「どんな手を使っても、なにをしてでも。誰を犠牲にしても、なにが犠牲となっても。諦めたくない、と思う。諦めてなるものか、と思う。……その気持ちを知っている筈だね? ジェイド」

 知ってるよ、とジェイドは言った。突然、家に帰れなくなる、これからもずっと戻れなくなる。突然奪われるその空虚さと、悲しみも、苦しみも。俺はきっと誰より共感して、理解してしまうことができる、とジェイドは言った。でも、と告げる言葉はふたつ、重なって響いた。ジェイドとシークは、鏡合わせのように立ちながら、向き合って微笑んで首を横に振った。

「俺には『花嫁』がいた」

「ボクにハ、誰もイなかった……」

「だから……『花嫁』がいれば、いいと思った。そうでなくとも、愛する者が……お前を愛して、お前が愛せる者がいれば、よかった。そうなればいいと思ったから、俺は……!」

 王に。『お屋敷』との縁組を進言して、シークを招いたのは俺だよ、とジェイドは言った。愕然とするロゼアと、よく分からないとするように、きょとんとした顔のソキを振り返って。俺がシークを『お屋敷』に入れた、と砂漠の筆頭は囁いた。それは数年越しの懺悔だった。

「その侵入で、シークはソキを……言葉魔術師の武器たる、予知魔術師を見つけ出してしまった」

「そウだヨ。……ああ、そうさ。ひとめで、わかった。彼女ならボクの願いを叶えてくれる」

「帰って来たシークの様子が違うのは分かってた。見たこともないくらい、嬉しそうで、興奮してて……俺はその理由を見誤った。シークにも『花嫁』がいればいいのにと、ずっと思っていた。だから……!」

 ほんのすこしの時間を見つけては『お屋敷』へ通う、シークの真意を見落とした。それはただ、準備の為でしかなかったのに。『お屋敷』の人々を操り、ソキを連れ去り壊してしまう為の準備。だって待てなかったんだ、と懐かしそうに、くすくす、シークは肩を震わせて笑う。

「魔術師として目覚めて、完成する時を待てばいい。そう思うだろう? そうだね、それが正しい。事情を話して、理解してもらって、もう一度王たちを説得して? そうして世界を渡ればいい? いま、稀代の錬金術師たる彼女が、馬鹿なことをと切り捨てるくらいの可能性なのに? その為に、ボクは何年待てばよかった? また否定される未来が分かっていて? ……目の前にあるその幸運を! どうしても今すぐ欲しかったんだよっ! 逃すことなんて……どうしてできる?」

「……ソキちゃんなら、できるの? 予知魔術師なら……?」

 絶望の中に、切望がある。逃れられない苦しさを、その呪いを、リトリアはうっすらと感じ取る。気圧されて誰もが声を発せない静寂の中で、リトリアはそっと、透明な響きで問いを響かせた。ふ、と言葉魔術師は柔らかく笑う。笑う、笑う。もう、そうすることしかできないように。

「できるよ。彼女は実際、もう、そうしてみせただろう……? 道なき所へ道を作り、転移してみせた」

 それが今回の『扉』の移動でないことを察して、リトリアは息を飲んだ。そう、ソキはその前にも一度、同じことをしている。世界をつらぬく力で、願いで、ロゼアの所へ帰って来た。あれは予行演習だったのだ、とリトリアは悟る。そして確かに、シークの望みは叶えられるのだという、証明であったのだ。世界を貫いてでも、この欠片の均衡を突き崩してでも、なお、望むなら。

 ソキは確かに、それを叶えられる。この世界のなにもかもと引き換えに。シークは望みを叶えるだろう。

「……駄目よ。いくらなんでも、そんなことは許されない」

 短い思考で、どれ程の犠牲があるか錬金術師は計算したのだろう。強張った顔で首を横に振られて、シークは穏やかに笑みを深めてみせた。ほら、と言葉魔術師は優しくさえ響く声で言う。キミたちはそうやって、否定しかしないだろう。

「どうして言ってくれなかったんだ、とか? 相談してくれれば、とか? よく言うよね。どの口が。誰になにを言っても、結論は同じさ。ボクの願いは叶わない。ボクの祈りは否定され続ける。諦めて欲しい。諦めるべきだ。帰せないことを申し訳なく思う? この世界で、生きて……死んでくれ? は、はは……あはははは! 言うのは簡単だよね! 諦めろってさ! どうしてボクだけが諦めなくてはいけない! どうして! こんな願いひとつさえ叶えることが出来ない!」

「……願いが叶わないのなんて、祈りが報われないのなんて。お前だけじゃない」

 苦しげな顔で、それでも胸を張って。レディが、火の魔法使いが、片腕を前に掲げてみせた。突風さえ発生させる勢いで火が舞い踊り、そこにはうつくしい鳥が顕現する。魔法使いはその鳥を愛おしそうにも、憎らしげにも見える表情で、目を細めて眺めて。誰にでもあることよ、と魔法使いは言った。

「その望みを叶える為の努力は、なにひとつ報われることがないかも知れない。誰でも知っているでしょう、そんなことは! なりふり構わず、手段を選ばず邁進することは、時に称賛されるかも知れない! でもだからって、誰かを、なにかを傷つける免罪符には絶対にならない! しちゃいけないの! だからっ……だから、私はアンタを許さない。ここで捕らえる!」

「……いいよ、やればいい。機会はまた、いくらでもある。何度でも作るさ……」

 キミたちにはボクを殺すことができない。そうだろう、と笑うシークの目はロゼアに向けられていた。言葉魔術師の命を断てば、男はその望みを保ったままでロゼアの体を乗っ取るだろう。そうすれば今度こそ、ソキを止めることはできなくなる。例えその命の何割かと引き換え、この世界を残り何割かにしてでも。ソキはシークの望みを叶えてしまうだろう。

 シークは追い詰められて、諦めて、動かないでいたのではない。もう、シークは待てばいいだけなのだ。次の機会を。確実に己の願いを叶えられるであろう、その、次を。

「……あ?」

 ぽつ、と声を零したのはラティだった。砂漠の国の占星術師。女は己のなにかを疑うような瞬きを何度かした後、胸を強く手で押さえて深呼吸をする。

「……ソキちゃん」

「にゃっ? な、なん、です?」

「ちょっと、あの……私ならできるって、言ってくれない……?」

 できれば、予知魔術で。胸の高鳴りを抑えるようなうわずった声に、ソキはぱちくり瞬きをする。場に立つどの魔術師からも訝しげな視線を向けられて、ラティは誰とも目を合わせず、何度か首を横に振った。迷いを。振り払うような仕草だった。

「分からない。できるかも知れないし、できないかも……でも、だから、予知魔術で確定させて、後押しして欲しいの」

 ソキは不安げな顔できょときょとあたりを見回した。大丈夫殺したりはしないから、と告げられるのに、妖精がやってあげなさい、と声をかける。うん、とくちびるを尖らせて、ソキは頷いた。

「……ラティさんなら、できるです。『絶対に、できるですよ……!』」

「ありがとう。……エノーラ、レディ、下がって。筆頭、私がやります。いいですね?」

「……ああ」

 訝しげにしながらも許可を出したジェイドに頷いて、ラティは一歩を踏み出した。シークはうっすらと笑ったままでいる。物理的な攻撃をすることができないラティなど、ものの数にも入っていないのだろう。ラティが魔術を使えるのは、一種類。ほぼ一回きり。けれど、それで十分だった。ラティは胸を張ってシークを指さし、ただ、ただ祈りながら魔術を起動させた。

「喜べ、シーク! お前の願いは今、叶う。私が叶える……!」

「……ラティ?」

「強い願い、深い祈り、それによって導かれる意思を、ひとは夢とも呼ぶでしょう! 夢を……夢をみなさい、シーク! 『醒めない夢、永遠のゆりかご。永久の眠りの中で夢が叶う! 私はあなたに夢を贈る! あなたが切望した願いを、夢を! いま!』」

 何者も逃れられない。ラティの魔術は、そういう特質を持っていた。相手が誰であっても、どんな状況であっても。例え、世界からの祝福と守護を持った王であっても、その魔術は染み込み眠らせることができるのだ。だからこそ、ラティは砂漠へ招かれた。眠れぬ王に夢を贈る為に。だからこそ、ラティは、たった一つの魔術を世界から受け渡された。

 は、と息を零してシークの体がぐらりと傾ぐ。言葉魔術師の瞳が歯を食いしばるラティを見つめて、甘い、だとか、優しい、だとか、そんな皮肉を響かせかけて。途絶える。廊下へ倒れ込んだシークを、ぜいぜい、と肩を大きく上下させながら、ラティは睨みつけた。眠っている。永遠の夢を見ながら。その命の終わりまで、もう、目を覚ますことはなく。

 これで、もう、大丈夫。さあ、あとは、と告げようとして。そう、息を吸い込みかけて。ラティもまた、立っていられずに、その場で意識を失った。目覚めぬ眠りは、本来の魔術ではない。けれどもそれを成さねばいけなかった。それ故に。限界を超えた魔術師の、器にひびが入る音を聞きながら。ラティもまた意識を途絶えさせたのだ。

 それが。騒ぎの、終焉。幕引きだった。


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