希望が鎖す、夜の別称:15




 レロクは眠っていたようだった。ソキが目を輝かせて見つめるのに笑いながら、するりと進み出たラギがてきぱきと外観を整えていく。乱れた髪を手で梳かれて気持ちよさそうに目を細め、身を委ねているレロクに、ソキはどきどきしながら赤い顔に手を押し当てた。なんだか色気がある気がする。これはもしや、もしやまさか、いっせんをこえたりなどしたのではないだろうか。

 ふんにゃにゃにゃっ、と鼻息荒く、ぜひともついきゅーしなくてはですっ、と考えるソキの内心は、全て声に出ているので機密性がまるでない。ラギが爆笑を堪えながらレロクを整え終わり、傍らに立ち直しながら囁いた。

「……と、仰っていますが。どうされてもいいですよ、レロク」

「なにかあったような言い方をするんじゃない……なにもしないくせに。……ああ、ほら、ソキ! 何回言わせる。立ってないで座らないか。メグミカもなにをしているのだ」

「早く傍に来て座って欲しい、とのことです。メグミカ、良いですよ。当主のお傍まで寄ることを許します。……さ、ソキさま」

 ソキはこくりと頷いて、とてちててっ、と心持ち早足にレロクの座るソファまで歩み寄ると、もぞもぞもちっとした仕草で、その隣に腰かけてやった。なんといっても、レロクがソキに会いたいをした上に、どきどきでときめきの予感がするのである。これくらいのさーびすは必要なのである。さーびすせいしん旺盛なソキなのである。

 ソキが近くで嬉しいでしょうーっ、とふんぞりかえるソキに、レロクは特になにも言わず。それでいて座り直しや移動を要求することもなく、ぱち、と口元に手をあてて、少しだけ視線を反らしていた。口元が緩むのを隠しているようだった。その仕草を気にせず、なんだかうるうるつやつやしているレロクをじぃーっと観察して。赤らんだ頬に両手を押しあて、『花嫁』は、そきにはもうわかっちゃったです、と迷推理を披露する。

「これは、おにいさま、恋の予感……! きっと、ときめきときゃあんの日々を過ごしているに違いないです……! ソキがお相手をあててあげるです。えーっとぉ、ラギさん? ラギさんでしょう。おおあたりでしょう。えへへん。……ふ、ふたりはぁ、もう、どこまでいったんてす? ちゅ、ちゅうはしたの? ソキに、ソキにこっそり、ないしょのおはなしを、して……!」

「俺はいまラギのやつなにもしてこないと言わなかったか、ソキ」

「もちろん、ソキはぁ、わかってるです! ないしょなんでしょう?」

 ふっふーん、とこの上ない自慢顔をしてわかってるんでぇ、と言うソキに手を伸ばして、レロクはそのもちもちの頬を指で幾度か突いてやった。やん。やんや、やん、や、やぁんっ、と突かれるたびに殊更嫌そうな声を出すソキを軽く睨みながら、レロクはお前こそ、と溜息をつく。

「ロゼアとはどうなっている。なんぞ不埒な真似をされていな……していないだろうな?」

「……そうなんです……がっかりですぅ……。ソキのめろめろりょくが足りていないです……」

『ねぇアンタたちなんなの? 恋の話する為に顔合わせたの? 違うでしょ?』

 あらあらまあまあ、と見守る『お屋敷』関係者と妖精の意見には食い違いがあるのである。頭痛を堪えてたしなめれば、ソキはぺちちっ、とソファを叩いてまで主張した。

「いいですか? リボンちゃん。これは、きんきゅー、あんけん、というやつです」

『優先順位に物申したい。違うでしょう……!』

「ちがうくないもん。魔術師さんのお仕事はぁ、いまは、あんまり、きんゅーせいがないの。陛下が、ソキに、でも早く元気になって、明日にでも、とか、すぐに、とか言わないのがその証拠なの。だから、明日まで、魔術師さんのソキはおやすみなの。だから、これは、ソキのきんきゅうあんけん、なの。分かったぁ?」

 ホントに分かってる所は分かってるんだけど、どうしてこうなのかしら、と妖精は溜息をついた。ソキにもたらされた数少ない情報から、よくぞそこを読み取ったと感心さえするが。なんというか、情報の使い方の方向性が、褒めたくない。どうしてそっちにいくの、と思う。

 これはやはり、根本的な教育から正していかなければならないだろう。具体的にはロゼアから、と決意する妖精に気がつかず、ソキはレロクに対していっしょうけんめいに訴えた。『学園』で成した、ロゼアにたいしての頑張り。すなわち、数々のめろめろ大作戦を。

 ひとつ、ふたつ、みっつまでは耐えて、よっつめで吹き出して腹を抱えて蹲ったラギは、そのままずっと声を出さずに笑っている。メグミカはふぅん、と呟いたきり口を閉ざしていて、とりあえず、微笑みらしきものは浮かべていた。ジェイドはひたすら、かわいいなぁかわいいなぁ、という意志がだだ漏れた眼差しでソキを見つめている。身振り手振りでふんとうを物語る、その内容はどうでもいいらしい。

 かわいいかわいい、あぁほんとかわいいなぁ、と蕩ける眼差しで微笑んでいるジェイドに、ちら、と視線を向けて。それについてはなにも言わず、レロクはソキによく似た仕草で、すこしあどけなく、こくりと頷いた。レロクもどちらかといえばジェイド寄りで、内容はほぼ聞き流して、妹が近くに座ってあのねあのねときらきらした目で機嫌よく話しかけてくることに集中していた。

「まぁ……それなら、いいのではないか。引き続きその方向で」

「ほんと? ほんと? ロゼアちゃんソキにぐらっとなって、きゅんっとして、思わず恋に落ちちゃったりぃ、するです? ……きゃああぁん! ロゼアちゃん、ソキにめろめろになるぅー!」

「なるなる。だから、引き続きその方向性で行くのだぞ、ソキ」

 分かったですぅ、と鼻息荒く頷くソキはいまひとつ理解していないが、レロクの返答にはあからさまに邪魔したがる意志があった。ちっとも成果の出ていないめろめろ計画を推進するのがその証拠である。もしくは、先を越されるのが嫌なだけなのかも知れなかった。たくさん話して機嫌よく丸め込まれたソキは、それにしてもぉ、とそわそわしながらレロクにちらっと目を向ける。

「お兄さま、ほんとーに、なにもなかったです? だってぇ、うるうるの、つやつやの、びじんさんです……! ひみつなの? ないしょの、ひめごと、なのっ? きゃっ、きゃああぁあん……! ソキ、ひみつできるぅ! ねえね、おしえて? おしえてくださいですうううぅ……!」

「残念ながら、ラギのやつ、ほんとー、に! なにもしないのだ……っち、この不能!」

「レロク。誹謗中傷を口にしない。ソキさまが覚えたらどうするつもりですか」

 ロゼアが怒鳴り込んできますよ、と苦笑するラギに、メグミカが私は今だって叱れるんですよと微笑んだ。ふたりを、はんっ、と鼻で笑い飛ばす極めて反抗的な態度で、レロクはお兄さまったらいけないですふのうってなぁに、ときょとんとするソキに、そっと顔を寄せて囁いた。ないしょだ、と言葉を落とす。

 ふえ、と目をぱちぱちさせるソキに、レロクはとろりとした笑みを浮かべてくちびるに指を押し当てる。

「いいことはあった。だが、ないしょだ、と言ったのだ」

「え……えぇええ! ええぇえ! ずるいずるいですうう! めろめろ大作戦の参考にするのに、教えてくれなくっちゃいけないです」

「お前とて、秘めておきたいロゼアとのやりとりの、ひとつやふたつ、あるだろうが。それと一緒だ。言うつもりはない」

 すっと身を離し。つーん、とした態度で顔を背けてみせたレロクに、ソキはぷぷりと頬を膨らませてみせた。基本的に、ソキにはそんなものはないのである。ロゼアとのやりとりで素敵なものはめいっぱい自慢したいし、ときめいたことはきゃあきゃあはしゃいでおしゃべりしたいし、素敵なことは日記にだって書いてしまうのである。

 なんにもしないのは、ロゼアが秘密にしておこうな、と重々言い含めたことくらいである。時々なぜか情報漏洩で、秘密の約束がばれていることも多いが、それはきっとたぶんソキのせいではないのである。ついうっかり口を滑らせてしまったなどということは、ない、ことにしてあるので、ないのである。

 つまりお兄さまったらいけないです、というようなことを長々と文句を言って主張したソキに、レロクは勝ち誇った笑みで、ふふん、と胸を張ってみせた。ふんぞりかえるソキと、よく似た仕草だった。

「つまり、お前はまだ、告白もなにも受けたことがない、ということだ」

「む、むむむむぅ……!」

 秘密も内緒も言わないもなにも、まあ内容の推測は出来ずともなにがあったのかくらいは分かりますよね、さすがレロクさま、ソキさまによく似て大変うかつでいらっしゃる、と呆れと微笑ましさの混ざった笑みを浮かべて、メグミカはすいと当主側近に視線を移した。腹を抱えて笑っていた筈のラギはいつの間にやら立ち上がり、すました顔で、なにか、と言わんばかり視線を受け止め微笑んでいる。

 悔しさでぷるぷるしているソキが、これは、これは『ロゼアちゃんに告白してもらうです大作戦』の計画をねらないといけないかもですっ、と握りこぶしで気合を入れているのを眺めながら。メグミカはそっと、響かない声でラギに問いかけた。

「……したんですか? 告白」

「レロクが言わないことを、私の口から聞けるとでも?」

「思いません、けど……ラギさん、どうされるつもりなのかしら、とは時々噂になっているもので」

 どう、というのは、とくすくす肩を震わせながらラギが問う。メグミカは知っているくせに、と息を吐き、御当主さまの奥方さまのことを、と正直に告げた。当主が交代して、一年とすこし。『お屋敷』は動乱から完全に落ち着いたとは言い難いが、それでも、そろそろ、そんなことに目が向くようにはなって来ているのである。当主が解決していく問題の中でも、一番の難関が、それである。

 砂漠の陛下より先に落ち着く訳にもいかないだろう、というのが、尤もらしく響くレロクの言い分だった。それが遠回しの、ぜったいやだ、と同意であることを、近しい者は皆知っている。知っているが、当主として、そこを飲み込んでもらう他、ないのだ。けれどもそれには、当主側近の、『傍付き』の、粘り強い説得がなにより不可欠だ。

 それなのに、と叱るようなメグミカの目に、ラギはくすくす、と肩を震わせて笑って。まあ、なんとかなりますよ、と微笑みながら言い放った。

「いざとなれば、ソキさまとロゼアの御子をこちらで引き取ればいいと思いますし」

「ラギさんそれ全然なんとかならない話ですけど、そんなことになったら! ぜひ! 私を! 世話役に!」

「もちろんです、メグミカ」

 がっ、と力強く握手をしあうふたりに、ジェイドが微妙そうな視線を向けている。まあ、いつの代でも、そこは一度はもめる所だ。息を吐いたジェイドは、幸か不幸か全く周囲の話を聞かずにきゃっきゃ盛り上がるソキとレロクを眺め、やわりと目を細めて息を吐く。あのふたりが、どちらも、幸せになれればいいと思う。ジェイドと同じように。違っていても構わないから。花の願いが叶えばいいと思う。うつくしく、幸福に、咲き誇って欲しいと願う。

 ひとしきり話して、考えて、告白してもらう大作戦の計画が落ち着いたのだろう。ソキはぱちんと手を打ち鳴らし、あっそういえばあのね、ソキのおはなしするですから、聞いて、とレロクにこしょこしょと報告しだす。ようやく、魔術師として、『花嫁』として成した報告へ辿りついたのを聞いて、ジェイドは胸を撫でおろす。

 なにも誘導せずとも、ソキがひとりでそこに戻れたことは、脱線して遠回りしてかなり忘れ去られていた末のことであろうとも、進歩である。あのね、あのね、と話し出すソキの声は甘く、やわらかく。終わりまで一度も、咳に軋んでしまうことも、なかった。

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