あなたが赤い糸:101



 執務室に近寄る者はなく。どうしますか、と問う側近の女の声がやけに大きく響いていく。問いの意味が分からずに、リディオは口元だけの笑みでゆる、と首を傾げてみせた。

「どう、というのは? ……どう断るか? どう、受け入れるか?」

「……どちらでも、お好きなように」

 あなたの意思に従いますと告げられて、リディオは言葉を返さずに息を吐き出し、王から届いた書状を机に放り投げてみせた。そこには、ジェイドが指定した十五人の名が書き連ねられている。リディオの名も、側近の女の名も記されていたが、それは恐らく本命ではないだろう。花舞担当の『外部勤務者』の名が二名。ウィッシュの担当だった『傍付き』と補佐と世話役たちで、十一名。

 この十三名の特定の為に忍び込まれたのだと、リディオは深く息を吐き出した。『お屋敷』に取っては不幸なことに、外勤二名は報告の為に戻ってきており、十一名も配置換えこそしているものの、未だこの場所で働き続けている。その誰もが、くらい瞳をしていることを知っていた。彼らの『花婿』が行方知らずになったと、報が届いてしまったからだ。

 ウィッシュを迎えに行った案内妖精は、その場で即座に王宮魔術師へ連絡したのだという。即時の救出、緊急を要するとして。花舞の王宮魔術師たちはすぐ現場に急行し、ウィッシュを保護して城へと連れ去った。その体には傷ひとつなく。その心は壊れる寸前であったのだという。言葉を交わすことさえたどたどしく。ひとがいる、と呟いては、ほろほろと泣いた。

 戻りたくない、これ以上関わりたくない、というウィッシュの意思は最大限尊重された。元より、魔術師として目覚めてしまえば、その身柄は五国のもの、王のものとなる。これより彼は国のもの、王のものである、と花舞の王から通達が下された。それを婚家が不服とし、『花婿』が魔術師に連れ去られた、と主張した。行方不明であると。

 馬鹿なことを、とリディオはその訴えを退けた。何処へ行ったかは明白なこと。『花婿』は魔術師になったのだ。リディオが待ち望んだ日が、ついに訪れた。それだけのことだった。厚顔にも、連れ去られたのだからと『代わり』を要求する婚家の訴え全てを退けて、リディオはウィッシュの担当だった外勤の二人を呼び寄せ、その働きを心から労った。

 二人には、リディオの希望を話してあった。どんな扱いをされるのか、大まかな予想はついていたから、どうか耐えて欲しいと繰り返し懇願した。生きてくれれば。生きてさえいてくれれば。触れられることがなければ、手折られることがなければ。いつか。必ず。その先に。その先がようやく来たのだと。耐えてくれてありがとう、と感謝した。

 そのことを、知って。ウィッシュの『傍付き』は、補佐は、世話役たちは、目の色を変えた。婚家の騒ぎは無視できない程のもので、市井に流れる噂としても『お屋敷』まで届いていたから、情報を伏せてしまうことはできなかった。どれ程の悲しみの中に。『花婿』を送り込んでしまったのか。そうなると知っていたのに。そのことを知っていたのに。何故。感謝など。

 行方不明になったのなら探しに行く、と『傍付き』の女は泣きながら言った。何故そのような者たちが今も生きているのか、と補佐の男はリディオを睨みつけた。魔術師として無事に送り出す為だった、と告げても言葉は届かず、誤魔化しだ、と断じられた。半狂乱の者たちは誰もが『お屋敷』から出たがったが、リディオはあらゆる手段を講じてそれを閉ざした。許さなかった。

 今、どこかへ行かれたら、なんの為にこれまで彼らを留めていたのか分からなくなる。ウィッシュは魔術師になった。だから必ず、また、会える。だからそれまで、信じて待っていて欲しい、と繰り返し告げても。リディオの言葉を、信じる、ということの意味すら唾棄するように。彼らはなにも信じなかった。ただ、あらゆる情報を欲しがった。

 ジェイドが怒り狂っている、という報が届いたのはその頃のことである。あれよあれよという間に侵入され、引き渡し要求が届き、『お屋敷』は混乱を収める暇がない。深く、息を吐き出して。リディオは投げた書状を、嫌がるように指先で突っついた。

「……言い訳は、しない。しないが……まず、せめて、どちらか話を聞いて欲しい……」

 話し合いとかそういうのいいんで死ね殺す、というのが国側もといジェイドからの要求。話とかもう信じられるものではないので口を開かないでください自由にさせろ、というのが『傍付き』以下世話役たちの要求である。外勤担当であった二人が世話役たちと話をしようとしてくれてはいるものの、彼らはそもそも、直接的な怒りの対象である。

 よくも、という怒りは正当なもので、彼らもそれはよくよく分かっているからこそ、話し合いができる筈もなかった。幾度目かの息を吐き出して、リディオはゆっくりと瞬きをした。

「でも……ああ、そうか……」

 指先で、書き連ねられた己の名を、なぞる。

「……もう、生きていることを望まれてない、んだな……。ジェイドにも」

 側近の女がなにを告げるより早く。は、と吐息が零れる。穏やかに、満ち足りたように。ようやく、それを許された幸福に、リディオは口元を綻ばせていた。そこにあるのは確かに幸福だった。それを、ずっと望み続けていたことを。側近の女は知っていた。

「もう、いいんだ……? 死んで、いいって、言ってくれたんだ……。生きてなくて、いいって……殺してくれるって」

 よかった、と静かに囁いて、リディオは両手で顔を覆った。薄暗がりの向こうで、今も、その姿を思い描ける。うっとりと目を開いて、リディオはほんとうに久しぶりに、側近の女の名を呼んだ。

「フォリオ」

「……はい」

「一緒に死んで。キラが待ってる。……褒めてくれるかな。頑張ったんだ。頑張って、頑張って……ちゃんと、当主を、したよ、偉い? フォリオ、キラは……俺を許してくれるかな……?」

 もちろんです、とフォリオは言った。不安げな『花婿』に歩み寄って、ためらいなく手を伸ばす。腕いっぱいに抱きしめれば、その強さに、リディオが幸せそうに笑いを零す。

「フォリオ……ねえ、フォリオ。フィリ。いい? もう、いい? もういい……?」

「……連れて、逃げろと、望んではくださいませんか」

「それより。そんなことより……」

 どうか、と身命を捧げた『花婿』が『傍付き』に望む。

「今も、俺を、大事だって思ってくれてるなら……『花婿』だった時みたいに、好きでいてくれるなら……」

「リディオ」

「好きと、言って、欲しい……」

 愛しています、と『傍付き』は言った。あの日からなにも変わらず、ただ、あなたのことを愛しています、と。告げたくちびるに、泣き出しそうに笑った『花婿』が触れる。俺のすることを怒らないで、と囁きながら。

「……キラと、フィリ、の……に、なりたい……」

 震える手で、『傍付き』の頬を撫でた。

「しあわせになりたい……」

 ごめんなさい、と泣きながら繰り返すくちびるが、口付けで塞がれる。最後ならいいのに、と『花婿』は思った。瞬きも、呼吸も。これが最後ならいいのに。これが最後になればいいのに。ほんとうにそう望んでいるのに。無意識に吸い込む呼吸の先で、『傍付き』の名を恋しがって呼ぶ。零れ落ちていく。言葉も、想いも。

 けれどもそれを拾い上げるように。『傍付き』が柔らかな声で、リディオの名を呼ぶので。息をした。生きる為の、息をした。もうすぐ傍に許された、死がやってくるその時まで。生きていたい、とはじめて思って、息をした。




 『お屋敷』から届いた書状を見た王が、あー、と呻いて頭を抱え、動かなくなったので、シークはあえてその内容を問いかけてやった。満面の笑みで。

「陛下? 『お屋敷』の方々はどのような? ジェイドが落ち着きそうな返事が?」

「……分からん……。もうやだ……」

 先代はあんな魔窟とどうやって付き合ってたんだとぼやく声が真剣な苦悩に満ちている。新王、と即位の間呼ばれ続けた男が、王位を退いて早数年。退位するなりさっさと引退してしまった男の顔を思い浮かべ、シークは苦笑気味に言ってやった。

「即位の前から御当主さまと仲良しだったんですよ。密約だのなんだのしていたようですが……引き継がれたのでしょう?」

「……それについては、俺が即位するまでに必要なことだった、として殆ど破棄されて行かれた」

 だから内容も聞いてないし、あの方は丁寧に燃やして行ったから残ってもいない、と彼方を見つめる目で呟かれて、シークはなまぬるい微笑みと共に頷いた。そういう資料は出来る限り残しておくのが原則であり、前王がそれを知らぬ筈はないのだが。あの方そういう所ありましたよね、と笑うしかない気持ちで囁けば、現国王は呻きながらも幾度も頷き、のろのろとした動きで頭を抱えなおした。

「やだ……嫌になって来た……なんで俺の周りは一癖も二癖もありすぎて複雑骨折しているようなのしかいないんだ……」

「まぁたそんな可愛くないこと言って。……昔から別に可愛かった訳ではありませんけれどね?」

「お前ほんと昔から俺のこと可愛がらないよな……。……違う。そうじゃない。可愛がれって言うことじゃない! 撫でるなっ!」

 心底仕方がなさそうに頭をわしわしかき混ぜてくる手を振り払い、砂漠の王は胃のあたりを手で押さえて蹲った。しばらく待っても動かないので回復するまで待つことにしながら、シークは投げ出されている書状を摘み上げ、勝手に目を通しながらあくびをした。

「ウィッシュとの面会を希望する、ねぇ……年末年始の長期休暇なら可能ですって返事と手配をしましょうか?」

「おまえなにかってにみてんだぶちころすぞ」

「陛下の言葉遣いが乱れたの、ほんと誰の影響なんでしょうねぇ……。ボクでもジェイドでも、そう乱れる筈はないんですけど……。最近眠れてます? 久しぶりに添い寝と子守歌でもやってあげましょうか? 一時それで眠れたでしょう」

 楽しんでいるというよりは心配の濃い魔術師からの申し出にも、砂漠の王は胃の痛そうな呻き声で、おまえなにひとのくろれきしおもいだしてんだころすぞ、と言っただけだった。これがもしや反抗期なのでは、という顔で沈黙するシークに特大の舌打ちを響かせ、深呼吸をして、持ち直した砂漠の王が顔をあげる。

「とりあえず、飲めそうな要求から飲んでくしかないな……。ウィッシュの件、手配をしておけ」

「かしこまりました。ジェイドにはなんと?」

「……会わせてやるから大人しくしておけ。あと反省しろ、と」

 言いますけど、とシークは仕方がなさそうに肩を竦めて囁いた。

「別に彼は、息子に会いたいって要求している訳ではないんですよ、陛下」

 会いたくない、と拒否している訳ではないだけで。会おう、とはしていないのだった。会ったら気持ちが宥められるかも知れないだろ、と告げる砂漠の王に、苦笑して。言葉魔術師は一礼し、拝命致しました、と告げる。父母にどういう仕打ちをされたか、記憶を失っている訳でもあるまいに。その繋がりと情を信じる主君を、魔術師は尊く、思っている。


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