あなたが赤い糸:84



 出て来たばかりの城を振り仰いで、ジェイドは憂鬱な息を吐き出した。王に会うことができなかったからである。休暇を終え、城へ向かったジェイドは予定表を提出がてら、真っ先に代行の元へ向かって『お屋敷』からの仕事について問いかけた。リディオはとうとう確定的なことを口にしないままだったが、それ程に重要視される決定には心当たりがある。

 宝石育成における、注文書である。『花嫁』『花婿』は、なにも無秩序に育てられる訳ではない。そこには王の意思が強く反映されている。王に渡される書状には、その宝石の情報が事細かに記されている。髪の色瞳の色肌の色からはじまり、身長体重視力など基本的なこと、声の高低や質、現れ始めている性格、外見から受ける印象など。

 時には一人分が数枚の紙を綴らねばならぬほど。偏執的なまでに詳細な情報と、『お屋敷』の過去の情報から、どういった傾向に整えられた者が多かったのか、を王へと渡すのだ。そして、戻ってくるのが注文書。育成におけるオーダーである。それはその幼い宝石が、どのような形に研磨されるかを決定づける。

 あいらしい、見れば誰もが思わず微笑んでしまうような幼子は、素直によく笑うように、ちょっと照れくさくはにかみながらも甘えてくるように。はっと息を飲むほどうつくしい幼子は、人の目をまっすぐ射るように覗き込み、はきと言葉を響かせ告げるように。重要視されるのは外見の印象と声の質。そうして『花嫁』『花婿』はつくられていく。

 それが中々戻ってこないのだとすれば、こんなに『お屋敷』の運営を妨げることもない。人は日々成長していく。特に幼子のそれが目を見張る程に早いというのは、ウィッシュで実感する所だった。弱く脆い宝石たちの成長速度は、一般の赤子に比べて半年や一年、遅いとも聞く所ではあるのだが。それでも、日々体が大きくなっていく。

 首がしっかり座って、瞳が無垢な輝きで、好奇心いっぱいに世界を映していく。養育部は憔悴するばかりだろう。勝手な真似をできないのだ。宝石たちの将来を決定づけるのがオーダーなのである。一から百まで全てを決められる訳ではないにせよ、それがなくては船出することができないのだ。当主の心痛も、察してしかるべきものがあった。

 確定的な言葉で告げられなかったのもその為だろう。『傍付き』であれば誰もが、そのオーダーの存在を知っている。それが王の下す命令であることも。はぁ、ともう一度溜息をついて、ジェイドは弱く頭を振った。それが言葉にされなかったからこそ、あくまで疑惑という形でしか代行には伝えられなかったのだが。代行も察してはいるらしい。

 足繁く王の下に通ってはせっついているのだが、最近は、三回行って一回、扉越しに声が返ってくれば良い方なのだという。後にしろ、と。どんなに言葉を尽くして重要であることを説明し、懇願しても、分かった、とおざなりな声が煩わしげに響いて行く。そのたび、どうか、と代行は懇願される。あなたが王となってください。この国の。砂漠の。

 それに。代行は首を縦に振らないまま、時間が降り積もっていく。欠片の世界、五ヵ国の王は血の繋がりによってのみ継承されていくものではない。代替わりは儀式的な承認があってこそ成るものなのだという。世界が、国が、その存在を王だと承認する。それを経てようやく、王は国を背負うのだ。呪いのように。祈りのように。

 一挙一動が国の安寧と直結しているのは、その為だった。王の心が離れれば国が乱れるのは、その呪いじみた承認に由来する。代行にはその資格がないのだという。本人がいつかの深夜、誰もが寝静まった夜にぽつりと言葉を響かせた。それが戯れか真実であるのかを、確かめる術もなく。死によって彩られた産まれであるから、それを持たないのだ、と。

 だから、待っている。王がどうか御子に、その承認を譲る日を、今はただ待っている。それでも待つだけでは、もう滅んでしまうから。できる限りのことを、できる限り、すべて、なにもかも。死の影はまことの献身と忠義によってのみ払拭される。そんなものが欲しくて尽くしているのでは、ないのだけれど。ああ、と青年は吐息を零して微笑んだ。

 一番最初の望みがなんだったのかは、もう思い出せず。けれどもその願いの残滓だけが胸にこびりついている。その強く鮮やかな感情が、今も脚を急き立て前へ前へと走らせていく。だからあの方が王であることを望み続け、こんなにも国に尽くすのですか、とあえて問いかけたジェイドに。代行はただ、首を横に振った。はい、と。いいえ、と口に出し。

 この国がとても大切で、好きだからですよ。今言ってしまったことは内緒にしてくださいね、と微笑まれて。ジェイドの胸にしまわれている。思い出して、ジェイドは身を翻し、ゆっくりと馬車の発着場へ歩き出した。まことの献身と、忠義とはなんだろう。それは代行が心をすり減らして行うことで、人々の願いの先にあるものなのだろうか。

 望み。欲望がそこにあるのだとして。それを原動力とする力は、果たしてまことの献身と呼べるものなのだろうか。そこを間違えてしまったのかも知れない、と代行は言った。今はもうせんなきこと。この国と人々が大切だという意思だけが、私のまこと。私の本物。さあ、と代行はいつかのように、王の面会を望むジェイドの背を押して言った。

 あなたが戻ってきたら会ってくださるように、必ず説得してみせます。だから、あなたはあなたの責を果たしてきてください。その戻ってきたら、が、次の時であると約束しないまま。上手に先延ばししてみせた代行に、もう、こころを告げることはできなかった。このひとが王であればいいのに。言葉を飲み込んで、ジェイドは歩いていく。

 馬車の発着場には、魔術師しかいなかった。誰もが手に使い慣れた地図を持ち、長距離の移動に耐えられる格好をして、あれこれと雑談を響かせている。他のオアシスへ向かう人の姿は、ひとつもなく。この国のゆがみをひとつ、目の前に突き付けられる気持ちになる。馬や、駱駝に引かれて車が発着場へ滑り込んでくると、空気が変わる。

 いってきます、と誰もが笑顔でそう言った。誰かに告げるのではなく。それでいて、場にいるすべてに宣言するように。いってきます、いってらっしゃい。いってくるね、うん、またどこかで会おうね。またこの場所へ戻ってこようね。それまで元気で、怪我なくいようね。いってらっしゃい、いってきます。それじゃあ、またね。頑張ろうね。

 ふわん、と眼前にましろいひかりが現れる。馬車に乗るのに立ち上がりながら、ジェイドは指先でましろいひかりを引き寄せた。不思議そうにじっとするひかりに、ジェイドは笑って囁いた。

「……一緒に行こう、シュニー」

 さあ、おいで。約束したろ。告げて歩き出すジェイドの手の中で、ましろいひかりはふるふると震えて。しあわせそうに指にすり寄り、甘く淡く、明滅した。




 月日が雨のように過ぎていく。季節が巡っていく。春、夏、秋、冬。また春になる。妖精たちが世界を飛び回り、新しい同胞を連れて五ヵ国を渡っていく。そして夏になる。強い日差しを布で遮って、ジェイドは砂漠の国を見て回った。ゆっくり、ゆっくり、人々の生活に笑顔が戻ってきていた。報告に、代行は口元を綻ばせてよかった、と言った。

「他の魔術師たちの報告も、近頃はだいぶ落ち着いています。病は変わらず多いですが……流行してから、収束までの時間が短くなった。医師も、薬も、なんとか足りています。……ようやく、落ち着いてきましたね。自分でもそう思いませんか? ジェイド」

「一時に比べれば……。陛下は?」

「門前払いがさすがに頭に来たので、今日はあなたを迎えたら強行突破でもしてやろうかと。また『お屋敷』からの仕事をひとつ……ひとつ、ふたつ……いえ、いくつか……停滞していると、昨日、催促のお願いをされましたから」

 頭が痛そうな代行をそっと気遣いながら、門前払い、と思わず憂鬱な声でジェイドは呟いた。つまり、ハレムに立ち入ることさえできなかった、ということだ。今日はなんで機嫌が悪いんでしょうね、とため息をつくジェイドに、おなかでもいたいんじゃないですか、とすさまじく適当な声で代行が息を吐く。

「まあ、こちらは任せて……。『お屋敷』に帰りなさい、ジェイド。おつかれさま。休暇の終わりは、いつもの通り。予定表を提出してから旅立つように……ゆっくりしているんですよ。ウィッシュくんは、いくつになったんでしたか」

「二歳半、くらいですね。……最近、帰ると、ぱぱ、って出迎えてくれるようになって……」

 ぱぱぁ、ぱぱぁっ、と満面の笑みでよちよち歩み寄り、脚にぎゅむうううっと抱きつかれておかえりなさい、と言われたのは前々回のことだった。前回はそれで、やだもう連れて行く一緒に仕事に行く、と抱き上げて出立しようとして、大事件を起こしたのが記憶に新しいのだろう。ああ、と呆れ交じりの目で、代行がため息をついた。

「可愛いのは分かりますが……誘拐しないでくださいね……」

「俺思うんですけど我が子を連れて行くのに誘拐とかおかしくないですか。だってぱぱ行っちゃうのって言うんですよ。おかしくないですか連れて行くでしょう普通常識的に考えて?」

「……誘拐しないでくださいね、ジェイド」

 笑顔で噛んで含めるように繰り返し、代行はそっと紙を引き寄せ『お屋敷』への手紙をつづった。前回の件でジェイドに反省と改善があまり感じられません。出発の日の一時間前にはウィッシュくんを誰かが抱き上げて、決してジェイドには抱かせておかないでください。走って逃亡とかしそうな気がするので。すごくするのでお願いします。

 はいこれを御当主へ渡すんですよ、と紙を差し出され、ジェイドは受け取りながらもむっとした顔をした。

「ちゃんと子育てしないとウィッシュに懐かれませんよとか言ってたくせに……親子一緒の時間は大事なんじゃないんですか……?」

「はいはいすみません私が言いました。でもね? ウィッシュくんが話し出しただけでここまででろんでろんの甘々になるとか誰も想像していなかったものでね?」

「一番最初に話した単語はパパでした」

 それは今聞いてない、という顔で代行が柔らかく微笑んだ。いいからもう帰りなさいね、きっと待ってますよ、と言われてジェイドは走り出す。おかえり、またウィッシュくんを連れて城にも顔を出してよ会いたい、行ってらっしゃい、また何日か後にね。いくつもの声に見送られて『お屋敷』に戻り、リディオに代行からの手紙を渡して。

 数日の休暇をウィッシュとめいっぱい堪能する筈だったジェイドが、呼び戻されたのは次の日の早朝。青醒めた顔で。息を切らして途切れ途切れに告げられた言葉を、理解できずに。ジェイドはシークに、もう一度、とそれを求めた。だから、とシークは繰り返す。あまりに現実味のないその言葉を。

「国王陛下は崩御された……。代行も、怪我を……」

「……は」

「……陛下、殺されたんだよ、ジェイド」

 どうしよう、とシークは言った。途方に暮れた声だった。

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