あなたが赤い糸:78



 じつは『花嫁』のひとりが妖精を目視しているようなんだけど、体調その他の調査をお願いしたい、と言い出したジェイドに、筆頭は胃がねじれている表情で分かったと呻き、そっと一枚の始末書を追加した。始末書も、一枚二枚ならともかく、十を超えてくるとなると反省文すら作業的なものになり、ちっとも心がこもらない。

 ひたすら、ほぼ無心で発生経緯、原因と理由、反省と謝罪に再発防止策を書き連ねながら、ジェイドは慣れ切った仕草で書類を分類し続ける、代行と呼び名を変えた青年を注視した。分類しているのだから王の下に運び込むのかと思いきや、仕分けされた山が増えていくばかりで、運び出す気配は見られないままだった。

 陛下はどうされているのかと部屋に出入りする者に訪ねても、苦笑ひとつ、さぁ、と曖昧な言葉が帰ってくるばかりだ。情報規制が掛かっているのかと思ったが、ジェイドの監視に同席していたシーク曰く、本当に知らないのだという。ここ最近、王の姿を城では確認していない。ハレム付近で姿を見た者ならあるのだという。

 つまり、とうとう一歩も出てこなくなったし、仕事にも熱心ではなくなった結果に彼が代行と呼ばれるに至ったんだよ、と補足されて、ジェイドはそろそろと青年に視線をやった。青年は、それでも王を王と仰ぎ、信じることを止められないでいる瞳で、ふ、と息を吐いて微笑してみせた。遠くを見る目をしていた。

 もういいから、魔術師たちを悪役にでもなんでもして戴冠しろって言ってるのに聞きやしない、と拗ねた口調でぼやくシークに、青年は素知らぬ笑みで聞こえないふりをして見せた。まあ、ジェイドが帰って来たのなら試しに運んでお説教してもらえば、まだなんとかなるかも知れませんし、と己でも楽観的だと思っているような声で青年が言う。

 それを、駄目だ、と否定したのは魔術師筆頭の男だった。あれこれともたらされる報告の確認に、魔術師たちの詰め所へ戻って来た男は、ジェイドが熱心さとは別の義務感のみで書き上げた始末書を摘み上げて息を吐く。不合格ではないが、合格とも言い難い。しかし、これ以上形式的なそれに時間を割く暇はなく、納得するしかない、という風に。

 ジェイドを返して頂きたい、と筆頭は青年に、はきとした声で求めた。これがしたことは、これが責任を取らなければならず。また、本人しかその修復を可能としないことであるので。王の手慰みにこれ以上貸し出す訳にはいかないのだ、と冷ややかな目で非難した男に、青年は文句を言わなかった。ただ、溜息の回数だけが重ねられた。

 数日、ジェイドは『お屋敷』に帰らずに城の部屋で眠った。戻って、出迎えるシュニーがもういないことを、殊更に突き付けられたくはなかったからだ。慣れない寝台でぼんやりと横になるジェイドの傍らに、ふわふわと白いひかりは寄り添い、頬にくっついてすり寄った。指先を触れさせて微笑みながら、ジェイドはゆっくり目を閉じる。

 それでも、『傍付き』の『花嫁』はもういないのだ。その空白が、心をがらんとしたものに変えていた。半身を喪ってしまった。共に、今もあることは、確かなのだけれど。喜ばしいと思うことも、本当なのだけれど。拭い去れない悲しみに、そっと瞼を下ろす。今はそれに向き合えない。息をして、明日も、生きていく為に。どうしても。

 ジェイドの罪を明らかにする多忙な日々は、それこそが確かな救いとなった。なにをしたのか。なにが起きたのか。どうなってしまったのか。冷静な意見を交えながら考えて行くことは楽しかったし、明らかになっていく道筋に、確かにそれがシュニーである、という確信が深まっていく。失ってしまったけれど。いなくなっては、いないのだと知る。

 ただ、己の行いが不安定な国を、とうとう突き崩してしまったのだと知って、ジェイドは深く反省した。魔術師たちの細かな調査により数値化された、砂漠国内にある魔力のゆがみが、どうしようもない歪みとなって表れていた。それはふりまかれた呪いによく似ている。歪みは、人を死に至らしめる程のものではない。幸いなことに。

 ただ、気分が悪くなる者が多くなるだろう。病気になる者や、怪我をする者が多くなるだろう。日照りが続くことが多くなり、また雨は豪雨となって降り注ぐ。作物の実りは悪く、清らかな水は湧く量をとぼしくさせ、また、濁って行くだろう。目に見えない希釈した毒が、国中へ霧散してしまった。

 その毒を、ひとつ、ひとつ、中和して。呪いを、ひとつ、ひとつ、祝福して消していくこと。対処する方法はそれしかなく、それが出来るのは、成した術者だけなのだと魔術師は結論付けた。それは数百、数千の糸の束から、たった一本を引き抜く行為に似ている。どれも同じ色をした、同じ形をした糸の中から、本来あってはならないひとつを見つけ出す。

 魔術師は魔力を視認できる。だからこそ、全く同じものだとしか思えない。その中に人を、国を苛む毒が紛れていたとしても、魔力とはそもそもがそういう質のものである。判別は不可能としか言えなかった。けれども、ジェイドなら。それが元は己の魔力であると気が付き、それが、かつて己の妻であったものの欠片であると、区別ができる。

 手元に残った意思あるものは、ほんのひとつ、一欠片。不安定で弱々しく、意思すらまだ乏しいもの。飛び去ってしまったもの、世界に溶け消えてしまったものを、ひとつ、ひとつ、集めて。ひとつに戻していけば、そのたび、妖精としての存在が深くなる。ちいさな姿を目にすることも叶うかも知れない。

 それはジェイドに齎された、贖罪の方法であり、かそけき希望ともなった。『花嫁』のことは任せておいて、行っておいで、と背を押され、ジェイドは城を旅立った。ひとつ、ひとつ、呪いを追いかけていく。国の端へ。あるいは、大きなオアシスへ。現れていく歪みを読み解いて祝福し、呪いを消して、魔力をひとつ回収して、また次へ。

 それは膨大で終わりの見えない作業だった。砂漠の国はどこもかしこもきしきしと悲鳴をあげて歪んでいたし、ひとつを修復しても、またすぐに別の個所が歪んでしまう。治した筈の所が、また歪んでしまう。本来ならば、王宮魔術師が総出であたり、日夜国中を飛び回ってすることだった。それを、ジェイドはたった一人で行わなければならない。

 そうせざるを得なくさせてしまったのも、ジェイドだった。自分の選択で、そうしてしまった。それでも、と疲れ果て、寝台に倒れ込みながらジェイドは目を閉じる。それでも、きっと何度でも同じ選択をしてしまうだろう。何度過去に戻れたとしても。これだけの結果になると、知っていたとしても。

 シュニー、と呼ぶと、ふわんとしたましろいひかりが眼前に現れる。すこしだけ、白い色が濃くなった気がするひかりは、ふわふわと空を漂って、ジェイドの指にからむようくっついてきた。ふ、と笑みが零れる。かつてシュニーであったものを追いかけて、国中をさ迷っていく。それはどこか、思い出を辿る旅に似ていた。

 ジェイドが城に戻ってこられたのは、半年も後のことだった。とりあえず城へ立ち寄るだけの目途がついたので、旅先から都度送っていたとはいえ、報告をしに立ち寄ったのだった。今の所、数値に大きな変化はないらしい。徐々に病人の数が増えており、医師の手が足りなくなってきている。

 ジェイドの努力はまだ、悪化をゆるやかにする程度のものだ。歯止めにはなっていない。それでも、底に落ち切ってはいない。魔術師たちは旅先までジェイドを追いかけ、できる限りのことをしては城へ戻り、かつてと同じように国中を飛び回っていた。血液のように、彼らは走り回る。それでも、できることがある、と信じて立ち止まりはしない。

 王に変わりはないのだという。代行の青年はあがってきた書類に忙しく名を書き入れながら、会いたいのであればハレムに足を運ぶしかない、と言った。どこか突き放した物言いだった。諦めたんですか、と問うジェイドに、青年は微笑んで、期待することを、とだけ返す。彼の方が王であることを諦めてはいないのだ、と案に告げた。

 すくなくとも、ジェイドの目のつく範囲で、そう思っているのはもう青年ひとりきりのようだった。魔術師たちは本来なら王に仰ぐべき指示を青年に委ね、その言葉を命令として動き回っている。城の者たちも、そのように動いていた。時折、用事があって砂漠を訪れる他国の使者や、五王たちだけが、彼の男のことを、王、と呼んだ。

 四日かけて半年分の報告を済ませ、足早に城を出て行こうとするジェイドに、青年は苦笑して帰ってからいきなさい、と声をかける。何処に帰れというのだろう。不思議に思って首を傾げるジェイドに、青年はやわらかな怒りすら感じさせる声で、ゆっくりと、『お屋敷』に帰っていきなさい、と命令した。

 帰りを待つ人が。あなたにはまだ、いる筈でしょう。告げられて、はじめて。いってらっしゃい、と言われた声を思い出す。いってらっしゃい、帰ってきてね。泣きそうな声で見送ったミードは、もしかしたら、このことを分かっていたのかも知れなかった。

 はっとして慌てて駆け戻った『お屋敷』で、ジェイドはみっちり、恨みがましげな当主のお説教を受け。世話役たちの、呆れ交じりのお説教と、おかえりなさい、と言葉を受け。笑顔のラーヴェに、終わったらちょっと、と呼び出しを約束させられながら、涙目のミードに延々、延々と、いけないひとっ、いけないひとっ、と怒られた後に。許されて。

 はい、とウィッシュを差し出されて。半年ぶりに、重たくなった体をその腕に抱き上げた。

「……ちゃんと帰っておいで、ジェイド」

 重たさに目を白黒させるジェイドに、笑いながらラーヴェが囁く。大きくなっていくのを、成長していくのを。生きていく姿を。傍にいられなくとも、ちゃんと見てあげようね。父親だろう、と窘められて、ジェイドは夢から目を覚ましたような気持ちで頷いた。

 ウィッシュの瞳が、どこか不思議そうに。ましろいひかりを見つめていたことには、ついぞ気が付かないままだった。

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