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あなたが赤い糸:41


 だからぁ、みぃはごとーしゅさまのおくさまー、をすることになったのっ、とえへんと自慢げに説明を締めくくられて、ジェイドはそうですかとも言えずに微笑んで沈黙した。ミードが事の重大さを理解しているとは思えないのだが、『花嫁』を膝に乗せてふわふわ緩んだ笑顔になっているラーヴェからも、なぜか深刻さを感じることができなかった。

 もうこれはこれでよくないですか、と死んだ目で問うジェイドに、ミードの世話役たちが必死になって首を振ってくる。お願いだから聞き出してください私のここ一月の心痛を哀れと思うならどうか、とラーヴェの補佐であるアーシェラから再度頼み込まれ、ジェイドは投げやりな気持ちになりながら、視線を前へ戻した。息を吐く。

 約二ヶ月ぶりに顔を見たラーヴェは、想像していたどの状態とも違っていて、なぜかとても機嫌がいい。幸せそうにふわふわ気配が緩んでいて、うんうんそうだなミードさま可愛いなお膝に乗せてぎゅっとするのかわいいよな俺もシュニーぎゅっとしたいよく分かる帰りたい、という気持ちにさせてくれる。帰りたい。すごく。今すぐ。

 しかしジェイドにそれは許されていない。なぜならシュニーを人質に取られているからである。ミードの隣に座り込んで、こしょこしょ耳元で内緒話をしあい、ないしょないしょときゃっきゃご機嫌に笑いあっている状態であっても、心理的に人質に取られていると思えばそれがすべてだった。どうしてこんなことになっているのか分かりたくない。

 ラーヴェが部屋の扉を開けた、という情報が『お屋敷』を駆け巡ったのは先週の出来事だ。ラーヴェはすぐ当主に呼び出され、なんらかの話し合いがされたのだという。『運営』からそれとなく下ろされた情報はそれが全てで、ジェイドが他の者に探りを入れても、誰もが困った顔で分からないと零すだけだった。

 そこから一週間。明日にはジェイドは長期休暇を終えて『学園』に戻る、という日になって、シュニーがミードから遊びに来ませんか、と招待を受けたのだった。シュニーの布に刺繍ができていなかったことを、ずっと気に病んでいたらしい。それでおしゃべりもしたい、とのことで、ジェイドは『花嫁』をつれてミードの区画を訪ねたのである。

 訪ねた部屋は、思っていたよりもずっと様子がおかしかった。考えていたような妙な息苦しさや閉鎖感こそなかったものの、ラーヴェは普段の五割増しで幸せそうにふわふわしているし、ミードはその膝に陣取ったまま絶対に離れようとしないし、補佐たるアーシェラと世話役たちはミードさま幸せそう愛らしい、と胸を押さえて咽び泣いていた。

 なにもかもなかったことにして帰ろう、と決意したのはジェイドだけで、シュニーは逆に目を輝かせてミードお話しましょうっ、と意気込んだ。『花嫁』としてなにか通じてしまうものがあったらしく、部屋に来てからというものの、ジェイドはシュニーに放置されて、ひたすらなにか苦行めいた事態に放り込まれていた。

 ミードさまがお幸せそうで胸がいっぱいでお願いだから事情を聞かせてくださいと言ってもひ、み、つぅー、と仰ってかわいくてかわいくてかわいいからジェイドお願い聞き出してあなたなら出来るしあなたならラーヴェも許してくれる、筈、というのが代表アーシェラ以下世話役一同の総意である。もう諦めて欲しい、とジェイドは思っている。

 なにせ、ジェイドが聞いても、よく分からなかったからだ。説明の締めの言葉、だからごとーしゅさまのおくさまー、をすることになったのっ、という所だけは聞き取れたが、それ以外はずっとふにゃふにゃ鳴かれているようだった。恐らく説明はしてくれていたのだろう。いっしょうけんめいに。身振り手振りで。

 けれども発音がほわほわふにゃふにゃ甘くてとろけていたせいで、ジェイドにはふにゃんにゃ、なの、それでねっ、にゃあぁんでねっ、だからきゃんきゃんにゃぁーなのっ、と言っているようにしか聞こえなかった。ラーヴェに解読を求めても、ふにゃふにゃしてるミードかわいい、という笑顔が返ってきただけだった。なんの役にもたたなかった。

 聞き出して、といわれても、今聞き終わった所である。聞き取れなかったので発音を頑張って頂けませんでしょうか、など言っても結果は火を見るより明らかだ。ぶんむくれて怒って終わりである。というか途中でラーヴェが止めも補足もしなかったので、ジェイドには本当にどうすることもできない。

 世話役たちも分かっていることである。ミードはラーヴェの『花嫁』だ。ラーヴェの言うことならば聞き入れる。ある程度。それなのに、言うことを聞かせられる相手が沈黙しているということは、『花嫁』の説明を黙認している、ということだ。あるいは、詳しく情報を共有するつもりがない、ということだった。

 諦めてくださいそれかラーヴェを説得してください俺には無理ですほんっとラーヴェの相手とかほんと無理ですほんとにほんとに心から、とうつろな目で首を振るジェイドに、『傍付き』はふ、と笑って。片腕でミードをやんわり抱き寄せると、幸せに緩んだ穏やかな声で言った。

「ミードは本当にふにゃふにゃ言ってただけだから、分からないと思うよ」

「……はい?」

「らヴぇ? わ・た・し・はぁ! ちゃーんと。説明してたでしょ?」

 体をぺっとりくっつけてふんすと不満げに鼻を鳴らし、ミードはそう主張した。そうだね、と柔らかにラーヴェが微笑む。

「ふにゃふにゃ言ってただけだよね、ミード?」

「んん? ……みぃしらない!」

 ぺっかーっ、と輝く笑顔だった。発音がおぼつかない『花嫁』は、自分でそれを理解していて、時々逆手に取ってくる。せつめーしてあげたもの、ふふんっ、とやたらと自慢げに胸を張って主張したのち、ミードはそれでねあのね、とシュニーとのこしょこしょ話に戻ってしまった。これ以上は話してくれるつもりがないらしい。

 無理です諦めましょう、と伝えるべく振り返ったジェイドの視線の先では、アーシェラが胸を手で押さえてうずくまっている。ミードさまの笑顔で胸が苦しい、らしい。よく見ると泣いている。世話役たちが理解しきった顔で目を潤ませながらハンカチを渡し、頷きあっている所まで観察して、ジェイドは正面に向き直った。

 帰りたい。帰りたいのだが、シュニーはミードと大盛り上がりの真っ最中で、とてもではないが許してくれそうにはなかった。ふたりでないしょのおはなしをするのっ、とラーヴェすら追いやられる始末だ。落ち着くまではずっとはしゃいでいるに違いない。

 菓子や茶器の用意を整えてから部屋の隅へやってきたラーヴェに、ジェイドは潜めた声で問いかけた。視線はシュニーに向けたままで。当たり前のようにラーヴェもそうしているから、お互いに、表情を読み合うことはできなかった。

「ラーヴェは……ミードさまが、ご当主さまの……奥方であることは、いいの?」

「いいもなにも。ミードがそうする、と言っているからね。ご当主さまもそう仰った。通達も下されたろう?」

「そうだけど」

 説明もなにもない決定事項だけが書かれた紙が一枚、回覧されただけである。曰く、『花嫁』ミードは当主の妻とする。日付と、その一行だけの知らせである。説明したくないんだろうね、と前当主の少女はため息をついたが、さりとてそれ以上には少年の内面を説明してくれることはなく。『お屋敷』の混乱は日ごとに増しながら今にまで至る。

 せめてもうすこし言ってあげて欲しい、と求められて、ラーヴェはふむと考え込む呟きを発した。視線はこしょこしょと囁き合う『花嫁』たちの、くちびるの動きに向けられている。ラーヴェ程の精度はなくとも、ジェイドもそうして言葉を読むことができるから、内容は知ることはできた。それぞれの『傍付き』の、自慢話をきゃっきゃとしている。

 察しているのか、偶然か、重要な話をする時だけは耳に口を寄せて手で隠し、こしょこしょと囁いては顔を見合わせて笑っているので、内容を知ることはできなかった。

「そうじゃなくて。ラーヴェは」

「ん?」

「ラーヴェは……ミードさまが」

 好きだろう、なんて問うことはできなかった。そんなことは聞かないでも知っている。誰かの妻となることを、受け入れられるのか、と。口にしてしまうことは、できなかった。そうする為に『傍付き』は『花嫁』を手放すのだ。眉を寄せて黙り込んでしまったジェイドに、ラーヴェは苦笑しながら身を屈め、横から顔を覗き込んでくる。

「ジェイド。……ミードが、さっき、なんて言ったかは覚えている?」

「聞き取れたトコなら」

「聞き取らせようとして言った所、だね。……なる、と。する、の意味をミードは分かってる」

 分かっていて、だから、そうとは決して言わなかった。囁くラーヴェに、ジェイドは目を瞬かせた。

「それは……つまり?」

「言えない。秘密」

「考えろってことな、分かった……。でも、とりあえず良かった……のかは分からないけど、安心した……脱力したのかも知れないけど」

 もっとおかしくなってるかと思った、と言ってジェイドはラーヴェを見返した。『花嫁』を嫁がせられなかった『傍付き』は悲惨だ。大体が病や怪我を元に枯れてしまうこともあって、日を増すごとになにかがおかしくなっていく。満ちたものがじわじわと腐るように。そこから助かる者もいる。しかし、だいたいは気が狂う。

 幸せになると信じて送り出すことで、はじめて、完成するように作られる。ジェイドは一生未完のままだ。あるいは、ラーヴェも、もうそうなってしまったのかも知れない。見つめ返す瞳は、穏やかだった。穏やかに、緩んでいた。幸福に満たされて。見たことのない喜びを、抱いているのが分かる。

「……ラーヴェ」

「うん?」

「ミードさまは、ご当主さまの奥方を、する、なら。ラーヴェは?」

 迷うことなく言葉が告げられる。『傍付き』。今度こそ、死がふたりを別つまで。別つとも。病める時も健やかなる時も、求められるままずっと、ずっと傍にいる。だから。ミードがどうしてもしたいなら、ご当主さまの奥方くらい、すればいい、と微笑んで言ったラーヴェに。ジェイドは苦笑して肩をすくめた。

 『花嫁』は知らないことであるが。どうしてもしたいなら、というのは。遠回しな、『傍付き』たちの不満である。

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