あなたが赤い糸:32



 血が繋がっていない訳ではないのよ、と前当主たる少女は言った。最近は寝台に伏せてしまうことが長い少女は、珍しく起きだして執務室に居た。シュニーの帰りが数日延期することになった、という知らせを受けたジェイドが、また正確な日が分かったら連絡をしてください、と上役たちに告げに来たおりのことだった。

 側近の女に挨拶くらいはしていきなさい、と珍しく話しかけられ、ぽいと放るように入室させられた先に少女がいたのだ。なんでも気に入りなのだから、顔を見せていくのが礼儀というものでしょう、とのことだ。少女はくすくすと笑って女の言葉を否定せず、おひさしぶり、と穏やかに言葉を吐いて、ジェイドをソファに座らせた。

 少女はいつもの対面ではなく、すこし離れた机の向こう側に座っていたから、交わされる言葉は途切れ途切れ、他愛もないことばかり。そのうちの、ひとつだった。当主たる青年のことを、なんと問うたのか、ジェイドは正確に思い出せない。殆ど無意識に零れた言葉だった。恐らく、人柄かなにかを問うものであった筈だ。

 どんなひとなんですか、という『傍付き』の囁きに、返った言葉がそれだった。血が繋がっていない訳ではない。それは何度か繰り返し告げた言葉のようで、なにか反射的に言ってしまったのであろう響きを帯びていた。ジェイドが視線を向けた先、少女は、やや失敗してしまった、というような顔でくちびるを尖らせている。

 視線は助けを求めるように女を見たが、慈しみ溢れる視線が向けられるばかりで、誤魔化しや救いの声が零れていくことはない。少女はうーうー言葉をもらして拗ねた風に呻き、やがて、困ったようにジェイドに視線を戻して言った。

「彼は……確かに外生まれの『花婿』だけど、『お屋敷』の当主の血に連なっていない訳では、ないの」

 内生まれと外生まれは分かるでしょう、と問われてジェイドは頷いた。ミードのように当主の血を継ぐ『花嫁』を内生まれと呼び、外部から向か入れ『花嫁』として育てた者を外生まれ、と呼ぶ。外生まれはだいたいが二つにも、三つにも満たない頃に連れてこられる。孤児や、遺児。事情は様々だ。

 俺のような方なのですか、とジェイドは訪ねた。すなわち、嫁いだ者の末裔であるのかと。少女は言葉に迷うように視線を泳がせ、やがて声もなく頷いた。

「そう。……うん、うん……そう、そうなの。わたしより、ひとつ、ふたつ、前の……。だから、確かにミードよりは血が薄い、かも知れないけど……そもそも、内生まれでなくとも『お屋敷』は継げるのだし……」

「そうなんですか?」

「血統じゃないの。血じゃないのよ。私とて、別に……私の、前の方の娘ではないのですもの。私もね、外生まれ。内生まれとね、外生まれに、優劣というものはないの。内生まれにしか伝わらない情報や、知識というものが、確かにあるのだけれど……それは、情報の秘匿の為。限られた数である為。優れているからでは、ないの」

 瞬きをして、ジェイドは少女を見つめた。少女は元『花嫁』であるが、それは当主として嫁ぐことをしなくなった、という意味でしかなく、本質的に変化した訳ではない。少女は確かに、うつくしい『花嫁』だった。まっすぐに背を伸ばし微笑む姿は、侵しがたい、やわらかなうつくしさに満ちている。

 金の『花嫁』と呼ばれたのだという。背を流れる髪と、瞳のうつくしさに。その他の言葉をどうしても当てはめられず。金無垢の花嫁。少女が産んだ娘は周囲の期待に正しく応え、その類稀なるうつくしさを引き継いだ。

「もしかして、御当主さまについて、なにか……?」

「……事故があったのは知っているでしょう、ジェイドくん?」

 悪いことでは、ないのだが。思わず体をこわばらせたジェイドの、その素直さを喜ぶように、少女はころころと鈴のように笑った。公的にはなにも告げられていない。『お屋敷』の『運営』は、噂を肯定はしなかったが、不思議と火消しに走ることもしなかった。噂が流れていることを知りながら、そのまま放置したのだ。

 少女はゆるく目を和ませて笑い、探られたことを責めなかった。

「そのせいで、ね。……わたしに、もうすこし、数年。頑張ってくれないかって、思っているひとたちがね、いるの」

「……御当主を?」

「そう。事故があったから、外生まれだから、『傍付き』をふたり、選んでいたから。他にもいろいろ。理由にならないようなことを、理由にしようとして。……だからね、いま、まだすこし、空気が落ち着かないでいるでしょう。ごめんね……」

 吐息に託して零すように。それでいて、かすかに紡ぐ歌のように。やわらかく、うつくしく。少女は言葉を告げていく。その儚さに。ジェイドも、恐らく誰もが、気が付いている。儚くなった、と少女を見て思う。それなのに、すこし、息をするのが楽になった顔をして。少女はくすくすと、肩を震わせて笑った。

「そんなに心配しないで、ジェイドくん。わたしは大丈夫よ」

「伏せることが多くなったと、聞きました……。お加減が悪いのではないですか」

「元から体が強かった訳ではないわ。知っているでしょう?」

 平均的な『花嫁』より、ほんのすこし強い。それくらいのものだ。少女はのんびりとした仕草で、ジェイドとの会話の片手間に書類に視線を流し、指示や名を書き込んでいく。慣れた作業だと思わせたが、楽しそうには見えなかった。紙の擦れるかすかな音が響く。

「もし、あなたが当主を続けることが……決まってしまったとして……それは可能なことなんですか?」

「……彼がこれから枯れない限り、可能性のないことよ」

 そしてそれはありえないこと、と言って、視線をあげた少女は笑った。

「それにね、わたし……当主を辞めるのを、楽しみにしているの。とても」

「そうなんですか?」

「うん。辞めたらね、とびきりのわがままをね、言うって。もう随分と前からね、決めているのよ」

 だから、そんなことにはならなければいい。懺悔めいた声の響きでそっと告げられて、ジェイドはそうですか、と言った。思えば少女が自分に対してなにかを楽しみ、と言ったのははじめてのような気がした。控える女に目をやると、やんわりと苦笑される。わがままの内容は、知らないらしかった。

 ううん、と伸びをして少女が執務を取り止める。

「あ、そうそう。よかったらね、ジェイドくん。シュニーが帰ってくる前に、彼にも会ってあげて? 拗ねててちょっとふきげんだけど、ジェイドくんになら懐いてくれると思うの」

 今日は書庫室にいると言っていたから暇だと思うし、と告げられて、ジェイドは無言で額に手を押しあてた。見れば女も同じようにしている。会話の流れで薄々察しながらも、ジェイドは彼とは誰か、を問いかけた。少女はきょとんとした顔で、幾度かまばたきをする。

「誰って……リディオよ。見習い御当主さま。拗ねてひとりで出歩いているの。誰も傍に寄らせないで、近づくと、今日は本を投げてくるのですって。叱ってきて? 本は読むもの。投げるものではないでしょうっ、て」

「……お言葉ですが御当主……前、御当主さま……なんで俺……」

 少女の傍に常に女があるように。彼の傍にも、『傍付き』がいる筈だった。生き残ったもうひとりが。なんかめんどうくさいことを押し付けられている気がする、と呻くジェイドに、少女はやや楽しそうに目をきらめかせて笑った。

「言ったでしょう? 誰も傍に近寄らせないの。『傍付き』の彼女だって同じことよ。もちろん、近くにはいると思うけど……書庫室にいるのだって、本を読みたいからじゃなくて、投げられそうなものがたくさんあるからなの」

「聞いてください。なんで、俺」

「ジェイドくん、だって、わたしたちに好かれるもの」

 なんで、と問われることが不思議でならない顔をして。こて、とあどけない仕草で首を傾げ、少女は言った。

「知らなかった? ジェイドくんはね、なんだかとっても、好きだなぁって思うの。『花嫁』でも、『花婿』でも、きっと皆そう思うわ。ええと、こういうの、なんていうんだっけ……。このみのたいぷ?」

「……はい?」

「あのね、だってミードだって、ジェイドくんに懐いているでしょう? 普通『花嫁』っていうのは、自分の『傍付き』の補佐でも世話役でもない相手に話しかけたりしないのよ。興味ないもの。……でもね、ジェイドくん? ミードだけじゃなくて、他の『花嫁』や『花婿』からだって、話しかけられたり、手を振られたり、よくあるでしょう?」

 どれくらいの頻度であれば、よくある、と言っていいのかが分からない。中々頷きにくいものがあった。他の『花嫁』『花婿』に会う機会が多いのは確かだ。でもそれは部屋に呼ばれて会いに行くということではなく、例えば朝夕にやってくる折、廊下で行き会い顔を合わせるからである。

 向こうも、他の『傍付き』に興味があるのだろう。目が合えばぱっと嬉しそうな顔をして、話をしたがる風にもじもじされるので、無視して立ち去る訳にもいかず。結果として、余裕があれば立ち止まって挨拶と言葉を交わすくらいはするし、時間が迫っていればまた今度、と言って手を振るくらい、普通なのではないだろうか。

 『傍付き』たちになんともいえない顔をされるのは慣れていたので、一々それを気にしたことはなかったのだが。でも普通のことでしょう、と言うと、少女はため息をついて首を振った。

「あのね……あのね、別にジェイドくんだから、そんな顔をしていたのではないのよ……。ジェイドくんだって、もしもよ? シュニーが、今日はあのひとが来るから挨拶をするの、とか。おはなしできるかな、とか、そわそわして、お散歩に連れて行って? って言ったら、楽しくないでしょう?」

「誰だよソイツ骨折れよ、くらいは思いますね」

「でしょう……? つまりね、ただそれだけなの……。ジェイドくんはね、なんていうか……じつは、ちょっと無差別に、わたしたちにもてちゃうの……」

 つまりはそのせいもあって、『傍付き』たちから、ややあたりがキツいらしい。理解はできる、とジェイドは遠い目になった。ジェイドだって、シュニーがそんな風に挨拶したがる相手がいれば、たとえ同僚だろうと他に『花嫁』を持とうと関係なく、というよりも、『傍付き』であればなお苛立つだろう。

 あのね、あのね、といっしょうけんめいに話しかけてくれる『花嫁』『花婿』たちは純粋に可愛い。それを無碍にはしたくないのだが。それどうにかならないんですか、と呻くようにジェイドは尋ねた。今更、印象が悪化する余地が残っているとは思えないが、立場を逆にして考えるとあまりに申し訳なかった。

 少女はあどけなく目を瞬かせ、ふふ、と甘いものを口に含んだようにして笑って。ごめんね、と言った。どうにもならないらしかった。


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