あなたが赤い糸:26


 連絡が遅くなりましたがシュニーは今日のお昼前に帰ってきます、という手紙を、その日の朝に『学園』へ送ってよこす当主の少女には、幾分無自覚な愉快犯の気がある。反省はするし、本当に申し訳なさそうにごめんね、と言ってくるので誤魔化されがちだが、時折きらきら輝く瞳は明らかに相手の反応を楽しんでもいた。

 ちょっとした馬車の不具合があって、到着が数日前後する、というのを聞いていても、わざと忘れていたのではないか、と思う所だった。相当慌てたのであろう乱れた筆跡と、乾ききらないインクがなければ。『学園』に手紙が届くまでには、いくつかの検閲も必要だ。朝の授業前に届いたのであれば、極めて急かしたにも違いなかった。

 担当教員からやさしい笑みで、今日はもういいから行ってらっしゃいと見送られ、ジェイドは昼前に自室へ駆け戻り、用意しておいた小箱を手に『扉』をくぐった。知らせは検閲のもと、当然共有されていたのだろう。魔術師たちからこぞってよかったねおめでとう行ってらっしゃいと声をかけられ、くすぐったい気持ちで大きく頷く。

 約半月ぶりの『お屋敷』で。ごめんねえぇ、としょんぼりしきって今にも泣きそうな当主に出迎えられ、ジェイドはため息をつきながら頷いた。側近の女曰く、シュニーが戻る連絡が『お屋敷』に届いたのが昨夜の遅くであり、情報の遅延は単純な不手際と配達人の体調不良であるらしい。

 帰る時までに顛末書の提出を約束させ、ジェイドはシュニーの元へ急いだ。身を清めてすこし眠ったあと、今は起きて持ち帰ってきた貢物をためつすがめつ暇を潰しているらしい。普段は使われない一室は、がらんとしていて広く、やや騒がしかった。

 家具も置かれていない、絨毯だけが引かれた部屋へ次々貢物が運び込まれ、分類されていく。糸や反物からはじまり、服飾品が多く目に付いた。宝石や香辛料、貴重な書物は適切な処置がなされ、目録と入れ替わりに適切な保管庫へ運ばれていく。日持ちのする菓子も多くあるらしく、部屋はふわふわとした甘い香りに満ちている。

 数人の元『傍付き』や世話役たちに囲まれて、シュニーは手毬を膝に置き、機嫌よくそれを眺めていた。遠目でも表情が明るく、顔色がいいのが分かる。ほっと胸を撫で下ろしながら、ジェイドは戸口で立ち止まっていた足を動かした。咄嗟に。持ってきた小箱を、花瓶の影に置き去りに隠して。

「シュニー」

「ジェイド……! おかえりなさいっ!」

 満面の笑みで振り返ったシュニーは、ジェイドに向かってぱっと両手を広げてみせた。出かけていたのはシュニーであるのに、おかえりなさい、であるらしい。帰ってきた、と思って、ジェイドは脱力するように広げられた腕の中へ体を滑り込ませた。

 まだほんのすこし、ジェイドの方が体つきがちいさい。『花嫁』に抱きしめられる『傍付き』に対し、物言いたげな目が向けられるのを極力意識の外に置きながら、ジェイドも腕を回し、シュニーを抱き返す。やわらかくて、暖かくて、いい匂いがした。半月ぶりの体温だった。

 ふふ、としあわせそうにシュニーが笑う。可愛い、と思いながらもなんとなく恥ずかしく、ジェイドはじっとしてシュニーが満足してくれるのを待った。

「旅行は……どうだった? 出迎えられなくてごめんね。おかえり、シュニー」

「ただいま。あ! ジェイド、目の下のクマがなくなってる! かわいい!」

「シュニーの方がかわいいよ」

 照れくさそうにするシュニーの腕が緩んだのでそこから抜け出し、ジェイドは赤らんだ頬を隠すように『花嫁』へ手を伸ばした。ええと、と思い出しながら頬に触れ、肌の質感を確認する。首筋で脈拍を、額で熱を。シュニーはじっとして、ジェイドが触れていくのを見つめていた。

 もうちょっと自然に確認しましょうね、という小言を右から左に聞き流し、ジェイドはすこし眉を寄せた。大丈夫、だとは思うのだが。いつも、いまひとつ自信が持てない。もちろん、シュニーの体調を見守るのはジェイドだけではなく、世話役たちもいる。なにかがあればすぐ対処はされる、と分かってはいるのだが。

 もしも見落として、ジェイドの未熟さが原因でシュニーを苦しませることになってしまったら、という不安が、こびり付いて消えない。

「……痛いところない? シュニー」

 だからいつも、最後に、聞いてしまう。自分の不安を、落ち着かせることができないでいる。信じることができないでいる。シュニーはとろけるように笑って、ジェイドの手を包み込むように握った。

「ないわ。ジェイドは心配さんね。……ジェイドは? 私が『旅行』のあいだ、元気でいた? さびしくなかった?」

「元気でいたけど寂しかった……」

「さびしがりやさん! シュニーがぎゅってしてあげる!」

 まあ『花嫁』が喜んでいるから、これはもうこれでいいのかもしれない、と。やや諦めはじめた世話役たちのため息と元『傍付き』の苦笑に挟まれて、ジェイドは力なく、シュニーの腕の中へ戻された。今日は夜までいてくれるんでしょう、と弾んだ声に頷くと、いいこいいこっ、と頭が撫でられる。

 やわらかいな、と思った。その指先も、腕も、体も、匂いも、熱も、なにもかも。やわらかくてかわいい、ジェイドの『花嫁』。おんなのこだ、と思って、なぜか急に恥ずかしくなる。離して、と言いかけた時だった。ふわんふわんの声が背後から響く。

「あぁああぁあっ! しゆーちゃんがなでなでしてるぅーっ!」

「ミード。おかえりなさい、でしょう?」

「しゆーちゃん、おかえりなさーいっ! しゆーちゃんどうしたの? なんでなでなでなの? ジェイドくん、頭が痛いの? やぁあああ大変……! ミードもなでなでしてあげる?」

 ミードはしなくていいですよ、とさらりと告げる声が笑っている。ジェイドはそろそろとシュニーの腕から抜け出して、歩み寄る足音に振り返った。『花嫁』を腕に抱きながら、ラーヴェが微笑ましそうに覗き込んでくる。散歩の途中で行き会ったのだろう。それはいい。それはいいのだが。

 ふふふんっ、と自慢げにふんぞる『花嫁』が、ちいさな手に持っている小箱には見覚えがある。えっ、と戸口を振り返るのと同時。ミードは自信満々に、それをシュニーに差し出した。

「はい、しゆーちゃん! これねぇ、しゆーちゃんのなの。みぃはちゃんと見ていたの!」

「……これ? わたしの? ミードが、わたしにくれるの?」

「ちぁうの! あのね、あのね、ないしょなんだけど、じつはぁ、ミードはこっそりみていたの! それでね、これはジェイドくんの、お忘れものなの! お届けしてあげたミードをぉ、ほめてくれて、いいのよ?」

 目の前で繰り広げられる『花嫁』たちの会話に一声も挟めなかったのは、ラーヴェの目配せで動いた元『傍付き』たちに、口を塞がれ押さえ込まれていたからである。ラーヴェが自分の手を使わないのは、単純に、ミードを抱き上げている為だった。

 『傍付き』の習いの通りに片腕で抱いているものの、もう片方は空けておく方が望ましい。そうであるから手伝ってもらっただけですよ、という柔和な笑みで。赤い顔で呻くジェイドをやんわりと見守り、全てを理解して察している表情で、なお、ラーヴェはしれっと己の『花嫁』を手放しで褒めた。

 かわいいね、えらいね、かわいいミード、えらいね、と褒められるたび、ミードはますます自慢げに、えへんっ、とラーヴェの腕の中で反り返る。ころん、と落ちそうな所でなれた仕草で抱きなおされ、『花嫁』はこうふんした様子で、あのねあのねっ、とシュニーに、して欲しくない報告を続けて行った。

 なんでも、ラーヴェとシュニーは、ジェイドが城から『お屋敷』に到着した所から見ていたらしい。ミードはめざとく、持ち込まれた小箱に気がついたのだという。あれはきっとしゆーちゃんへの贈り物っ、とはしゃいで、それが渡される所をこっそり見たい、とねだってついて来ていたらしい。

 暇だったんでしょう、と涙目で睨むジェイドに、ラーヴェは満面の笑みで頷いた。

「いけませんよ。贈り物はきちんと相手に渡さなくては」

「俺に止め刺してそんなに楽しいんですかあなたは……!」

「……ジェイド?」

 むっとした声でシュニーに呼ばれる。うん、と力なく頷いて、ジェイドは『花嫁』と向き直った。元『傍付き』たちの、訳知り顔の微笑ましい視線も、世話役たちの頑張ってっ、と言わんばかりのまなざしも、心底なかったことにしたいのだが。シュニーだけは無視する訳にはいかなかった。

 ミードの、わくわく、きらきら、そわそわ、どきどきした視線に見守られながら、ジェイドはゆるく苦笑する。

「うん。……うん、シュニーに、だよ」

「ジェイドから?」

「そう。俺から……だけど……。シュニーが貰って来たみたいな、いいものじゃ、ないんだ……」

 星降の城下で買い求めた、小瓶に入った飴である。当主の少女が会うたびに飴を渡してくるので、そのお返しにひとつ、シュニーにもひとつ、買っておいたものだった。シュニーが持ち帰って来た貢ぎ物のどれと比べても、恐らく、値段が一桁か二桁は違う筈である。

 はっきりと、見劣りした。それだけで、渡すのをためらう理由には十分だった。今度また、もうちょっといいのを買って来るよ、と告げるジェイドに、シュニーは怒った顔をして首を振った。もうもらったもの、と言って指先に力が籠められる。

「かえしてあげない……!」

「……シュニー、でも」

「んもぉ。ジェイドくん?」

 くいくい、と横から伸ばされた手が、ジェイドの服をつまんで引っ張る。

「しゆーちゃんをいじめないで」

「……いじめてないよ」

「しゆーちゃんは、いいのが欲しいんじゃないのよ。ジェイドくんがくれたのが、欲しくて、嬉しいの。とっちゃだめ。わかったぁ?」

 言葉に詰まって。ジェイドは眉を寄せて、今も運び込まれる貢ぎ物と、シュニーがきゅっと握って離そうとしない、ちいさな箱を見比べた。箱の中にある、瓶に詰められた飴はうつくしい手毬の形をしていて、見た瞬間にシュニーのことを思い出した。

 だからそれを、贈りたい、と思ったのだ。

「じゃあ……受け取ってくれる?」

 シュニーの持ってる手毬みたいな飴でね、かわいいよ、と告げたジェイドに、『花嫁』はくちびるを尖らせて頷いた。ジェイドはもっとわたしに、自信を持ってくれていいのよ、と。不満げに言ったシュニーに、元『傍付き』たちも、ラーヴェも、苦笑しながら頷いた。同意見のようだった。

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