あなたが赤い糸:27



 自信ってどうやって持てばいいものなんですか、と呟いたジェイドに、当主の少女は手を止め、目をまあるくして瞬きをした。机を挟んで向かい合わせに座っているのは、少女とジェイドだけである。他の誰かに話しかけた、という言い訳は通用しそうになかった。素知らぬ顔で少女の背に控える側近の女だけが、可笑しそうに唇を和ませる。

 当主の少女にせよ、また基本的には話しかけても来ない側近の女にせよ、相談相手には決して適切な相手ではない。そもそも相談しようと思っていた訳ではないので、答えは最初から期待していない。気にしないでください、と言って湯気の立つ香草茶に息を吹きかけ、視線を窓の外へと流す。

 一月の療養を得てふたたび『旅行』へ旅立って行ったシュニーが、次に帰ってくるのは半月後のことだった。ジェイドはその期間『お屋敷』に足を踏み入れないこと、という決まりが新しく作られた。前回の不在時、ジェイドの体調が飛躍的に回復した為の措置だった。夜更かしでもすればよかった、と思っても後の祭りである。

 幸い、ジェイドへの態度が軟化し始めた世話役たちは、『傍付き』たる少年の不在を受け入れてくれた。今までも日中はほぼいなかったので、特別な問題が発生しないのも理由のひとつだった。しかしそれでも、『傍付き』とは世話役たちの要である。不在がちと、不在、では結構な差があるのだった。

 当主の少女はそれに関する細々とした指示を確認し、纏めている最中の、ほんの雑談のつもりだった。シュニーを見送った虚脱感でぼぅっとしながら、帰って来た日のことを思い出していたら、口が滑ったともいう。少女はおろおろしながら手元の書類をまとめ、確認してね、と側近の女に押し付けてからジェイドを見つめる。

 魔の悪いことに、一通りは終わっていたらしかった。

「ジェイドくん……自信、ないの?」

「……ええ、まあ」

「……あのね。『花嫁』に選ばれるって、すごいことよ」

 恐る恐る告げられても、それくらいは知っている。苦笑しながら頷けば、少女はほっとしたように微笑して続けた。ジェイドくんはずっと頑張ってる。頑張れるのも、すごいこと。『傍付き』の勉強もゆっくりだけど続けているし、魔術師の学びも、とても成績がいいと聞きました。すごいね、頑張ってるね。えらいね。

 ゆっくりとした口調で、心から褒めてくれているのが分かる少女の声を受け止めるのは、こそばゆくて気恥ずかしい。思わず視線を逸らしてお礼を言えば、少女はむっとしたようにジェイドの名を呼び、ちゃんと見て、と求めてきた。やわらかい、その声を。無視することは今日もできない。

 はい、と言いながら視線をあげると、少女はその素直さも褒めるように、にっこりと笑った。

「シュニーに怒られでもした?」

 どうして分かるのかとも思うが、少女も元は『花嫁』である。理解できることが多いのだろう。頷くジェイドに、少女はつくりたての金貨めいたうつくしい瞳を輝かせ、ふふ、と口に手をあてて笑った。

「私も、じつはシュニーに怒られちゃったの。一緒ね」

「……え?」

「飴をね。ジェイドから貰ったでしょうって。あげるのはいいけど、貰うのは、もうだめなのですって。嫉妬させちゃった……ごめんね?」

 帰って来たら、またあの飴をちょうだいね、今度はジェイドがちょうだいね、約束だからね、と言ってシュニーは馬車に揺られて行った。出がけに、当主ともなにか話していた様子だったが、まさかそんなことだったとは。

「ジェイドくんは、自信が欲しい?」

 時々、ジェイドは少女と取引をしているような気分になる。なにかを渡される代わりに、なにかを差し出さなければいけない。ほんのすこしの会話や仕草でも、試されているような、求められているような。そんな気分になる。口を閉ざしてしまったジェイドを見つめ、少女は、困ったように首を傾げた。

 ジェイドの自信のなさは、認められなかったからだ、と少女は思っている。この『お屋敷』にいる者たちの殆どが、各々の理由を持ってジェイドの存在を認めなかった。『花嫁』に選ばれた時も、『傍付き』として成長していく過程でも、『魔術師』として『学園』との往復を強いられた日々の中でも。

 この場所がジェイドを受け入れたのは、たった一度。彼が『花婿』の遺品を持って訪れた、その時だけだった。だから、少女は責任を感じている。ジェイドのその、自信のなさについて。受け入れなかったことについて。受け入れるよう、言葉を強く重ね続けなかったことについて。それをシュニーにだけ任せてしまったことについて。

 時間が、ゆっくりと受け入れてくれると。楽観してしまったことについて。

「でも……自分を信じるって、むずかしい、よね。わたしにも、わかるの……」

 一度壊れたものは戻せない、と少女は知っている。何人も、何人も、耐えきれず枯れていく『花嫁』を、『花婿』を見送った。こふ、と少女は乾いた咳をする。それでも、大丈夫、と誤魔化して、少女はジェイドに笑みを向けた。

「自信、持ってほしいな。ゆっくりで、いいの。難しいことだとは、思うけど……。分からなくなったら、シュニーを信じてあげてね。不安になったら、思い出してあげてね。シュニーがどんなにあなたを信じているか。シュニーが……ジェイドくんを、どんなに好きか」

 わたしがあなたを信じて。シュニーのことを託したのだと。伝えることは、せず。それでも、いつか分かった時に、自信のひとつになってくれればいいな、と少女は思う。ジェイドは不安と不満の混ざった瞳で少女を見つめて、なにか言いたげにしながらも頷いた。

 少女が頷き返すと同時、側近の女が確認が終わったことを告げてくる。不備はないらしい。よし、と呟いて、少女はソファから立ち上がった。

「それじゃあジェイドくん、また半月後に。……今度は、もうちょっと早く、連絡を行かせるからね」

「……はい。お待ちしています」

 一礼をして出ていくジェイドを見送って、少女はぽす、とソファに座りなおした。口元に手を強く押し当てて、こふ、と乾いた咳をする。もうちょっと、と少女は目を伏せた。あと数年。せめて、ジェイドが成人するまでは。守ってあげたい、と少女は思う。望まれない形であっても、やり方がいびつで、歪んでしまっていたとしても。

 きっとそれが、少女の、最後の仕事になる。あんまり悲しまれないといいな、と少女は言った。やさしくなかった場所の責任の、多くは少女にあるのだと、自覚していた。女が無言で差し出す香草茶を飲みながら、少女は大きく息を吐く。半月後のことを考える。一月、三ヵ月、半年、一年。どうしていくかを考える。溜息が零れた。

 五年は、長かった。課せられたジェイドとシュニーより、少女はその重みを知っていた。




 馬車が帰って来たのは、小雨の降る朝のことだった。余裕を持って知らせのあった到着日であるから、ジェイドはあらかじめ申請した通りに臨時の休暇を与えられ、『お屋敷』の者たちと共にシュニーの帰りを待っていた。今回の貢ぎ物も、かなりの量であるという。シュニーはきちんと、『旅行』へ行く役目を果たしている。

 当主の少女は、そのうち目標達成の図表でも作ってあげるね、とジェイドに言って部屋に下がってしまった。小雨の日に外で待っていると風邪をひく、というのがその理由だ。悪戯っぽく笑って立ち去った少女はいつも通りの姿だったが、黙して付き添う側近の女の雰囲気が、些細な問いかけをも許さなかった。

 どうも最近、当主は体調が思わしくないのだという。通常ならばとうに代替わりを果たしている頃合であるから、と誰かが囁いていた。それを深く聞くことはしなかった。心配であるのは確かなことだが、意識を割り振って考える余裕がなかったからだ。遠くから近づいてくる馬車の音が、ずっと聞こえている気がして、落ち着かない。

 一時間も待った頃だろうか。ようやく、赤子のようにとろとろと進む馬車が『お屋敷』に現れ、ジェイドの前でぴたりと止まる。御者が告げることにはシュニーは眠っていて、起こさないように部屋へ連れて行って欲しい、とのことだった。はい、と頷いたジェイドに視線が集中する。

 いくつかは、楽しげな。いくつかは、不安交じりの。それが意味する所を正確に理解していたから、ジェイドは同じく待っていた元『傍付き』の男を、やや睨むようにして見上げて言った。

「抱き上げるくらいできますけど」

「……落とさない? おんぶでもいいんだよ?」

「抱き上げるくらい! 俺にだって、できますけど!」

 しー、と口元に指先を出してたしなめられる。見守る視線には嘲りではなく、純粋な好意と年少者へ向ける労りがあって、それがまだすこし、慣れなかった。男は、そうした力仕事が必要な時の為に、当主の少女が選定した者たちのひとりだった。一回目の『旅行』に出るすこし前から、ジェイドを手伝ってくれている。

 まるで、普通の仲間のように。友人のように、兄のように。時に、父のように。傍にいてくれる男に、どう接していいのかも、まだ分からないでいる。甘えたり、頼ったりする、その方法も。仕方ないなぁ、と向けられる視線に、ぷいっとそっぽを向いてしまいながら、ジェイドはおろおろする世話役たちを押しのけて、馬車の扉を開いた。

 そこに、『花嫁』が眠っていた。ま白い髪が雪のように広がり、くしゅくしゅに乱れてしまっていた。扉の開く音にも気が付かず、シュニーはすっかり眠り込んでいる。元から眠れるような作りにしてあるのだろう。ゆったりとした広さの座面は見るからにふかふかとしていて、シュニーの体をやわらかく抱き留めている。

 それに両手を伸ばしかけて、ジェイドは思わず息を止めた。こんなに可愛かっただろうか、と思う。シュニーは前から可愛かった。それはもちろん、そうなのだが。こんなに。触れることをためらうくらい。可愛くて、柔らかそうで、あたたかい気配のする、女の子だっただろうか。

 動きを止めたジェイドを不思議がって、男が後ろから顔を覗き込んでくる。目を瞬かせて。ふ、と笑われた。それに反発する気力も起こらず、ジェイドは頭を抱えてその場にしゃがみこんでしまう。心臓の鼓動が早い。思春期ですね、と男が笑い声で呟いたのを、ジェイドは聞こえなかったことにした。




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