あなたが赤い糸:07

 妖精が住まう森と花園の中心には、まろやかな円を描く平原が広がっている。大部分の花妖精の住まいである平原には、ありとあらゆる花が咲き乱れていた。人の世の四季があるようで、ひどく曖昧な場所だった。それでも風に揺れる花の香りは夏の終わりと、秋の始まりを告げて、どこか涼しげに空気を染めている。

 その、ひとつ。ほんのりと淡く朱に色づく、やや大振りな白い花が揺らされる。いつまで眠っているんですか、と心配交じりの声に、妖精はちいさくあくびをしながら身を起こした。朝日、とするには天の上まで昇りすぎている太陽がまぶしく目を焼く。きゅっとまぶたに力をこめて目を擦ろうとすれば、間近から響くため息がひとつ。

 擦らない、とやんわり叱られ手首を捕まれて、妖精はねぼけまなこで瞬きをした。

『だって……昨日の、おそくに、戻ってきたのだもの』

『だからと言って、眠りすぎでしょう。花はもう開いているのに。……それとも、どこか痛くしましたか?』

 君たち花妖精は弱くできているから、と不安がる声に、妖精はもう一度あくびをして来訪者を見た。少年の姿をした、鉱石妖精である。森で蜂に襲われていたのを助けられて以来、なにかと世話を焼きにくる、生真面目な性格の妖精だった。

 大丈夫よ、と呟きをまったく信頼していない目に、妖精は居心地が悪く羽根を動かした。

『ずっと気を張っていただけ。あのこが熱を出すから……』

『熱を? ……まさか、看病していたんですか?』

『違うわ。心配で傍にいただけ。……ようやく熱が引いて落ち着いたから、私もこちらへ戻ってきたの』

 ソキの看病をしたのは、主にロゼア、そして世話役の人々である。妖精が入る余地はない。魔術的な不調であれば助けられただろうが、恐らくはリボンが失われそうになったことに相当びっくりして、不安で、それが原因でソキは熱を出したのだった。祭りから帰った夜にはもうだるそうに咳をして、次の日からは伏せってしまった。

 それを置いてかえるのもどうにも忍びなく。妖精は数日間、寝込むソキの傍にいてやったのだった。浅い眠りを繰り返し、起きてはリボンが結ばれていることを確かめ、うとうととしてまた夢に落ちる。その繰り返し。時折、花籠でじっとしている妖精を見つけては、緊張しきった瞳は綻んだ。かたく結ばれた蕾が、やんわりと緩むように。

 安心して、嬉しくて、やわやわと瞬きをして。ありがとうです、と言って幼子は眠りにつく。ソキを見守る他に妖精ができることもなかったのだが、いつもなら嫌がる薬を素直に飲んでくれる、とロゼアがたいそう有り難がっていた。妖精さんとお話するです、と求められるのに、元気になったらね、と言ったのが良かったらしい。

 それでも、熱が引くまで数日かかり。そこからさらに、ソキが妖精が帰るのを受け入れるまで二日かかった。元気になったからお礼をするです、おはなしもするです、と寝台に転がりながら、ソキはきらきら輝く目で妖精をじっと見つめ、帰ってしまうのを惜しがった。

 ここで暮らせばいいです、ソキはちゃぁんとお砂糖も、お茶もお水も、はちみつだってご用意するです。ねえねえ、どうしてだめなの、ねえねえなんで、ねえねえ、とぐずるのを説得して、落ち着かせて、なんとか来月またくるから、と約束して、飛び立つ為の二日間だった。

 だから、すこしくらいは寝ていたってかまわないでしょう、と。目をこすり、あくびをする妖精に、溜息がひとつ。

『まったく……我侭に付き合って、君が疲れてどうするんですか。案内妖精が、担当した魔術師を可愛がる気持ちは僕にも分かります。でも、甘やかすばかりではなく、時には叱りもしなければ。僕らは魔術師を可愛がるのが役目ではないんですよ。導くこと。それが、案内妖精のお役目なのですから』

『分かってるわよ。……生真面目なんだから』

『聞こえましたけど』

 にっこり笑われて、妖精はさっと空へ飛び立った。お説教が長引きそうだったからである。しかしすぐ、やんわりと腕を捕らえられてしまう。花妖精は種族の中でもっとも軽やかに飛ぶが、鉱石妖精は鋭く、時に矢のように空を切る。不意をつかなければ逃げられないことは分かっていた。

 まったくあなたはすぐそうやっていなくなろうとして、と文句を言われるのに唇を尖らせ、妖精はつかまれた腕を振ってみた。しかし右に左に動かしても、なぜか手を離してもらえない。分かっているだろうに、どうしたんですか、と微笑まれ、妖精はむっとしながら訴えた。

『離して。ついてこないで。わたし、あなたのお説教にお付き合いする気持ちになれないの』

『ひとりで出歩かせるのが心配で。また蜂にたかられますよ』

 森に行くとすぐ襲われるでしょう、とため息をつかれて、妖精は不満げに羽根をぱたつかせた。

『そんなに必ず追いかけられている訳じゃないの。落ち着いて話せば、蜜を分けてくれることだってあるのよ。あの時は……あなたたちが狩りなんてするから、気が立っていたのだと思うし……待って? あなたたちのせいじゃない?』

『彼らに。鉱石妖精と花妖精の見分けがつかない訳がないでしょう。いじめられやすいんですよ、あなた』

 魔術師に言わせれば、妖精の種族は見分けがつかないものだという。しかし花園に住まういきもので、判別がつかない、ということはありえない。魔力の質も、色もまるで違うのだ。分かりやすい見かけに、そう、という特徴が存在しないだけで。指摘にさらに不満げに羽根をぱたつかせると、ほら、と柔らかく苦笑された。

『そこで言い返さないからですよ。言い返しても、やり返しても良いんです。不満があるなら……ほら』

『う、うぅ……』

 花妖精は。怒り、だとか。不満、だとか。そういう感情を持っても、表に出しにくい種族だ、とされている。負の感情がない訳ではない。けれどもそれは、花に降り注ぐ激しい雨や風に似ている。過ぎ去っていくものだ。じっと待っていれば。だから花妖精は、いつも、それを溜め込んでしまう。

 感情を、どう出せばいいのか。ふるまえばいいのか。知らない、訳ではないのだけれど。分からない、と思うのが一番近い。まったく、と吐息と共に苦笑される。

『せめて言い返せるくらいになりましょうね。それが難しいなら、大きな声で誰かに助けを求めるくらいは』

『わたしたちが、助けてもらわなければいけないことって? なに?』

『危ない目に、あったことがないとでも?』

 蜂に襲われていた時だって逃げるばかりだったでしょう、と怒られて、妖精は不満げに羽根を動かした。花妖精の飛翔速度に追いつけるのは、鉱石妖精くらいのものである。それだって短距離の話で、長くなればなるほど、花妖精を捕らえられる者はいない。だから、飛んでいけばいいのだ。相手が追えぬ遠くまで。

 言葉にはせずに不服そうにする妖精の思惑を、理解している顔つきで。だから声に出して怒りなさいと言っているでしょう、と鉱石妖精は告げた。理解するまで、何度でも。それを繰り返し、言い聞かせるつもりのようだった。生真面目、とそれだけなんとか言葉に出して、妖精はもう一度、つかまれた腕を振ってみた。

 にこ、と微笑んだ鉱石妖精が、はいはいと言って手首ではなく、手をつなぎ合わせてくる。ちがうそうじゃない離して、と思っても上手く言葉にできず。妖精はため息をついて、好きにさせてやることにした。

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