あなたが赤い糸:05


 夜を呼び込んだ廊下には、思いのほか人が多かった。ソキが普段住まう部屋は淡く静まり返っているのに対し、生きた、動きのある活気がざわざわと空気を動かしている。慣れない活気に怯えることなく、星祭りへの期待で頬を染め、ソキはふわふわとはしゃいでいる。ロゼアはほっとした笑みでソキを抱きなおし、すれ違った者に目礼した。

 動きやすそうな淡い藍の上下に身を包んだロゼアと、揃いの衣装の者たちが廊下を行き交っている。この祭りの間に外へ行く『お屋敷』の者の、衣装であるのだと聞く。それを身にまとうのはどこか印象の似通った者たちばかりで、その統一感が、わずかばかり息苦しい。居心地の悪さに耐え切れず、妖精はソキの手元から離れ、天井の近くへ飛び上がった。

 あぁん、とぐずって妖精へ手を伸ばすソキを、ロゼアがやんわりと宥めている。その頭を見下ろして飛びながら、妖精はふと、見覚えのないものに気がついて目を瞬かせた。ソキの髪に、赤いリボンが結ばれている。初夏の頃。迎えに来た時には、髪飾りはつけていなかった筈なのだが。夜に差し込む朝焼けのような赤が、妖精の目にやけに気にかかった。

 妖精さん、お傍いなくなちゃたです、とソキはいじいじとそのリボンに触れている。

『……そのリボン、どうしたの?』

「ぷぷぷ。もっと近くにぃ、来てくれないとぉ、ソキは妖精さんとおはなし、して、あげないですぅ」

『だって……もう、分かったわ。これでいい?』

 すい、と正確に妖精をとらえたように感じるロゼアの視線が怖かったとか、そういうことではないのだが。妖精はしぶしぶ、ソキの目の高さまで降りてやった。こっちきてぇ、ねえねえ、きてきてっ、と差し出される手の、指に触れて息を吐く。

『もう……すこしくらい距離があっても、話はできるでしょう?』

「やぁんやっ」

 なにが気に入らなかったのだか、ソキはすっかり拗ねている。ロゼアの腕の中でちたちた足を動かして窘められながら、ソキはぷぷっ、ぷくーっと頬を膨らましてぶんむくれた。

「ソキは妖精さんがだいすきなの! お傍にいてくれなくっちゃやんやんですぅ!」

『ちょっと離れただけじゃない。ね?』

「んむぅー……。いーい? お傍から離れる時はぁ、必ず! 必ず、ですよぉ? ソキに、ちゃんと、そのことを言わなくっちゃいけないです。いってらっしゃいができないでしょぉ……っ? わかった? 妖精さん、わかった? お返事はぁ?」

 花の蜜のように甘く。耳に触れては溶けて行く、砂糖菓子の声。怒られても拗ねられても、ちっとも怖くない。どことなくお姉さんぶった物言いは、普段から誰かにそう言いつけられているせいだろう。こみ上げてくる笑いに羽根をぱたつかせながら、妖精はソキの求めにええ、と頷いてやった。

『分かったわ。あなたの言う通りにしましょうね』

「ふふんっ。それじゃあ、妖精さん? お籠の中へどうぞです。ソキがぁ、ちゃぁんと、連れて行ってあげるぅ!」

 寝る時には枕の横に。座っている時には膝の傍らに。せっせと持ち運んではそこへいて欲しがる花籠は、今日もロゼアの手にしっかと持たれていたのだった。ソキが連れて行く、と自信満々に言うわりに、持っているのはロゼアである。妖精は花籠とソキとロゼアを見比べ、なんともいえない気持ちで力なく頷いた。

 妖精は知っている。ロゼアはさりげなく、実にさりげなく、この花籠を置いて行こうとしたことを。嫌われている訳ではない、と思う。向けられる視線に悪意を感じたことはないからだ。隠していても、人の感情に敏感な妖精には無意味なこと。そうであるから本心から、嫌っている、ということはないのだろう。ただ、恐らくは、ちょっと気に入らないだけで。

 結局は部屋から出る直前、ソキがふんわふんわした声でああぁああロゼアちゃんたらお忘れものですぅーっ、と花籠を見つけてしまったので、それはしっかりと持たれているのだが。ソキが呼んだならすぐ来て下さいますよねもちろん、と言わんばかりのロゼアの微笑みに、妖精は納得できない気持ちで花籠にもぞもぞと収まった。

 じっと見つめても視線は重ならないし、焦点も妖精には合っていない。なにより、触れられない。魔力を持たぬただびととは、触れ合うことさえ許されない。この世界でひとだけが、完全に魔力を持たない異物として存在している。魔力そのものに近しい妖精とは、空と地のように並行なものだ。

 妖精は花籠を持つロゼアの指先に手を伸ばした。触れる感覚はなく。する、と通り過ぎてしまう。風に触れたような質感。ロゼアにも、恐らくそうだろう。ん、と視線は指先に落ち、そこへいる妖精へは向かなかった。

「妖精さん? なにしてるのぉ? ロゼアちゃんはぁ、ソキの! ソキのなんですううぅ!」

『試してみただけ。……あなたね、これくらいのことで嫉妬しないのよ』

「どうしようです……妖精さん、もしかしてロゼアちゃんに、ときめきー、を感じているの……? ゆっ、ゆゆしきことです……!」

 誤解甚だしいし絶対にありえないし丁寧に辞退したいし心底やめて欲しい。戦慄するソキに、妖精は額に手を押し当て、ゆっくりと首を振った。

『ないから。ないから、安心なさい。変な心配はしないの……。正直に言うと好みじゃないし……』

「よかたです……。あ、あっ、じゃあ、ねえねえ、妖精さん? 妖精さんはぁ、どんなお相手にぃ、ときめききゃぁんってするの? ソキにこっそり教えてくださいです! あのね、えっとね、ソキはね、ソキはねぇ……ろっロゼあちゃ、なんですううぅうきゃぁああんやんやんはううんっ」

『ええ、うん、そうね。知ってるわ……』

 今現在もその腕に抱き上げられ撫でて愛でられている状況で、なぜ内緒話のひそめられた声で会話が成立すると思っているのか妖精には理解できないが、ソキはいたって満足げにきゃぁんきゃぁんとはしゃいでいる。やぁんやぁんひみつの、こいの、おはなし、というやつですうううっ、と至って楽しげなので、妖精はそっとしておくことにした。

 なぜかロゼアが微笑みつつも、面白くなさそうな雰囲気をかもし出していることであるし。なんでなのよあなたの話題じゃないもうやだ怖い、とお腹を手でさすって痛みを逃しながら、妖精は頭をかすめた可能性を、しかし即座に投げ捨てた。ソキが秘密を自分ではなく、妖精と共有してご機嫌なのが面白くないだなんて、驚異的な心の狭さ過ぎて考えたくない。

 ため息をついて、妖精は辺りを見回した。ソキの部屋から出て、かれこれ十五分は経過している。ゆったりとした徒歩の移動だとしても、迷っているような移動距離の長さである。

『……中々外に出られないのね』

「お外にお出かけするですからぁ、行ってきますを言わないといけない所がたーくさんあるです。それでね、お輿の所へ行ってるの。お祭りでね、人が多いから、馬車はいけなくて、駱駝もいけなくて、ロゼアちゃんのだっこもだめなんです……」

 廊下から、部屋の中には入らず。ちょっと戸口を覗き込んで、中にいる者に手を振っているそれは、外出の挨拶であったらしい。行く先々でそうしていたので、なんだろう、とは思っていたのだが。ソキの言葉に続いて、ロゼアがさっきので最後ですよ、と妖精に言葉を囁く。輿持ちたちが控えているのも、もうこの先です。

 囁いて、一度立ち止まり。長い廊下の向こうに視線を投げかけて、ロゼアは名残惜しそうに、ソキをやんわり抱きなおした。

「ほら、もうすこしでお外だよ、ソキ」

「おそと……! お祭り! お祭りですよ、ロゼアちゃんっ」

 今年は酔わないようにゆっくり行こうな、というロゼアの言葉に、ソキは無心でこくこく頷いている。気分が悪くならないように、祝福を送ってあげるのが良いかも知れない。ロゼアに頬を擦り付けて、はやくぅはやくぅ、と促すソキからは、本当に祝祭を楽しみにしていたことが伝わってきたので。いとしごよ、と妖精は静かに囁いた。

 その喜びよ、どうか。守られ給え。




 鈴の音が絶えず響いている。魔除けの音だ、と妖精は思った。魔力を持たぬ代わりのよう、古くから伝わる悪しきものを退ける術を、人々は今も知っているのだ。それは確かに、妖精の与える祝福と同じ効果を持っている。完全に災いを退けるには効果が弱いが、不安に思われていた酔いくらいなら、落ち着かせてくれることだろう。

 ソキに用意されていた輿は、中々に大きく立派なつくりをしていた。ソキが横になっても十分に余裕のある大きさで、中には綿の詰まった絨毯が敷き詰められて座り心地はふかふかとしている。中には水筒と甘味が妖精の分まで用意されていて、ソキはさっそく乾燥果物をあむあむとしながら、四方を覆う布に手を伸ばし、つむつむと意味もなく突っついている。

 景色は見えなかった。垂れ下がった布が完全に世界を切り離し、ひとつの部屋のように空間を独立させている。ともすれば、移動をしていないのではないか、と思うくらいに行程は穏やかだ。未だ遠くのざわめきと、すこしばかり冷えた空気が、外にいることを知らしめる全てだ。布の先端に縫い付けられた鈴の音だけが、輿が移動し続けていることを教えてくれる。

 もくもくこくんっ、と乾燥果物を飲み込んで、ソキの指先が布をちょんっと引っ張った。

「ねえねえ、ロゼアちゃん?」

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