暁闇に星ふたつ:68

 部屋からぴょっこり顔を出したソキが、通りすがる先輩を次々呼び止めては質問を投げかけたせいで、ロゼアの不調は瞬く間に学園中へ知れ渡ることとなった。部屋を抜け出してちょこちょこ歩き回らなかったのは、妖精がそれをがんとして許さなかった為である。

 寝台の傍に用意された品々を見る分に、ロゼアはソキが傍から離れることを想定していない。また、ソキが傍にいるとロゼアの魔力の安定と回復が早いと、シディが断じた為である。ロゼアを元気にする為ならば、ソキが傍を離れることに否やを唱える筈がなかった。

 ソキも本当は寝台に腰掛けたまま勉強を進めたかったのだが、教科書を読んでいくら考えても、妖精に質問しても分からない箇所があれば課題が進められない。課題が進まないということは、また授業についていけないで遅れてしまうということである。

 それは駄目です、いけないです、と主張するソキと、アンタまたそんなこと言って、と叱る妖精の妥協点が、部屋から出ないで呼び止めることである。耳をそばだて、じっと廊下を見て誰か来るのを待つソキと妖精の姿は、獲物が罠にかかるのを待つようでした、とのちにシディは語った。

 かくして。努力のかいあって全ての課題を終わらせ、ソキは眠るロゼアの背に頬をぺっとりくっつけて、ふにゃふにゃ幸せな声をあげた。いつもは向かい合わせにくっつきあってぎゅとして眠っているので、ロゼアの背中は貴重なのである。堪能しなくてはいけないのだった。

「はうー……ロゼアちゃん、はぅー……! はうー……きゃううぅううふにゃんにゃ!」

『腹立ってきたからロゼア起さない?』

『いけませんよ、リボンさん。自然に起きるまで待ってあげましょうね。……魔力もだいぶ安定しました。これなら、起きていてもだるいということはないでしょう。数日、様子を見た方がいいことは確かですが……』

 穏やかに眠り続けるロゼアを見つめ、それにしてもとシディは首を傾げた。魔力の不調は、未熟な魔術師にはよくあることである。要は風邪のようなものだ。注意して予防することはできても、ひいてしまえば安静にするしか回復手段がない。

 昨年のソキのように、不調と魔術の発動が妙な具合に噛み合ってしまえば、逆に多少手段はあるのだが。それにしても、基本は日にち薬である。回復には倦怠感を伴い、苦痛を覚えることもあるので、レグルスは睡眠薬を処方したのだろう。眠ればどうということもない程度だ。

 だがそれにしても、ロゼアが眠って半日程度。ここまで安定するのは見たことがない。

『……これで、急激に崩れることがなければいいんですが』

『大丈夫じゃない?』

 どうしてそう言えるんですか、とシディが問うより早く。妖精は苛々した眼差しをロゼアに向けながら、舌打ちをして言い放った。

『ソキが好き勝手くっついてるから回復が早い。そうに決まってるじゃない』

『そっ……いえ、いくらロゼアでも、そこまでは……?』

『違うと思うなら強く否定してみなさいよ。できないでしょ? ……こらソキ! ロゼアを襲うんじゃない!』

 ロゼアの服をぺろっとめくりあげてくっつこうとしていたソキの元に急行し、妖精はアンタ目を離すとどうしてすぐそうなのっ、と怒鳴りつけた。ソキはだってぇだってぇともじもじしながらくちびるを尖らせ、ぺろんとめくろうとしていたロゼアの服を元に戻した。

「お冬の寝巻きは布がぶあついです……ソキはもうちょとぴっとりくっつきたいです……」

『……アンタまさか、毎日ロゼアの服ひんむいてるんじゃないでしょうねぇ』

「ねらいめは朝のお着替えです。お着替えの時にくっつくです」

 今日の朝はロゼアがもう着替えも終わっていたので、くっつき足りなくて切なくなっちゃった、とのことである。気持ちを落ち着かせる為に目を閉じて黙り込み、妖精はお手柔らかにお願いしますねロゼアまだ眠っていますから、と囁くシディに頷いた。

 苛々を通りすぎて、落ち着いた気持ちにすらなってくる。心の底から息を吐き、妖精はソキ、とむくれる少女の名を呼んだ。

『せめて合意のもとでくっつきなさい……。意識がない相手に無体を働くんじゃないの。返事は?』

「はーぁーいー、ですぅうううう」

『アンタだって寝てる間にロゼアに襲われても嬉しいんだったわねナシ! 今のナシ! なんでアンタはそうなのほんとにっ! 慎みを持て!』

 つつしんでるですぅ、と文句を言うソキの言葉に信憑性など全くない。妖精の目の前でロゼアの服をむきかけて、なにを言うというのか。白んだ目で睨みつけると、ふんにゃりした笑みが返された。

「ねえねえリボンちゃん。夜のご飯はお砂糖にするです? はちみつにするです? 飴とかぁ、きゃらめるー、とか、こんぺいともあるですよ?」

『アンタすぐそうやってアタシの機嫌取ろうとして……! ……角砂糖』

「はーい! シディくんは? ねえねえ、シディくんは、なににするです?」

 僕も角砂糖で十分ですよ、と言ってやると、ソキが分かりやすく落ち込んだ。いっぱいあるのにぃ、としょんぼりするのを、妖精がロゼアと食べなさいよ、と腕を組む。

『さあソキ? ロゼアのむっつりが起きるまでに、あとやっておかないといけないことは? ないの?』

「課題は全部出したです。あと? あとは、えっと、えっと……んん? リボンちゃん。むっつりって、なあに?」

『ロゼアのことよ』

 きっぱりとした断言だった。あまりに自信に満ちていた。ふぅん、とさほど興味のなさそうな声を出して、ソキはこくりと頷いた。

「ひとつ賢くなったです。えへん!」

『……ロゼアすみません』

 僕には止められませんでした、とシディは首を振る。その動きに従って、羽根がゆっくりと明滅した。ほのかに暖かくも感じる、妖精のひかり。うっとり眺めて、息を吐き出した。導きのひかり。魔術師として目覚めたソキが、一番に見つけたものだった。

「ソキも、魔力を見つけるのは上手ですのに……ナリアンくんとメーシャくんは、けんめいに遠足の最中に違いないです」

『メーシャはともかく。ナリアンは遠足どころじゃないんじゃない?』

「ふにゃ?」

 なんで、と問うソキに、妖精は遠い目でそれを告げた。だってこっそりニーアがついていったし、楽しそうだからってルノンまで着いていったもの。だから夜には一緒に戻ってくるに違いない。楽しみーですー、とご機嫌に歌って、ソキはアスルを抱き上げた。

 機嫌とは裏腹に、呪いを構成する魔力がゆっくりと深みを増していく。大丈夫よ、とは言わずに。妖精はただ、ソキに笑いかけ、頷いてやった。




 不安定な魔力を調査する為に必要なことは、根気と集中。それにつきる。魔術師の目は、通常、ひとの同じ世界しか映さない。純度が濃くなれば零れた魔力を視認することもできるが、風や水に溶け込み、あたりを漂うものまで見るとなれば、まず目の焦点を合わせる必要がある。その為に必要なのは、集中。そして、魔術的な修練である。

 ロゼアはソキの為に、すでにその術を会得している。やや自慢げに告げたチェチェリアに、ほのぼのと、わーすごいさすがロゼアー、すごーい、と言ったのはウィッシュだけで、ロリエスとストルは静かに頷いただけだった。横顔に、うちのこだってそれくらいできるようになる、いますぐにな、と書かれていたとウィッシュは震えた。

 必要な知識は事前の課題で詰め込まれていた為、残されていたのは実地訓練。それだけである。ロリエスとストルがつきっきりで焦点を合わす術を教え、集まった魔術師たちが同情的なまなざしで見守る中、幾度目かの挑戦をして。二人はほぼ同時にそれを成し遂げ、うわ、とぴったり重なった声で驚く。

 まぶしい。思わず目を閉じて、ナリアンは今視認したものを思い返した。微細な欠片だった。『学園』でも時折目にする、零れ落ちた魔力と、形状は同じであったように思う。ふわふわと漂うシャボン玉。七色の揺らめきで漂うそれとは違い、いくつかの、淡く透明な色を宿していた。そろそろと瞬きをしては、うー、と呻くナリアンの傍らで、ロリエスがこれでもかという程自慢げな顔をする。

「よし、これでナリアンは戦力として数えられるな」

「メーシャもだ。よくやった。……大丈夫だから、落ち着いて目を開けるんだ。本当はそう、まぶしいものではない」

「ナリアン、メーシャ、大丈夫? あたま撫でる? 撫でようか? 撫でるね? いたいのいたいのとんでいけー……あれ? いたくはないのか。眩しい? まぶしいの飛んで行けー」

 ああ、このひと本当にソキちゃんのお兄さんだよな、とナリアンは和みながら微笑した。メーシャも同じことを思ったらしく、ソキみたいだ、と呟いてくすくす笑う。薄闇の向こうで、ふふん、とウィッシュが自慢げにしたのが分かった。

「そうだよ。俺、ソキの先生だからね! もー、ふたりともさー、心配してあげろよー」

「大丈夫です、ウィッシュ先生。ありがとうございます……慣れるのには、もうすこしかかりそうですが」

 目を開いて、まばゆさに眉を寄せながらも告げるナリアンに、ウィッシュはきれいな表情でうん、と微笑した。ふわふわと咲く花のようだ。ごく自然にそう思う程、改めてうつくしいひとである。弱々しいと思うより、どこか脆さを感じさせる雰囲気は夜の月明かりの元が似合いそうであるのに、ウィッシュは光に目をやんわりと細め、おひさまだいすきー、とのんきにしている。

 生徒を置いてきた立場はチェチェリアと一緒だが、本当に遠足に来たようにほわほわ楽しそうなのは、純粋に性格の差に違いなかった。よしじゃあ準備が整った所で、と責任感の強い声でチェチェリアが手を叩く。

「ここからは二手に分かれて観測を開始する。私とロリエスとナリアン。ウィッシュはストルとメーシャについていくように」

「あれ? チェチェリア? 俺がせんせいだよ。ついてくのはメーシャだよ」

「ストル、メーシャ。分かっているとは思うが、ウィッシュは目を離すとわりと勝手にどこかへ行くからな。頼んだぞ」

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