暁闇に星ふたつ:69



 え、待って、ねえ待ってなんか違うよねひどくないひどいよねひどいひどい、とウィッシュが文句を言うのを上手に宥めながら、ストルが『花婿』の手を引いて歩きだす。くすくすと笑いながらメーシャがあとを追いかけ、ナリアンと目をあわせて手を振った。じゃあ、またあとでね。うん、またあとでと手を振り返し、ナリアンはようやく、落ち着いた気持ちであたりを見回した。

 ナリアンが訪れたのは、首都の一角である。王城の裏手。背の高い塀がまっすぐに続いている。道には馬車のわだちが残る、どこかひっそりとした一角だ。繁華街は遠く、ざわめきが聞こえて来ない。さびしい印象がないのは、生きた気配がそこかしこにあるからだろう。塀の向こう側から吹く風に、くすくす、あまい笑い声が混じる。

 響かない。砂糖菓子のような声。ソキの。『花嫁』の。

「……さてナリアン。小冊子を開いて」

 訝しむナリアンに、ロリエスが教員の声で指示を出す。はい、と即座に背を正して遠足のしおりを開いたナリアンに、ロリエスからは満足そうな、チェチェリアからは暖かいまなざしが向けられた。ここの、と言いながら、ロリエスは小冊子の地図を指で示す。

「ここと、ここの場所が私たちの担当だ。やるべきことは、ひとつ。漂う魔力を視認し、数を数え、分類し、分析し、仮説を立て、検証し、実験し、結果を出す。なにか質問は?」

「……数を、数えると仰いましたか? え……え、なんの数を……?」

「今言っただろう? 漂う、魔力を、視認して、数を数えるんだ」

 見れば、チェチェリアはすでに達観した笑みを浮かべていた。『学園』に集合した魔術師たちが、移動し、数名ごとに分かれて行くたびに、溜息をついて遠い目をして呻いていた意味を思い知る。それでも理解したくなくて、ナリアンはえ、と声を出して瞬きをした。魔力を、もう一度、焦点を合わせて見つめ直す。

 広がる砂漠の砂のように、とは言わないが。見てすぐに数が分からない。十や二十ではない。そして、建物のようにひとつの場所に留まっている訳でもない。ふわふわ、風とはなにか違う流れに乗って動いている、それを。数えなければいけない。よし、とナリアンは真顔になった。

「先生、帰りましょう」

「ナリアン。ナリアンがいるから、私たちに割り当てられた区画は初心者向けだという事実を教えてやろう……」

「大丈夫だ、ナリアン。やれば終わる。やれば終わる。やれば、終わるんだ……!」

 身を翻して歩き出そうとするナリアンの腕が、両側から掴まれる。うわあぁあ、と泣き声をあげるナリアンに、ふわん、と愛らしいひかりが舞い降りた。

『ナリちゃん……!』

「ニーア! ……ニーア、どうしてここに?」

『ナリちゃんが遠足っていうから、気になって……。ひとりで来たんじゃないわ、大丈夫! あっちにはね、ルノンがいるの』

 あっち、と指さされたのは、メーシャが立ち去った方角である。どこから一緒にいたんだと苦笑するロリエスに、ニーアはやや怒ったように、腰に手をあてて身を乗り出した。

『ひどいわ、ロリエスちゃん! ナリちゃんをいじめないで!』

「間違えないで欲しい、ニーア」

 穏やかに微笑んで。死線を眺める目をしながら、言ったのはチェチェリアだった。

「王にいじめられているのは、どちらかと言えば私たちの方だ」

『え……え……? ご、ごめんなさい……』

「ちょうどいいから、ナリアンを手伝ってくれないか。ナリアンは初めてだから、先程はああいう説明をしたが……もうすこし分かりやすく言おう。ナリアン?」

 はい先生、とぴしりと背を正して答えるナリアンに、ロリエスは言う。

「世に漂う魔力は、大まかに三種類。ひとつ、魔術を発動した痕跡として残るもの。ひとつ、発動痕とは別に、自然物の中に溶け込んであるもの。ひとつ、発動の痕跡を消そうとして、なお残存するもの。この三つだ。魔力の不安定測定とは、基本的には二つ目の、自然物の中にある魔力。風や、土や、水。火や、光、暗闇。星の光、月明かり。それらに溶け込む微細な魔力の観測を主目的として行われる測定だ。これを記録し、観測していくことにより、自然災害の発生予測、作物の実り、病の流行などがある程度把握できる……とされている」

「……仮説、なんですか?」

「精度は八割から九割。必ずそれが当たるという訳ではないが、ほぼ確実な傾向として注視される。……また、これを定期的に記録しておくことにより、『学園』に招かれぬ、未だ、目覚めたとして呼ばれる前の魔術師のたまごの、不幸な魔術暴走をある程度は抑え込める、と考えられている」

 こちらは正真正銘の仮説ではあるが、とロリエスは苦く笑った。錬金術師や占星術師の最近の研究から、魔術師のたまごが魔力に目覚める前には、周囲の自然魔力が著しい偏りをみせる、ということが判明した為だ。水属性を持つ者ならば、水の魔力が不自然に集まり。風属性の者なら、風の魔力がぐるりと渦を巻く。

 かつて、火の魔法使いであるレディが目覚める前夜には。砂漠の国中に、不自然なまでに、火の魔力が満ちていたのだという。

「国により、場所により、自然魔力には特色がある。知らない場所を尋ねるたびに、見る癖をつけておけ、ナリアン。異変は魔力となって零れ落ちる。それは警告で、痕跡だ。覚えておくように」

「はい。……先生、俺たちは」

 なにをするんですか。なにを見るんですか、と問うナリアンに。ロリエスは企みごとを囁くよう、強い笑みを刻んだ。

「私たちが観測の中から探し出すのは、魔術を発動した痕跡として残る、残留魔力。そして、残留魔力を消した痕跡として生まれた、残存する魔力の偏り。そのふたつだ。その二つを見つける為に……とにかく、徹底的に、数を数える。必要な情報は、三つ。ひとつ、漂う魔力の純粋な数。ひとつ、その魔力を属性によって分類した結果。ひとつ、その分類の中の残留魔力と、痕跡魔力のバランス。この三点。私たちが行うのは、数を数えることと、それを属性ごとに分類すること。分析は錬金術師が行う」

 私が泣いてここからがご褒美だって新しく目覚めるまで結果を持ってこい待ってるからね、と砂漠の王宮で手を振ったエノーラのことを、ナリアンは思い出した。補佐にはキムルがつくというが、首都に散らばった魔術師の数は、三十名を超えている。彼らが取りまとめてくる夥しい結果を。錬金術師は、今や遅しと待っているに違いないのだ。

「先生」

「うん?」

「なんのために、この測定を?」

 測定地は、砂漠の王城をぐるりと取り囲むように定められている。中心となっているのは城だ。今日は市街地、明日と、明後日で城内を探る。良い質問だ、と褒めるよう、ロリエスの唇が三日月を描く。

「裏切り者を、今度こそ断罪する為に。たくらみを、白日の元に晒す為に、さ」

「それを……それを『学園』でしなかったのは、どうしてなんですか」

 ロリエスの言う方法が有効なら、それは『学園』でこそ行うべきことであると、ナリアンは思う。ソキがあんなに騒いだ異変の特定の為に。見て、やるべきではなかったのだろうか。そうだな、とロリエスはしっかりと頷いた。

「その通りだ。よく気がついた。……だが、『学園』でこれはできないんだ。可能、不可能、という意味ではない。魔術師のたまごが集まる場所には、魔力がありすぎる。偏り、不安定になりすぎている。常に。……だから、そこから痕跡を探ることはできないんだ、ナリアン。それこそ……白紙にインクをぶちまけたような、盛大な魔力が、世界を染め変えない限りは」

 どんなことがあっても、紛れてしまうのだという。それでも、通常ではなく。異変が起きていることは確かだ、という所までは、教員として訪れる魔術師たちが、口々に報告していた。不安定、偏っている。それは変わらない。けれども、どこか、なにか、おかしいと。ナリアン、とロリエスが、己の正しさを信じる者の瞳で言う。

「己が、今できることを。可能なことを、私たちはするんだ。……できるな?」

「はい」

「それでこそ私の後継だ」

 わぁ俺の未来が決まってる気がする気のせいかな、と耳をふさいで首を振って、ナリアンはロリエスの言葉を聞かなかったことにした。珍しくもまっすぐ、純粋に、嬉しそうに笑って褒めてもらったことは確かなのだが。チェチェリアの、強く生きるんだぞ、というような笑みにも気がつかなかったことにしたい。

 ナリちゃん頑張ろうね、ニーアも一緒に数えるわっ、と気合を入れる花妖精が、唯一の癒しである。頷いて、ナリアンは瞬きをする。意識を定める。世界を、見る。魔力を。そこを確かに染め変えた筈の、未だ見ぬ、同胞の悪意を。

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