暁闇に星ふたつ:33


 炎のような目で振り返って宣言する妖精に、シティがお願いしますから穏やかな花妖精という種族のあり方を思い出してください、と遠い目をして囁きかける。

 それを個性の一言で粉砕し、妖精はきゃあきゃあリトリアにはしゃぐソキの手を、ぐっと繋ぎなおして言い聞かせる。

「貸してください、でしょう。貸してください! ほら!」

「リトリアちゃん? ソキに、うさぎちゃんを貸してください。ぎゅぅってするです」

「え、うん。はい、どうぞ」

 きゃあぁあんかわいいですもっちりちゃんですかわいいですうう、とおおはしゃぎするソキをつれて、一同は廟の中ほどまで移動していく。出入り口付近は狭い作りではないが、この人数が集まっているには、通行の邪魔になりすぎる。

 全体が見渡せる場所に置かれた長椅子のいくつかを占拠して、腰を落ち着かせた。自然とリトリアとソキが並んで座り、レディとロゼアがその両端をかためる。ストルとツフィアは並んで向かいに。チェチェリアは場から離れている。

 妖精たちは一歩距離が開いた所で、てんで勝手に話をしている。不機嫌なソキの案内妖精を取り囲んで、見目麗しい少年少女がわらわらと集まって来ていた。誰も彼もが妖精なのだろう。

 綺麗ですねえ、リボンちゃんたら人気者ですとしみじみ嬉しそうに呟き、ソキはご機嫌でリトリアのうさぎをもちもちした。ひたすらご機嫌な笑顔でもちもちもちもちし、腕いっぱいにぎゅっとうさぎを抱きしめて、はふ、と幸せな息を吐き出す。

「はぅん。これはかわいー! うさぎちゃんです。ソキはとっても気にいったです……ねえねえ?」

「ソキ。ソキにはアスルがいるだろ。これはリトリアさんのだろ」

「うっ……んと、んと。違うですよ。おねだりー、じゃないです。ロゼアちゃんの勘違いというものです」

 視線を泳がせながら残念そうにロゼアに向かって言い聞かせ、ソキはもちもちうさぎを、未練たっぷりな眼差しでリトリアに差し出した。

「お返しするです……ありがとうございましたです……。また今度ぎゅぅっとさせてくださいです。あ、リトリアさん。お帰りなさいです。ご無事でなによりです」

「ありがとう……ソキちゃん、ロゼアくんも。騒がせて、たくさんご迷惑をおかけしたことを、心からお詫び申し上げます。不自由することも多かったでしょう。本当にごめんなさい……」

「ご無事でなによりです。……皆そう言うと思いますよ」

 なにとぞ家出という形で寛大な処置をしてあげてくださいお願いします、という嘆願書の署名は、ソキやロゼアの元にも回って来ていた。強制力のあるものではなかった、とロゼアは思う。

 まとめ役となった者たちはそこへ名前を書き入れる前にしっかりと、王宮魔術師の制度や仕組み、規約について勉強してその上で思うことがあれば協力して欲しいと告げていたし、その為の教本もいくつか用意して貸し出してくれた。

 教本は、どちらの意見に偏ることもないよう慎重に選定された書籍である、と目を通した者に思わせる。知識をつけて、それを判断できるだけの足場を作って、その上で決めて欲しいと集められた署名に、『学園』の者は殆ど名を書き入れたと聞く。

 リトリアはその言葉に目をうるませて微笑み、しっかりと頷いて息を吐き出した。

「なら、なおさら……しっかり謝らせて? それで、お礼も言わせてね。ロゼアくん、ソキちゃん。ありがとう」

「はい。……なにか、制約があると聞きましたが。生活するのに対して」

「うん。色々。気になったら、寮長に問い合わせてみて? 教えてくださると思う……」

 でも心配しなくても、ソキちゃんは家出したりしないものね、と笑うリトリアに、ソキはくちびるを尖らせて頷いた。まだ未練がましく手を伸ばして、うさぎをもちもち指先でつついている。

 ソキ、とロゼアに窘められてようやく指先をひっこめ、ソキはんん、と眉を寄せて呟いた。

「だってぇ……なんでかとっても気になるです。リトリアちゃん? このうさぎちゃんはどうしたの? どこで買ったんです? ソキに教えてください」

「え? え、えっと……あの、砂漠で……」

 報告書を全て閲覧しているレディの目がしんだ。あっ、これ事案のあれっていうかあれ私この位置は死ぬのではないのなんでストルとツフィアがそこにいるの、と挙動不審になるレディに、リトリアはあいらしい仕草で首を傾げた。

 あれ、と不思議がるような視線を、ロゼアがリトリアに向ける。問う言葉はなく。すこし観察するようなロゼアの眼差しに気がつかず、ねえねえ、と話を促してくるソキに、リトリアは頬を朱に染めてぽそぽそと囁いていく。

「たっ、たいへん、お世話になった方に……頂いたの……! あの、その方にね、一緒に、砂漠の首都まで、連れて、きて、もらって、あの……あ、ソキちゃんも知っている方よ?」

「ソキも?」

 目をぱちくり瞬かせ、きょとん、とするソキに。リトリアはもじもじしながら問いかけた。

「うん、えっと、だって、だってあの……ソキちゃんのお父さん。『お屋敷』の、前の、御当主さま……なんでしょう?」

「……そうなんですけどぉ。ふーん。そうなんですかぁ」

 ソキは一切の興味をなくしたらしい。どうでもよくなっちゃったですぅー、という意思がありありと伝わってくる、半ば拗ねたような表情と声に、リトリアはえっと言葉を詰まらせた。恐る恐る、問いかける。

「ソキちゃん……お父さん嫌いなの……?」

「ソキねえそのお話はしたくないです!」

 ぺっかーっ、と輝く笑顔で徹底して拒否されて、リトリアはしょんぼりと肩を落とした。そうなの、と落ち込みながら呟く。リトリアはひそかに、ソキとロゼアとラーヴェの話をすることを、とても楽しみにしていたのだが。

 くるしい気持ちでなんとか言葉を飲み込んで、そっか、とだけもう一度言ったリトリアに、訝しく考え込んだ顔つきでロゼアが問う。

「リトリアさん? その……『お屋敷』の前の、御当主さま……と? その方は、そう、名乗られたんですか……?」

 レロクの前の当主。ソキとレロクの父とされている男は、当主交代と同時に『お屋敷』の外へ追放され、亡くなった筈である。『お屋敷』の片隅にひっそりと墓があり、昨年の長期休暇の折にロゼアはそれを確認していた。

 ソキがそれを認識していないのは、前当主の行く末についてこれっぽっちも興味が無かったが故に誰にも聞かなかったのと、ロゼアもあえて話していなかったからだ。亡骸は回収されなかったと聞く。

 ただ死の報と、それが確かなことである、という言葉だけが関係者に伝えられた。

 レロクの苛烈さを考えると、肉親の情や他の理由あってでさえ、父とした前当主を見逃し生かしたとは考えにくい。

 また、レロクの片腕たるラギの目を逃れ、欺けたとも。『お屋敷』の伸ばす手はどこまでも届く。ディタとスピカが逃れきったのは、当時の『お屋敷』がそれほどに混乱していたからであり。

 また、弱い『花嫁』が逃亡の末に生き延びられるとは思われず、見逃されたからだろう。すっかり機嫌を悪くしたソキを膝に抱き上げて宥めながら、ロゼアは目を瞬かせるリトリアの答えを待った。

 砂漠において『お屋敷』は特別で、別格だ。もしも悪戯に前当主を名乗る者があれば、早急に報告する必要がある。リトリアはそろりと視線を持ち上げ、えっと、と戸惑う声をあげた。

「そう、仰られた……のでは、ない……んですけど……。ソキちゃんの、お父さん、なら……前の御当主さまでは、ないの……? お兄さんが、いまの御当主さまだと、ソキちゃんが言っていたから」

「いえ」

 血の繋がりが当主を決めるのではない。受け継がれる資質はあるだろうが。それは継ぐ理由には決してならない。

 ある事実に『耐えられる』者だけが、輝石として壊れず欠けず、花として枯れず折れず、持ち堪えた者だけが生き延び、『お屋敷』を継承していくのだ。次代が、たまたま血の繋がった内生まれであっただけだ。

 だから、そういうことではないのだ、と否定を口にしかけて、ロゼアはとある予感によろめいた。

 ろぜあちゃん、ときょとんとした声が、腕の中から呼びかける。

「どうしたの? びっくりしたお顔をしているです」

「……なんでもないよ、なんでもない。リトリアさん、あの、そのお話は今度詳しく。必ず、詳しくお願いします」

 ソキ、喉かわいたろ飲み物を探しに行こうな、と囁かれ、ロゼアの腕の中でソキはこくんと頷いた。ぎゅっと抱きつきなおすと、そのまま立ち上がられる。あーっ、と叫んで妖精が駆け寄り、ロゼアの足を蹴飛ばした。

「アンタなに勝手に抱き上げてんのよ!」

「あ、リボンちゃん! ロゼアちゃんをいじめちゃだめだめぇ! お話は終わったの? ソキをほーちするだなんていけないことです!」

「アンタがリトリアのうさぎをもちもちしてたから気を使ってやったんでしょうがああぁあ!」

 そっちこそ話は終わったの、と尋ねられ、ソキはこっくりと頷いた。リトリアも恐る恐る頷き、離れていくロゼアたちを見送った。やや呆然としてしまう。

「ソキちゃん、ラーヴェさんが嫌いなのかな……」

「リトリア?」

 名を呼ばれて、ぱっと視線を向ける。微笑むストルと目が合った。思わず笑い返す。

「ストルさん。なに?」

「……いなくなっていた間の話を聞かせてくれるか」

「う、うん……。あの、後でね。あとで、私もストルさんと、ツフィアにお話があるの。だから、それが終わったら……」

 終わって、まだ。リトリアの話を聞こう、という気持ちが残されていたとしたら、その時に。私にも聞かせてちょうだい、と囁いてくるツフィアにも同じ気持ちで頷いて、リトリアはソファから立ち上がった。

 どきどきする胸を宥めて、まっすぐに目を向ける。

「ストルさん……」

「ん?」

「私と、一曲……踊ってください」

 差し出した手は、すぐに絡めて繋がれる。跪いて微笑まれ、喜んで、と囁かれてリトリアは涙ぐんだ。幸せで嬉しくて恥ずかしくて、どきどきして恥ずかしくて、いっぱいで、息がおぼつかなくなる。

 あ、ぅ、と真っ赤な顔で声をこぼすリトリアの肩に、そっとツフィアが手をおいた。

「落ち着いて、大丈夫よ。……レディとここで見ているから、行ってらっしゃい」

「つふぃあ……」

「リトリアを頼んだわよ、ストル」

 一曲終わったらどこかへ連れ込んだりいなくなったりせずに速やかに戻って来なさい、という意味合いの言葉である。ストルは数秒沈黙したのち、信用がないなと苦笑した。

 意味を完全に理解しておいて、しない、と言わないまま、ストルはリトリアの手を引いて歩いていく。あああ戻ってきたら話し合いかしぬ、と胃をぎりぎり痛めて無言になるレディの傍らに、ツフィアはそっと腰を下ろした。

 視線はひとつの所へ注がれている。

 優美な音楽が流れていくのを耳にしながら、レディは息を吐き、なにか飲む、と問いかけた。ツフィアはしばらく返事をしなかった。踊りだすふたりの姿に、声も。言葉も出せないようだった。

 うつくしい祈りで胸が満ちている。幸福を願うような。レディは適当に持ってくるからね、と言って立ち上がる。その背に、ようやく、ありがとうと声がかけられる。振り返っても、視線はふたりに向いたままで。

 魔法使いは深く、息を吐き出した。


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