暁闇に星ふたつ:29


 あるあるちょうあるよかったあぁあ、と疲れた顔で入ってきたルルクは、妖精に礼儀正しくこんにちは、と頭を下げて。両膝をついてソキの前にしゃがみこみ、そのちまこい手を両手で握り締めて、顔を覗きこみながら言った。

「ソキちゃんにお願いがあります」

「はー、あー、いー。なーぁんでーすかー?」

「お疲れ様、頑張ってるね、もうちょっとで終わるからもうすこし頑張ってって言って。あとできたら談話室にいて欲しいの。四階まで走るのつらい」

 なんだこれ、という目で妖精に見つめられて、ルルクはあっと照れたような声を出し、懐から腕章を取り出した。そうだったこれがないとね、と言ってソキの腕に巻きつける。腕章には『応援係』と書かれていた。

 なんだろうこれ、という視線を腕章に向けるソキには、心当たりが無いらしい。説明を求める視線を向けられて、ルルクは生き生きした表情でひゃっほう説明するねっ、と叫んだ。

「知っての通り今日はパーティ! 夜までてんやわんやで準備があって忙しいからどうにか乗り切ろうねっていう一日です! それでまあ準備を外注できないじゃない? いろんな理由で。半分くらいは予算の関係で。だから皆で準備するのは見ての通りというか知っての通りなんだけど、ソキちゃんはなんていうかその、えっと……なにかあると怖いっていうか、うん、そう! なにかあると大変だから! なるべく動かないでいてもらおうねってことになってたんだけど!」

「ねえ正直に言っていいのよ? 役立たずだからできることがなかったって」

「でもなんかひとりだけなにもしないで待っててもらうのも仲間はずれぽくてヤだよね悲しいよねって昨日の夜二時くらいに眠りの神が私に囁いたから、それじゃあ応援してもらおうかなってことになって、なのでソキちゃんは今日は一日応援係です。準備で体力もそうなんだけど心が! 心がだいぶ疲れてきたり擦り切れてきた私たちを! 本番に辿り着けるように応援してもらうだいっじな役目……! だからお願いなるべく談話室に……四階じゃなくて談話室に……!」

 妖精の辛辣さを聞こえなかったことにして右から左に受け流し、ルルクはソキの手を握ったまま、立て板に水のごとく説明し言い切り懇願した。

 二割くらいしか聞いていなかったソキは、へー、そうなんですかへー、と適当な態度で頷き、ルルクの手をきゅむっと握って微笑する。やや余所行きの『花嫁』の笑みだった。

「ルルク先輩?」

「う、うううんっ?」

 あっヤバいこれヤバいすごい元気出てきた泣きそう、と震えるルルクに、ソキはふわりと耳に触れる柔らかな声で囁いた。

「もうちょっとだけ、頑張ってくださいね。ソキは応援しています。……ね?」

「あああありがとうがんばるー! ところでロゼアくんにはこれから許可取りにいくんだけど冷静に考えると私生きてかえれるかな? あっソキちゃん手がすべすべふにっとしてて気持ちいいねなんか泣きそう」

「ソキ、いいこだから手を離しなさい。アンタは許可取れたらもう一回来なさいよ。ソキはこれからアタシとだ・い・じ・な! 話があるの。とびきりのね!」

 だからどのみち、その応援係だか誑かし係だか惑わし係だかよく分からないようなのはそれが終わってからよと追い出され、ルルクは生きて帰ってこられたらもう一回来るねと言って去っていった。達観した目だった。

 ルルク先輩はいつになったら落ち着きを取り戻したりするんでしょうと首を傾げるソキに、アイツにそんなんがあった記憶は入学してから一度もないけど存在してないんじゃないのと吐き捨て、妖精はぺちぺちとソキの頬を指先で叩いた。

「いい? アンタね、あんなに簡単に手なんて握らせるんじゃないの! まったく。危ないでしょう? アタシがいたからいいものを!」

「ルルク先輩はぁ、いつもソキの為にとっても頑張ってくれるです。さぁびすというやつです」

「その奉仕精神は捨てて来い!」

 アンタほんとにアタシがいないとだめねっ、と怒られて、ソキは幸せそうにふにゃふにゃした。えへへ、でしょう、リボンちゃんたら一緒にいたくなっちゃうでしょう、とふんぞりかえると、深々と息が吐き出される。

「もしかして平和とか平穏とか無事の為に、コイツ誰かに独占させきっといたほうがいいんじゃないのかしら……」

「あ。リボンちゃん? おはなしってなあに?」

「アンタいまアタシの話なんにも聞いてなかったでしょう」

 ふにゃうにゃ鳴いて誤魔化そうとしたソキの頬をつっついて折檻し、妖精は戸口を覆い隠す布を確認した。忌々しいことに、ロゼアは足音を立てずに移動する。

 ルルクのようなけたたましさで察知するのは不可能なことだが、妖精には微細な魔力すら感じ取る目があった。注視しても潜んでいる様子はなく、また、戻ってくる雰囲気もなかったのでよしとして、妖精はソキと向き合った。

 真剣な話するからこれ退かしなさい、と腕の中のアスルを掴むと、くちびるが尖らされる。

「リボンちゃん? アスルも一緒に旅をしたですから、聞く権利というのがあるですよ」

「じゃあせめて膝の横に転がしときなさい。大事な、話が、あるの。だ・い・じ・な!」

「……アスル? ソキのぎゅうじゃなくて、お布の上でもいい? 我慢できる?」

 つぶらな瞳と見つめあい、こくり、と頷いて。ソキはそーっとまるっこいアスルを布絨毯の上に転がした。なんですか、とやや不安げに問われるのを見つめ返して。妖精は静かな声で口を開いた。

「去年のことよ。去年の、パーティーでのこと」

「……うん。あ、ソキね、この間ツフィアさんに会って、びっくりしてごめんなさいをしたですよ! ツフィアさんね、とっても綺麗なお姉さんでね。あのね。ソキに飴をくれたです。ありがとうもお伝えしたです」

「ああそうそれはよかったわね。言いたいのも聞きたいのもそれじゃないの」

 しゅん、とするソキから視線を反らさず。

「挨拶が終わった後。砂漠の王が言ったこと」

 妖精は問うた。

「四年って、なに? なんのこと?」

 ずっと気になっていた訳ではない。今日の朝に起きて、ふと気がついたことだった。旅の間、ずっと一緒だった訳ではない。傍を離れることもあった。その間に交わされた言葉なら、妖精は知らない。

 人が当たり前に、全てを理解しあわないように。知り合わないように。けれども、あえて言葉にされたのならば。それは意味があることだ。大切である筈だ。記憶をめぐらせれば、ソキはそれをロゼアにも教えていなかった。

 四年。その意味。期間。ソキは目をぱちくりさせて胸を手で押さえ、呆けた声で、あ、と言った。妖精が眉を寄せる。

「あ、じゃないの。アンタ、もしかしてそれで最近おかしかったんじゃない? 違う? どういうことなの?」

「……砂漠の陛下とのお約束なんですよ。ないしょ、ないしょのお約束です」

「どーせそんなことだろうと! 思ったわよ! 話せっ!」

 ないしょ、というのは内緒だから内緒なのである。んんーっ、とくちびるに力をこめて嫌がるソキに、妖精はそんな声出してもだめよっ、ときっぱりと言った。

「アンタがロゼアにも言わない内緒だなんて! どうせろくなものじゃないんだから! アイツが気がついてめんどくさいことになる前にアタシには教えておけって言ってるの!」

「リボンちゃん……怒らない?」

「ふぅん? つまり? 言えば怒られるような内容だってアンタは思ってる約束だってこと」

 妖精の怒気が空気を焼く。声を荒げはしなかった。もうそれは十分にしていたし、怒りたい訳でも、萎縮させたい訳でもないからだ。気持ちを押さえ込んで、妖精はソキの名を呼ぶ。

 手を伸ばして、頬と、肩に触れた。視線を重ねて言い聞かせる。

「いい? アタシはアンタの味方。アンタが本当にしたいことなら、ちゃんと助けてあげる。どんなに大変なことだって、アンタが諦めない限りは応援する。傍にいる。……ねえ、ソキ。その約束は、アンタがしたくて交わしたことなの? それとも、一方的にされたものなの?」

「……えっと」

 記憶を辿って、ソキは口ごもった。決して一方的ではなかったように感じているが、そこにソキの意思が含まれることも、ついぞなかったような気がする。落ち込んだようにきゅぅっと眉を寄せて、ソキは瞬きをした。

 それは厳密に四年間、という約束でもないのだ。ソキの十七の誕生日までに。予知魔術師としての守り手と殺し手を決めて、王たちにそれを告げることが叶わなければ。ソキの身柄は砂漠の王宮預かりとなる。

 そして、無防備な状態で迎えられたソキは、魔術師として生きることすら許されず。王の用意したハレムの一室、『お屋敷』が見えるあの部屋で暮らすことになる。ソキの年齢は年明けと共に重ねられる。

 いまは十四。あと三ヶ月とすこしで、十五になる。

 二年と半年も、残されていない。

「ソキが、予知魔術師だから……した、お約束です……? 殺し手と、守り手を、見つけなさいって……」

「……できないと、どうなるの?」

「……砂漠の王宮魔術師に、なるです。でも、魔術師には、なれないから……ハレムへ、いくの」

 それでね、それはね、砂漠のお役に立つことです。そういうお約束です、と告げるソキに、妖精はゆっくりと目を閉じた。記憶と感情が巡る。どうしてソキがロゼアの傍を離れたくない、とそう言ったのか。

 共にいる状態でなお、それを信じきれず、何度も何度も悩んでは訴えていたのか。その答えを知る。それが全ての理由ではなくとも。

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