暁闇に星ふたつ:21
一瞬でしんだめになった妖精が、額に手をあてて沈黙するハリアスに、重々しい声で問う。
『コイツなんの本読んだの』
「……いま、その……ちょっと強引な感じに求められる恋愛小説が流行していて……ですね……?」
『ソキは閲覧禁止処置にしなさいよ。悪影響しか出てないわ』
今日中に、いえ、いますぐに女子長に回覧板の申請をします、と言って立ち上がったハリアスの隣で、はぅ、はう、とソキは幸せな妄想で呼吸困難になりかけている。
それじゃあね、ソキちゃん。お茶をどうもありがとう、と囁いて退室しようとするハリアスに、ソキはぱちくり目を瞬かせた。
「ハリアスちゃん、もう行っちゃうの? ソキかナリアンくんに御用があったんじゃないです?」
「用ができたの。それに……」
ソキちゃんの声がして。なにかな、と思って覗きこんでしまっただけだったんです、と笑うハリアスに、ソキはにこにこと頷いた。気にしてもらえるのは、とっても嬉しいことである。
ハリアスちゃんまたね、と手を振って見送り、ソキはうきうきと香草茶を口にした。ロゼアが今日の部活から帰ってきたら、きっと言おう、と思う。かんぺきなけいかくである。
こくんこくんとお茶を飲み、ソキはこてん、と首を傾げた。
「……あれ? ナリアンくん、どうしたです? 頭が痛いの?」
『そっとしといてやりなさい。刺繍の続きはしなくていいの?』
「あ! 続き、するです。んしょ、んしょ……リボンちゃんの刺繍はどんなのにしようかなぁ。あんまりお時間がないですから、とっても複雑なのは、ちょっぴり難しいかもです……リボンちゃん。今年は、どんなおふくを着てくるの? 去年みたいな格好いいリボンちゃん? それとも、今年はかわいいリボンちゃんです?」
どっちの、どういうお色の、どういう生地のお服かで刺繍の図案を決めるです、と楽しそうなソキに、妖精は思案した。去年男装していたのは、ソキのエスコートを完璧にやりこなし、かつ惹き立て、こころゆくまで自慢する為に他ならない。
一回見せびらかしたので、別に今年はしなくても良いのである。さりとて、ソキをエスコートするのであるから、相応の服ではあるべきだ。アンタなにを着る予定なの、と尋ねられて、ソキはんっとぉ、と自慢する口調で言った。
「ロゼアちゃんが準備してくれるですから、ソキは着せてもらうの待ってるです!」
『あーああぁあああー! そうよねそうに決まってたわよね! ちくしょうロゼア! ほんと腹立つ!』
アンタたまには自分で着る服くらい自分で選びなさいよっ、と怒られて、ソキは不満に頬をふくらませた。ソキのお服を選ぶのはロゼアちゃんの大切で大事なおしごとなんです、しないのは職務怠慢というやつです、と言い聞かせる。
妖精は無言で浮き上がり、ソキの頬にひざ蹴りを叩きこんだ。
リボンちゃんがソキのえすことをするんですよ、と言ったら、そっかよかったなソキ、リボンさん好きだもんな、うんっ、あれ、で会話が終わって計画が頓挫したので、ソキは談話室のソファの上でぺっしょりしょげていた。
こんな筈ではなかったのである。もちろん、ソキは自分の案内妖精のことがとってもとっても大好きである。妖精が怒ったように、あて馬にしようとしたことは、ちょっぴり申し訳ないとも思うのだが。しかしこんな筈ではなかったのである。
ロゼアは妖精への嫉妬にめらめらして、エスコートは俺がするんだろ、とソキを求めてくれる筈だったのである。読んだ小説はだいたいそんな風だった。
参考にしていた小説は、なぜか昨日からソキだけ閲覧禁止になり、ぴょこぴょこのびいいいっとしても手の届かない、棚の高い位置に一式移し返されていた。げせぬ。
「うまくいかないです……。昨日の夜だってだめだったです……」
スピカにうまく行く方法を聞いたので、翌日から、ソキはちゃんと実行してみせたのである。
お風呂で隅々まで体を磨き、肌はしっとりなめらかに、髪の毛はさらさらのツヤツヤに、ぎゅっと抱きしめると良いにおいがするように、さらには夜着は脱がせやすいようなのを選んで着せてもらって、よし寝るよ、と声をかけられたので、準備万端言ったのである。
「ソキはロゼアちゃんのなんですよ?」
「……うん?」
「ソキはロゼアちゃんのになるです。わかったぁ?」
よしこれで大丈夫です、と思ったのに。ロゼアは幸せそうに笑みを深めて、うんそうだな、と言ってソキを抱き寄せ。ぎゅ、と抱きしめて。手際良く寝かしつけた。気がついたら朝である。とっても気持ちよく、ゆっくり、たくさん寝てしまった。
ロゼアがぎゅっとしてくれると、気持ちよくて、ソキはすぐ眠ってしまうのである。大失敗だった。
しかしソキは諦めなかった。次の日も、その次の日も、昨日だって、いいですかソキはろぜあちゃんの、ろぜあちゃんのなんですよぉ、と言い聞かせたのに。
ロゼアはなんだかとても幸せそうに笑うだけで、ソキが望むように触ってくれたり気持ちいいのをしようとはしてくれないのだった。
あれはもしかしたら、スピカがディタに言うから効果があったのであって。ロゼアにはうまくいかないのかも知れない。がっかりですぅー、としょげかえった声でソファでころころしていると、あれ、と不思議がる声がかけられる。
「ソキ、ソキ。なにしてるの? 授業じゃないの?」
「あ、おにいちゃんです! ……間違えちゃったです。せんせい、です。ウィッシュせんせい、こんにちは、ですよ」
一時間目は先生が振られて傷心の為に自習になったです、とソキが示すお知らせのコルクボードには、言った通りの理由が書いてある。
ウィッシュはなんとも言えない表情でその文面を眺めた後、それでなんか人が多いと思った、と言って対面に腰を下ろす。ソキはきょときょとしながら身を起こし、どうしたの、と呟いた。
「今日、実技授業だったです? ソキはすっかり忘れていたです……?」
「ううん、違うよ。ストルが『学園』に戻って来ただろ。俺はね、ストルの顔見に来たの。元気かなって」
新入生から遅れること、約二ヶ月。ようやく謹慎処分を終えたストルは、今週から教員として『学園』に姿を現していた。遅れた分も頑張らないと、と告げるメーシャは喜びを隠せない様子で、自習が分かるや否や、ストルの元へ走っている。
ナリアンとロゼアは受けている授業自体が異なった為に影響はなく、今は黒魔術に関する講義の最中である筈だった。今はメーシャくんが一緒にいる筈ですよ、とソキが教えると、だよなぁ、とウィッシュは、なぜか困ったように頷いた。
「なるべくひとりきりの所を狙いたいんだけど……。ソキ、協力してくれない? メーシャ連れ出して?」
「いやなよかんがするです。ソキは聞こえないふりをします」
悪事に加担してはいけないのである。こっくりと頷いたソキに、ウィッシュはそこをなんとか、と手を合わせてきた。
「ソキー、おにいちゃんのお願い聞いてよー! リトリアから手紙託されてるんだよー……! お兄ちゃんのお願い、聞いてくれたら、一緒にマシュマロ買いに行ってあげるから……!」
「ましゅまーろーっ!」
マシュマロ。それはもちもちのふんにゃりで甘くってとっても素敵な『花嫁』『花婿』の大好物である。ただし、なぜか、『傍付き』が与えてくれないお菓子、不動の第一位を飾り続けているものだった。食べて、どうなる、という訳ではないのに。
ちたたたたっ、と大慌てでソファに座り直し、ソキは忙しなくあたりを見回した。ロゼアは授業中である。聞かれていない。よし、と頷き、ソキは真剣な顔でウィッシュを見た。
「ましゅまろー……! どこへ買いにいくです……?」
「星降の場内売店で売ってるんだって。リトリアが教えてくれた。リトリアが教えてくれるものだから、味は保証されてるよ。俺ね、ストルに手紙を届けたあとに、星降にも行かないといけないんだ。手紙配達係だから。ソキが手伝ってくれたら、課外授業って言って、一緒にお城まで行けるんだけどな……?」
「ソキはなんだか急にメーシャくんに会いたくなったです」
すっくとソファから立ち上がり、ソキはウィッシュと一緒に教員棟へ向かう。ストルの部屋を覗き込み、メーシャを呼びだしてあたりをてちてち散歩して帰れば、それでウィッシュの用事は終わっていた。
ふたりきりで渡してね、お願いね、という指定つきの手紙であったらしい。差出人の名は、リトリア。現在は白雪の国で身柄預かりになっている、ストルの愛しい少女である。
なにやら顔を赤くして壁にもたれているストルの手には、開封された手紙があった。よかったですね、先生、と師の幸福を喜ぶメーシャをあとに残し、ウィッシュはよし次ー、とほのぼのとした声で言う。
「ついでだから、ソキも来る? こっちは、別にふたりっきりで渡してね、とは言われてないから。一緒においでー」
「ストル先生のは、どうしてふたりきりでー、だったんです?」
「ストルは謹慎も監視も終わってるからね。もうひとりは、監視が解けてないから。ふたりきりで、っていうのが無理だから、あえて言われなかっただけじゃないかなぁ……? どっちも内容が検閲済みとはいえ……人がいる所で渡したくないし、読んで欲しくないし、だと思うよ。俺はただの運び屋さんで代理人だもん」
ほんとは自分で渡したかったと思うよ、と告げるウィッシュに、ソキはこくりと頷いた。どんな内容であるかは分からないが。リトリアの気持ちは、なんだか、分かるような気がした。そこに込めたのが想いなら。そっと、ひとりだけに届けたい。
「……あ、そうだ。だから、パーティーの時にリトリアに会えるよ、ソキ」
気晴らしに。白雪の女王陛下が苦心して、リトリアの特別外出をもぎ取って来たのだそうだ。
差し出された手紙は夜会での、踊りの誘い。一緒に踊って下さい、っていうお願いなんだよ、とストルの様子を思い出して笑い、ウィッシュはソキの手を取って『扉』へと歩いた。星降の城へ続いて行く『扉』。
ついて歩きながら、ふと、なぜか聞いておきたくて。ソキはもうひとつは、と息を吸い込んだ。
「誰に、なんの……お手紙です?」
「ツフィアに。エスコート頼むんだって」
「……ツフィアさん?」
言葉魔術師。未だ軟禁されるそのひとへ。外に出してあげて、という嘆願書も兼ねた手紙を携えて。ふたりは『扉』をくぐり、星降の城へ足を踏み出した。
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