暁闇に星ふたつ:20


『アンタねぇ……』

 ほとほと呆れかえった声が降ってくる。

『アタシのトコにこっそり来てあれこれ話したりするのは、十分! アンタがひとりでしたいこと、でしょうが! 一回だってロゼアに言って出てきたコト、あった? いつもいつもこっそり抜け出してきて!』

 飛び散る火の粉のような。ソキのくらやみを打ち払う、強い声。ぱっと顔をあげ、ソキは満面の笑みできゃぁっと歓声をあげる。

「リボンちゃーん! いらっしゃいませですー!」

『ハリアス、安心なさい。コイツ思考回路までどんくさいから、ひとりでしたいことがどんなのかっていうのさえ、なんかよく分かってないだけなのよ。ソキは、ソキで、ちゃんとあるから。どんくさくて分かってないだけで』

「ねえねえリボンちゃん? どうしたの? お出かけの途中? ソキに会いに来てくれたです? ねえねえ、ねえねえ?」

 アンタはアタシが話してる間にじっとして待ってるってことさえできないのーっ、と即座に特大の雷を落とされて、ソキはきゅっと目を閉じた。

「もぅー、おこりんぼさんですぅー……や、や! いやんや! ぺちぺち叩くのいやんやぁー!」

『アンタちょっとくらいアタシを怒らせないよう努力しなさいよ! むしろアタシの機嫌を取りなさいよっ!』

「リボンちゃんすきすきすきすきだぁいすきぃーっ!」

 頭の上に着地して平手でべっしべし叩かれながら怒られて、求められた、ソキの返事がそれである。

 すきすき言っとけば相手が絆されると思ってっ、と怒りかけ、事実、蜂蜜みたいな声でまっすぐに好意を告げられるこそばゆさと幸福で荒らんだ気持ちが消えかけていたので。妖精は素直な感情の現れとして、遠い目をしながら頭を抱えた。

『……いい? 誰にでも、そんな簡単に好きだのなんだの言うんじゃないわよ……?』

「ソキ、好きなひとにしか、好きって言わないです。すきー、すきすきー、リボンちゃーん!」

『腹立ってきた』

 なんでですかぁっ、とぴいぴいわめくソキの頭をぺしっと叩いてから飛び立って、妖精はそれで、と腕組みをして尊大に問いかけた。

『アタシのお茶もあるんでしょうね?』

 あっそうですお茶ですっ、ですぎちゃたかもですっ、と慌ててとてちて給湯設備へ戻っていくソキに、妖精は息を吐き。ナリアンが恭しく差し出した道具箱の上に降り立ち、びたんっ、と転んだソキを眺めて頷いた。

 転ぶって知ってた、という仕草だった。




 丁寧な仕草で、布に糸が置かれていく。ちいさな手が優雅にすら動くのを感心して見つめながら、妖精は角砂糖にさくりと歯を立てた。

 ロゼアの夜会服なのだという。ソキがすきすきの刺繍をするので貸してください、とねだって預けてもらったものであるのだという。物も言えずに呆れた気持ちで角砂糖を平らげ、専用のちいさなカップをぐびーっとばかり仰いで飲んで。

 妖精はハリアスに視線を流しながら、ソキに向かって呟いた。

「アンタそれが、ひとりでしたいこと、なんじゃないの……」

「ソキはぁ、ロゼアちゃんのお膝の上で刺繍をするのがいっとう好きなんですぅー」

 ふんすと不満げに鼻を鳴らして主張され、妖精は一応の礼儀として頷いてやった。聞くんじゃなかった、という横顔を気にせず、ソキはちまちまと刺繍を刺していく。

 『花嫁』に対する教育は多岐に及ぶが、その中でも特にソキが真面目に取り組み、また今でもこのんですることが、この刺繍である。

 冬場になれば編み物もする。去年だって、ロゼアちゃんのお冬のまふら、と、手袋はソキが作ったんですよ、と自慢され、ハリアスは笑みを深めて肩を震わせた。

「そういえば、ロゼアくんが授業から戻ってくるまでに、こっそり完成させておくです、って頑張ってましたね。……そっか。よかった」

『アンタね、教えておいてあげるけど。ソキのそういう所は心配するだけ無駄よ? なんか最終的に全部ロゼアだから。腹立つ』

「んん? ……あ! リボンちゃんの、ぱてぃーのお服にも、よかったらソキが刺繍をしてあげるんですよ?」

 ねえねえ今年もソキと一緒にいてくれるですよね、とうきうきと求められて、妖精は当たり前でしょうと頷いてやった。エスコート役は一年目の特権であるが、二年目以降も、やりたければしていいのである。

 きゃっきゃと喜んで、ソキは香草茶を口にした。ちょっぴり放置してしまったのだが、嫌な苦みを感じさせることなく、ほんのりと甘い花の味が溶け込んでいる。おいしいです、とほわりと息を吐き、ソキはちらっとナリアンを見た。

「ナリアンくんも、今年もニーアちゃんと一緒です?」

「うん。もちろん」

「ハリアスちゃんは、メーシャくんと一緒?」

 そのつもりです、と頷くハリアスに、ソキは満足そうにふにゃふにゃと笑った。なぁに、嬉しそうな顔して、と目を和ませる妖精に、ソキはだってぇ、と甘えた声で言う。

「一緒なのは嬉しいです。ロゼアちゃんは……聞いてなかたですけど、シディくんが来るです? ルノンくんは?」

『さぁ……。シディもルノンも、ほっといても顔は出しに来ると思うけど。っていうか、アタシはそれでいいけど。アンタ、ロゼアと一緒じゃなくていいの?』

 それこそ、ロゼアちゃんにえすことしてもらうですうぅきゃぁんやぁんはううぅっ、と大騒ぎするものだとばかり、思っていたのだが。訝しげに見つめる妖精のまなざしに、ソキはなにを言われているのか分からない、という風に首を傾げて見せた。

「ロゼアちゃんとは、一緒にいるですよ? もちろんです」

『そうじゃなくて。ロゼアにエスコートしてもらったり、ロゼアにダンス頼んだりしなくていいのかってことよ』

「ろぜあちゃんに?」

 えっと、えっと、と。告げられた言葉の意味をゆっくり、ひとつひとつ考えて、拾い上げる呟きが零れて行く。ああ、これは分かってなかったのね、と見守っていると、ぽんっ、とばかりソキの顔が主に染まる。

 ぺちっ、と音をたてて頬に両手が押しつけられた。え、え、と言葉と共に瞬きが繰り返される。

「し……」

『し? しんじゃうかもしれないです? 安心なさいそうなる前にアタシがアイツをぶちころすわ』

「リボンちゃんはすぐそういうことしようとするです! いけないと思うです! 違うです!」

 そうじゃなくて、そうじゃなくて、ともつれる舌をなんとか動かして。ソキは不安げに、ハリアスとナリアン、妖精の顔を、そろそろと伺って呟いた。してもらってもいいの、と。

 あぁ、と語尾を跳ね上げ脅すような声で問う妖精に、ソキはだってだって、と訴えた。

「そんなの、考えたこともなかった、です……。リボンちゃんが来てくれると思ってたですから、ソキはリボンちゃん……え、え? えっ? ロゼアちゃんでも、いいです? ロゼアちゃん、ソキのえすこと、してくれるです?」

『気が変わった。アンタはア・タ・シ・が! エスコートするんだから! あんなのに頼むな!』

「うん……! そうするです。リボンちゃん、お願いするです……」

 なんで素直に頷いたんだろう、と訝しんで妖精はソキを睨みつけた。てっきり、やんやんソキはロゼアちゃんに頼むですうー、だの、リボンちゃんはすぐそうやってロゼアちゃんをいじめるです、だの、大騒ぎすると思ったのだが。

 頷かれるのは良いこととして。今日は予想外の反応ばかりをする。ソキ、と妖精の呼びかけに、碧の目が向けられる。うっとりと。とろけそうな色をしていた。あのね、と囁かれる声は甘く。期待に満ちてふわふわしていた。

「考えたですけど……」

『なによ』

「これはもしかして、ちゃんすなのではないですか……!」

 ソキはリボンちゃんにえすことしてもらう、というのをロゼアちゃんに言うです、とソキのうきうき計画が発表されていく。

「ロゼアちゃんは、なんで俺じゃないの? って言うです。ソキは、ロゼアちゃん、ソキのえすこーとしたい? って聞くです。ロゼアちゃんは、したい、て言うです。したい、です。これが大事です。ソキがしてして、なんじゃなくて、ロゼアちゃんが! ロゼアちゃんが! ソキのえすことをしたい! これです! これですうううはうううはううぅふにゃぁんきゃううぅーっ!」

『ちょっと待ちなさい! アタシを! あて馬に! 使うなっ!』

「もしかしてー! 壁どんー! をされてー! 俺がするんだろ? って迫られちゃうかもですうううっ」

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