暁闇に星ふたつ:13
朝からロゼアとソキの姿が見えないので、ナリアンとメーシャは顔を見るついでに、その居場所を探すことにした。
いつもなら朝食は一緒に取るのだが、今日に限ってふたりとも軽く寝坊してしまった為に、食堂でも姿を見ることが叶わなかったのだ。談話室にも姿はなかった。
ソキが授業に出るようになってからというものの、そこへいる頻度は下がっているのだが、話を聞けば立ち寄りもしていないらしい。
そのまま足を運んだロゼアの部屋は無人で、扉を開けてすぐの床に、重石が乗った置手紙があった。四階のソキの部屋にいるらしい。
ソキの部屋が使われるのは、そこに用事がある時だけである。
一月に一度の荷物はもう先日届いていたから、なんだろうね、と首を傾げあい、階段をのぼったあたりの廊下からなぜか部屋を遠巻きに見守っている先輩たちの間をすり抜け、ナリアンとメーシャはひょいと中を覗き込もうとした。
未遂に終わったのは、戸口が下げられた布で完全に隠されているからで、一枚を手で払っても、幾重にも重ねられて視界をつぶしているからだった。歩いてきた廊下へ、時々、ソキのほわふわしたはしゃぎ声が聞こえてきていたから、片付けをしていないのは確かだった。
「ロゼア? 入っていい?」
「いいよ。ちょっと待って……ソキ、ソキ。ほら、ナリアンとメーシャが来たから、じっとして」
「やあぁああとちょとだったにちぁいないですううう!」
ひどいですあんまりですこんなのってないですう、と悲嘆に暮れた声が響いてくるのを聞く分に、今日もソキはロゼアを誘惑して、しようとして、失敗したらしい。
メーシャは穏やかな微笑みで諦めないのがソキの偉い所だよねと頷き、ナリアンは俺のかわいい妹にそんなことを教育したのは誰なのころそうよと涙ぐんで頭を抱えてしゃがみこんでいた。
いやぁんいやぁ、と室内からはしばらく、ぐずって抵抗するソキの声が響いたのち、ふっと音が途絶えて静かになる。衣擦れの音はやんわり、ふたりの耳に触れた。すっ、と布の間に差し入れられたロゼアの指先が、空間を切り裂くようにして友人を招く空間をつくる。
「お待たせ、ふたりとも。……ナリアン、座り込んでどうしたんだ?」
「……一応聞くけど、ソキちゃんはなにしてたの?」
「明日、着ていく服を選んでたんだよ。気に入るのが見つからないみたいで、脱がせてっていうばっかりだから、まだ終わってないけど」
それ絶対そういう意味じゃないよね、とナリアンは呻きながら立ち上がる。視線で意見を求めてくるのに、メーシャは微笑を深めてゆっくりと一度、頷いた。
「この間、寮長が、風紀が乱れるからお前そんなことばっかりしてるんだったらロゼアとの同室許可を取り消すぞって言いたい所なんだが、ちっとも乱せてないからお前じつは魅力ないんじゃねぇのってソキに言ってもっ……のすごい怒らせてたけど、ロゼアそれについてはどう思う?」
「そもそも寮長はなんでソキをお前とか、そうじゃなくても呼び捨てにしてるんだよ」
「それについては今度寮長と話し合いなね、ロゼア」
そうする、と珍しく不機嫌をあらわにした顔で頷き、ロゼアは室内を振り返った。垂れ下がる布で幾重にも覆い隠された先へ、あまやかな視線を投げかけて囁く。
「うん。すぐ戻るよ。……メーシャ、ナリアン。見ていく?」
その、見ていく、が。わくわくした、ちょっと自慢したい気持ちを隠しきれていなかったので、ふたりは視線を交わして頷いた。ん、と短い言葉で頷いて、ロゼアは身を翻して室内へ戻っていく。
半透明の布の海。朝焼けに目覚める白、風に磨かれた淡い砂、水に沈んだ翡翠のいろ。三色の柔らかな布の海。布をかきわけると、鉱石のこすれる淡い音がした。砂が風に擦れて奏でる、硬質で涼しげな石の囁き。
視線を落とすと、吊り下げられた布の端には花の形に切り出された鉱石が揺れている。数歩で開けた場所に出ると、メーシャは感嘆の息を吐き出した。蜂蜜めいた光が、空間を甘く暖めている。
世界から隠されて。その場所に大事に守られていたのは、『花嫁』だった。
ふかふかの布絨毯の上にぺたりと座り込む、ソキが着ていたのは見慣れたワンピースだ。袖口と襟元に繊細な、豪奢なレースが飾られたその服に、蜜色の光が触れれば真珠の光沢が現れる。
普段着ている藍色の、魔術師のローブは脱がれ、折りたたんだ足元にくしゃりと置かれていた。むくれて尖ったくちびるは、苺の赤。甘そうな飴のいろ。
背を流れ落ちる金糸の髪に、涙を滲ませた長いまつげの奥、ロゼアを一心に見つめる瞳は春の新緑、水の中で息づき目覚めた玉石の翠。蜜陽がやんわり触れる肌はまろやかな白。
膝の上から伸ばされた手はちいさく、指の先まで整って、爪は螺鈿細工のきらめきを溶かし込む。見る者に、その姿だけで理解させる。
そこにあったのは『砂漠の花嫁』。世代の最高傑作、最優と囁かれた少女。
「ロゼアちゃん……。ロゼアちゃん、もう、どこ行ってたですか」
泣き濡れたあまい声がやわりと響き、耳から意識を撫でていく。薄闇の中でなく、ひかりに照らし出されて、なお。本能を刺激してならない声。所有、支配。欲望をかきたてる声。
思わず息をつめて、視線を反らして、近づけなくなってしまったナリアンとメーシャの視線の先で、ロゼアはゆるく息を吐いただけだった。ロゼアちゃん、ロゼアちゃん。
ねえ、ねえ、とその声で呼ばれ求められながらも、ロゼアはただ、その腕の中にソキを取り戻し、抱き上げて。ぽん、と背を撫でて。擦り寄るソキに頬をくっつけ、僅かばかり目を閉じて、満たされた風に笑って。
「メーシャ、ナリアン」
目を開いた時には、やや自慢げに。むくれて、ぷーっとするソキを、ふたりに見せびらかした。
「かわいいだろ?」
数多の言葉が脳内を駆け巡り、ひとつも口に出せないまま、ふたりは心底理解した。これは外界を遮断しておく必要があるし、気心を知れた者になら自慢したくもなる。わかる。
胸に手をあてて深呼吸し、可愛い女の子にどきどきする己を殴り倒し胸倉を掴み、俺の、妹が、可愛い、と言い聞かせて勝利をもぎ取ったナリアンは、ややうつろな目でロゼアを見た。
「ロゼアのそんなドヤ顔はじめてみた……どうしたの……?」
「……ソキ、ぷーってしてるけど。いいの? ロゼア」
「ぷーってしてるソキかわいい」
照れくさそうな顔で自慢されて、ナリアンは理解した。あっロゼア、ちょっと頭がぱぁんしてる。きっとなにか嬉しいことあったんだね。よかったね、と頷き、ナリアンはその場に座り込んだ。
うんうん、分かるよ、とばかりナリアンの肩に手をおいて一緒に座り込み、メーシャは笑いを堪える目でロゼアを見上げた。
「ロゼア。明日出かけるって言ってなかった?」
「でかけるよ。そーき、どの服ならいいの?」
「んもおおお! ロゼアちゃんはおとめごころー、がぜんぜんわかていないですううぅ!」
もっともっとロゼアちゃんがソキにめろめろのめろめろできゅんきゅんになってときめくお服にしてくれなくっちゃいやいやんっ、と半泣きで体をくっつけてすり寄って訴えてくるソキに、ロゼアはふわふわした笑みで、うんそうだな、と頷いた。
「じゃあ、とっておきのにしようか。やっぱり。メーシャ、ナリアン。悪いけど」
その箱取ってくれるかな、とロゼアが示したのは、秋冬用の絨毯が壁に立てかけられている一角だった。そこに、ぽつん、と白い箱が置かれている。なんの飾り気もない紙箱に見えた。
首を傾げながら持ってきてくれたふたりに、ありがとう、と微笑んで。ロゼアは、ほら、とソキに囁きかけ、蓋をあけて中をあらわにする。ひょい、と横から覗き込むナリアンとメーシャの動きが凍りついた。
ロゼアの腕の中でもちゃもちゃ反転し、ソキは目をぱちくり瞬かせる。
「見たことのないお服です……! ロゼアちゃん、なぁに? これなあに?」
「新しいワンピースだよ。気にいるといいけど」
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