暁闇に星ふたつ:05



 髪を後ろに撫でつけ、真新しい燕尾服に身を包んだロゼアに、ソキは熱っぽい息を吐き出した。じーっと見つめる視線がくすぐったかったのだろう。

 ソファに座るソキの足元に跪くようにして、解けてしまった己の靴紐を結んでいたロゼアが、ふわりと視線を持ち上げる。はにかんだ笑みでなに、と問われて、ソキはうっとりしきった眼差しでロゼアに両手を伸ばし、頭を抱き寄せ体をくっつかせた。

「ロゼアちゃん……とってもかっこいいです……!」

「ありがとう」

 照れくさそうに囁くロゼアに、ソキは頬を赤らめてもじもじした。ナリアンとメーシャが拉致されたのも、この燕尾服の為である。

 直前まではルルクたち選抜代理組に役目が振られていたので、急遽最終調整が執り行われた末の拉致であったのだという。微に入り細にわたり意味が分かりませんと告げたロゼアに、ちょっと正常な判断力が失われてて、と言ったのはルルクだ。

 そもそも普段のルルクが正常な判断力を保有しているのかはともかくとして、聞きたいのはそれじゃない、という微笑を浮かべたロゼアに、説明部たる女性は、それはもうはりきって教えてくれたのだという。

 曰く、二年目からの挨拶は正装を着て行うのが通例であると。

 急遽であっても、最終調整が本当にぎりぎりすぎて作業者の正常な判断が失われていたとしても、服として間に合ったのはだいたい作り終わったものがそこにあったからである。

 すこし先に控えた、新入生がいるのであれば五王に対するお披露目会をかねた夜会の為に、この時期は手芸部と被服部が奔走する定めなのだという。新入生であれば、祝いを兼ねて案内妖精と出身国の王たちが、夜会服を用意するのが慣わし。

 けれども二年目からは各自で用意するか、『学園』からの支給を受けるのが通例であるのだという。その、どちらかにするかを用意できる時期になっても聞かれた記憶がないのですが、と微笑んで問うたロゼアに、ルルクはきっぱりと言い放った。

「ごめんそれ所じゃなくてすっかり忘れてた」

「お詫びに燕尾服は半ズボンとスカートと、なんの変哲もなくつまらない普通のと、選べる仕様にしたから好きなのを身につけてね! 私からの一押しは! ナリアンくんには半スボン! メーシャくんにはミニスカート! ロゼアくんには! この! ロングスカート! さあどうぞ!」

「普通ので」

 三人ぴったり重なった選択の声に、ぎらぎらした目でミニスカートを持ってはしゃいでいた少女は、床の上にくず折れて動かなくなったのだという。

 あんまりなんじゃないの、ソキちゃんの着せ替え権だってロゼアくんに譲渡された上にこの仕打ちはあんまりなんじゃないの、と泣き声にもいっさい怯まず、ロゼアは微笑み、穏やかに告げた。

 ソキに関しての服飾の権利は元々俺が持っているものなので、勝手に計画を立てないでくださいね。それとどういう服をお作りになったのか見せてくださいいますぐに。確認する、と言ったのだという。

 徴収の間違いじゃないの、と服飾部の少女はしんだめで差し出したのだという。

 ロゼアが戻ってくるのが遅くなったのは、そのソキの服のせいだった。大方出来上がってしまっているものであるから、素材や仕様などについては、もうどう調整することもできなかったらしい。

 なにせ今夜のことである。時間がない。下に一枚、絹の肌着を縫い付けることで調節して、ロゼアはそれを殊更丁寧にソキに着付けた。きつくないか、くるしくないか、肌が擦れてしまっていないか。

 腕を上げたり下げたり、立ち上がったり、くるん、とまわってみせたりするたび、ロゼアがえらいな、可愛いな、可愛い、とめいっぱい褒めてくれるので、不在の間に降り積もった不機嫌が、ころっとなくなってしまうのは、そう時間がかからなかった。

 淡い朱の光沢を宿す白いふわふわのドレスは、どこか花嫁めいている。それじゃあ用意もできたし、そろそろ行こうか、と疲れきった姿から休憩を経てやや回復し、気を取り直しもしたメーシャが促してくる。

 うん、と頷いたロゼアにひょいと抱き上げられ、ソキはぱちくり目を瞬かせた。

「ロゼアちゃん? ソキ、歩かなくていいの? 去年はとっても、だめって、言われたですよ」

「扉をくぐって、星降の城に到着したらで、いいよ。危ないだろ」

「……あぶないの?」

 そう言われると確かに、ソキは一番動き回っていた時期と比べて、最近はその半分も歩いていないのだが。歩く、ということに関しては、ずいぶんと慣れた筈である。

 あぶないのないもん、と拗ねた声で足をふらふらさせるソキに、ロゼアが宥めと説明の声をかけるより早く、笑ったメーシャが顔を覗き込んできた。

「ソキ。疲れきった先輩たちが暴走してるし、もしまた『扉』の不具合が起きたら大変だよね。俺たちはひとりでもなんとかなるけど、ロゼアをひとりにしちゃ、だめだよ。危ないだろ?」

「メーシャくんの言うとおりだよ、ソキちゃん。そんなに可愛いんだもの。危ないよ」

 ふたりの言うあぶない、には、なんだか違いがあるような気がした。でもでもロゼアちゃんが怒られちゃうかも知れないです、と腕の中でもぞもぞするソキに、忙しそうに歩み寄ってきた寮長が、一枚の紙を差し出しながら告げる。

「先方の許可も取ったからそのまま行けよ……安心しろ、ロゼア。俺たちはこの一年で必要保護の概念を学んだからな……!」

「ありがとうございます。……なんですか? その紙」

「ソキの、ロゼア携帯許可証」

 魔力が封ぜられたもの特有の、淡くゆらめく虹色の燐光を発する紙片には、同行許可証と書かれている。

「最初からやろうともしないのと、やった結果でふりだしに戻るなら、なんつーかもうしょうがないだろ……。お前は十分努力したし、結果を出そうともした。俺たちは学び舎を同じくする者として、その過程も気持ちも見て分かってる。案内妖精からの陳述もあったしな」

「リボンちゃん?」

 昨日、まあアンタの気持ちは分かったからちょっとアタシに任せておきなさい根回しはしておいてあげるわ、とぐったりしたシディの羽根を掴み、ぐいぐい引っ張りながら何処へと飛び去るのを見送ったのだが。なにをしたというのか。

 また誰かを怒ったですか、と素直な疑問として問うソキに、寮長はその通りだよと頭の痛そうな声で教えてくれた。

「そうだよ、お前のリボンちゃんがな……『こんなこと本当なら言いたくもないし求めたくもないんだけど、いついつまでも分かってないみたいだし、この先も問題になるようだと結果的にアタシが困るしソキだって困るから教えておいてやるわ! 心して聞け! ロゼアのヤロウはともかくとして、ソキに普通と常識を、魔術師のそれだったとしても、ただびとのそれだったとしても、適応その他あてはめるのはやめなさい! あれは、ソキ! そういういきもの! 魔術師のたまごとか、『花嫁』育ちとか、そういうことじゃないの! 分かった? 分かったわね? よし以上!』って陛下と王宮魔術師に切れてな……」

「……んん? ソキはなんだかばかにされたきがするぅ……?」

「お前の一年の努力の結果だからな……受け入れろよ……?」

 哀れみと慈愛が入り混じった目で寮長に告げられて、ソキは入学許可証に似た紙片を、ぴこぴこ揺らして口を尖らせた。

「ずるじゃないです? ソキ、ずるするのはきらぁーい、ですー」

「努力賞だよ、努力賞。お前は努力した。すごくした。その結果、体調崩すわ魔力は不安定になるわ授業所じゃないわ世界に風穴開けるわ、体調崩すわ熱を出すわもうなんていうかな……。このままお前に頑張らせとくと、ロゼアが先にヤバくなるんじゃねーの? っていう意見が出てたトコだったしな……目が悪いやつは眼鏡かけて日常生活送るのと同じことだよな……。よかったなソキ、抱っこの許可出たぞ」

「だっこぉだっこぉロゼアちゃんだっこぉーっ!」

 不満げに揺らしていた紙片をささっと胸にしまいこみ、ソキはとろとろふわふわの甘え声でロゼアにきゅむっと抱きつきなおした。

 こころゆくまで擦り寄って甘えたのち、ふんすっ、と鼻を鳴らし、ソキはめいっぱい自慢げにロゼアの腕の中でふんぞりかえる。つまりこれからは公認だっこということである。ソキが我慢したりする必要はなにもないのだった。

 あっ、でもでもぉ、ロゼアちゃんがソキとおててを繋いで歩きたい時があったらぁ、その時はちゃんとできるですから言ってくださいね、と笑うソキに、ロゼアはやんわりと微笑して。よしじゃあ行こうな、と言って歩き出した。




 いいですか、ソキは歩けるです。歩いていけるんですよほらほらぁっ、とロゼアの腕から滑り降り、早足にとてちてしたのち、ソキはくるんと一回まわって見せた。

 回ったはいいが、そのまま尻餅をついてぷきゃんと声をあげた所で、星降の王宮魔術師たちは意見を翻し、ロゼアの保護に全面的に同意する。

 うん、抱っこしてていいよ、と口々に言われる中でひょいと腕の中に取り戻され、ソキは背を撫でられながらも、頬をぷうぷうに膨らませて抗議した。

「ちがうもん、ちがうもん! 違うんですぅ! 寮長だって抱っこでいいって言ったですし、いいよってご許可頂いたって聞いたですし、歩きたくないから抱っこなんじゃないですし、そもそもやんやんだからだっこなんじゃなくてロゼアちゃんのだっこがいっとう好きだからソキはだっこがよくってだからだっこなんですうぅう! 歩けるですよ! ソキ、歩けるです!」

「うん、うん。そうだな」

 ぽん、ぽん、ぽん、と背を叩かれ宥められて、ソキは周り中を威嚇し倒すとげとげの意識を、ようやくすこし丸くした。はふ、はう、と疲れた息をして、ロゼアの肩に頬をくっつける。

「甘えて歩かないんじゃないもん……。危ないからロゼアちゃんのだっこが、いいよ、ってなったです。ソキはちゃぁんと知ってるです。それとも、危なくなくなったです? なら、ソキ、頑張って歩く……」

「いえ。危ないのでそのままで。……まったく、もう!」

 駆け寄ってきたレディが、『学園』から続く『扉』を囲むようにして立っていた同僚たちへ、腰に手をあてて雷を落とす。

「ソキさまは恒常魔術が切れている上に病み上がりで、入学時より体力も落ちていらっしゃるんだから……! 寮長と担当教員と保健医、五王と白魔法使い、有識者までお呼びして協議ののち、同行許可証が出たって朝礼で陛下が仰ってたでしょう!」

「有識者……? 『お屋敷』から?」

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