暁闇に星ふたつ:03
さっそく脱線した、という眼差しで睨まれながら、ソキは額の髪の生え際を両手でぺたりと押さえながら、すん、すん、と鼻を鳴らした。
「ソキはむかし、むかぁーし、ちょっとだけ、えんけいだつもうしょ、というのになったことがあるです。あるですぅ……!」
「……どのあたり?」
「このへん……おはげちゃんなっちゃたです……」
思い出したのだろう。怯えきった瞳でふるふると指さされたのは左後頭部のあたりで、妖精はわざわざ飛び立ってそのあたりを眺めてやったのち、再びソキの手の上に舞い戻って、力強く断言した。
「安心なさい。ちゃんと生えてるから。……今は治ってるんでしょう? ロゼアだってなにも言わないでしょう?」
「その時はロゼアちゃんはまだ傍付きさんじゃなかったんですよ……。候補さんだったです。でも、面会謝絶、というのだったですから、ロゼアちゃんにはないしょ、内緒なんですよ。しー、なんです。ソキ、ちゃんと治ったもん。治ったですぅ……! でも、でも、でもぉ! あんまり引っ張っちゃだめ、なんですよ。わかったぁ? あと、ロゼアちゃんにはぜーったい、ないしょ、です! 分かったぁ?」
アタシが言わなくてもロゼアのヤロウなら知ってるんじゃないかしらねアイツ気持ち悪いくらいアンタのこと知ってるもの、という言葉を告げずにやさしく飲み込んで。妖精は、はいはい、と息を吐きながら頷いてやった。
結局、話題が脱線している。まったくもう、とひっぱる代わりにソキの指を軽く蹴り、妖精はまなじりを険しくして問いかけた。
「ほら! 初心!」
「あっ。……えへへ? やー! やー! 蹴っちゃやですやですううううリボンちゃん、ぱちんですよ! ぱちんしちゃうですよ!」
「笑って誤魔化す暇があるなら考えなさいよーっ!」
そもそも不意を突かれなければ、ソキの動きのとろさと力では、妖精を手でつぶすことは大変に困難である。出会い頭でつぶされたのは、妖精がそうされるという可能性を考えつかなかったからであり。
また、あまりに無警戒に目の前に浮いていたからである。二度と出来ると思うなよ、とすごむ妖精に、ソキは不満げにくちびるを尖らせた。
「ソキ、ぱちんが出来るようになるです」
「アンタそれを成長として目標に掲げたらどうなるか分かってんでしょうねぇ……?」
「リボンちゃんよりつよぉーくなるー!」
いいこと考えついたですーっ、とばかり満面の笑みで宣言するソキに、妖精は腕を組んで羽根をぱたつかせた。まあ、強くなろうとすることは悪くはないだろう。実現可能かどうかを置いておいたとしても。
頑張るです、と意気込むソキの意識が、待っても待っても妖精の求める所に戻ってこなかったので。妖精はふわりと浮かびあがり。ためらいなく、ソキのぷにぷにもちっとした頬に、折った膝をぐりぐりと押し付けた。
「アンタそんなだから! いつまで経っても初心に戻れないのよ! 反省しろ馬鹿っ!」
「やうー、やうー!」
「しょ・し・ん!」
言い聞かせて頬から離れた妖精に、ソキはうらみがましい目を向けながらも頷いた。
「初心、です。……ソキは」
碧の瞳が。生きる感情を宿して揺らめく宝石の瞳が。ゆるく深く、過去を見つめて囁いた。
「お願いするだけの、言葉が、欲しかったです。魔術じゃない。言葉だけの、言葉が」
「ええ、そうね。アンタはそう言ってた。……予知魔術師、ソキ」
それは、どうしてそういう風に思って。口に出したの。問われて、ちいさく息を吸い込む。
「……ロゼアちゃんの、しあわせが」
零れゆくのは、かすれて。消えそうなかぼそい、言葉だった。
「ソキの、魔力で叶うなら……そんなことは、いや、です。そんなの……そんなの、だめです」
「……そうね」
「しあわせになって欲しいの……」
痛いくらい、響いている。ソキの内側から、魔力が、想いを乗せて零れては響いている。まことの願いであるのだと。それだけを、ずっと、一心に祈って。願って。口に出した。言葉に成した。
それでも、それは、魔力を乗せられた瞬間に、強制力を持って歪んでしまうことを知っている。予知魔術師は、なにより、それを知っている。妖精は深く息を吐いて、ソキのてのひらを撫でた。
「魔術師としての、それが、初心?」
「……うん」
「まったく! アンタはほんとに、ロゼア、ロゼアってそればっかり!」
口調だけは怒って。妖精は笑っていた。仕方がない、という風に。それでいて、そうだった、と懐かしく思い返すように。最初から、そうだった。
思いかえれば、この一年も。あらわす言葉をくるくる入れ替えて行っただけで、なにもかも、全て、それはロゼアへと向かっていた。たったひとりへ向けられていた。
その存在を目指して旅がはじめられ。辿りついて、今なお、向かう方向に変わりはないのだと。それは成長がしてないってことですか、としょんぼりするソキに笑って。妖精はぺちん、とソキの頬をかるく叩いて言った。
「結局ずっとまっすぐだった、ってことよ。アンタも、アタシも、分かってなかっただけ」
「……そうなの?」
「そうよ。だって、そうでしょう? ああ、もう……まあ、いいわ。もうここまで来たら仕方がないもの。やり直しましょうね、ソキ。また一年。ここから一年、今度こそ、目指す場所を見失わず、間違えずに、そこへ向かって努力なさい。それはロゼアのヤロウだっていうのは……ほんと……ほんと腹立たしいけど……!」
隠しもせず盛大な舌打ちを響かせて、妖精は腰に両手をあてて身を乗り出した。
「アンタ、ロゼアの傍を離れないと言ったわね?」
「うん」
「アイツをしあわせにできるおんなのこになる、って。アタシに言ったわね? 変わりない?」
うん、と。頷いたソキに、妖精は華やかに笑った。どうして間違えてしまったのだろう。こんなにも、こんなにも。まっすぐ、ずっと、ソキはそれだけを目指していた。仕方がない、と今度こそ妖精は思う。
不本意なことこの上もないが、それがソキの望みであるならば。そこへ導き、共に行くのが、案内妖精。妖精の、得た、願いだ。元より、魔術師として、魔力に根差した所にある願いではない。魔術師としての大成へ繋がる願いではない。だからこそ。
一年かけて、同じ所へ戻ってきてしまったのだとしても、それはもう焦燥の理由にはならなかった。大丈夫よ、と妖精は囁く。離れよう、としていたことが。普通になろう、としていたことが。そのことこそが。
初心を見失って、混乱していただけなのだと。そうするのならば。
「アンタ、ちゃんと成長してたわ。……すこしだけど」
「ほんと? ……ほんと?」
「本当! さ、行くわよ、ソキ」
その言葉と。続く言葉を。妖精はこの上なく嫌そうに、不本意そうに、ソキに言った。
「ロゼアどこに行ったの? アタシがついてってあげるから、行くわよ」
「え? ……えっと? んと?」
「添削だかなんだか知らないけど、そろそろ終わるでしょう。終わってなかったらアタシが話し相手してあげるから」
手の中から飛び立って。旅して歩いたあの日々のように。妖精はソキの目の高さよりすこし上へ、うつくしく舞い上がった。
「アンタはもう、迎えを待たなくていいの。歩いて行けるのよ。……歩いて行くの。分かるわね?」
「……うん!」
ぎゅっと手を握って、ソキはソファから立ち上がった。と、と、とよろけた後、脚にしっかりと力を入れて立ちなおす。よし、と気合を入れてしっかりと前を向いた目は、妖精の好む、感情を宿した命の色をしていた。
「ソキ、ガッツと根性でがんばるです! ね。リボンちゃん!」
「そうよ」
ひとりきりは終わり。妖精と共に、もう一度、ソキは行く。てち、と踏み出された歩みとともに。妖精は、風を抱いて羽ばたいた。
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